2025年7月12日土曜日

100分de名著 フッサール①

汗流し水飲み干して汗流し

額から汗がぽたぽた朝陽かな

紫陽花のやっと満開大河原

マウントを取りたき人の夏の夕

尾瀬沼をふたつの夕陽夏の風(糸井重里氏)

 

100de名著 フッサール❝超越論的現象学❞①学問の「危機」とは何か

西研(哲学者) 伊集院光 阿部みちこ

哲学者 エドムント・フッサール

「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」

フッサールはオーストリア出身でドイツで活躍した

副題「現象学への入門」

徹底して❝意識()の世界❞を掘り下げて考えていこう

 

「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」

・著者 エドムント・フッサール(18591938)

・フッサールが人生をかけて打ち立てた❝現象学❞についての集大成的な著作

・副題は「現象学への入門」

・ナチス政権下、ユダヤ人のフッサールは活動の集約を受ける

第一部、   第二部を国外の雑誌に発表

第三部は未完のままとなり、死後に草稿がまとめられた

・通称「危機」書❞と呼ばれ、同時代への危機意識が込められている

 

善悪の価値観 美醜に関し 

誰もが納得できるようなものが作れると思いますか❓

共通理解を作る方法が「現象学」

意識と体験を見つめ直すことから考えようとした

 

現象学的な見方とは?

一般的見方態度

見る⇨存在⇨意識

 

現象書的な見方

現象学的態度

色・匂い・形⇨🍎

 

ありありとした感覚があると❝現実❞

 

ユダヤ人迫害

 

この講演の()題目そのものからして すでに異論を

()び起こすであろうことを 

わたしは覚悟しておかねばなるまい。

いったい、われわれの学問そのものが

危機におちいっているなどと

まじめに語られてよいものであろうか。

今日よく耳にするこのような言い方は

あまりにも大げさに過ぎないだろうか。

 

学問の危機

第一次世界大戦 死者 約900万人 負傷者 約2000万人

 

十九世紀の後半には近代人の世界観全体が、もっぱら実証科学によって

徹底的に規定されまた実証科学に負う「繁栄」によって徹底的に

眩惑されていたが その徹底性たるや、真の人間性にとって決定的な

意味を持つ問題から無関心に眼をそらさせるほどのものであった。

単なる事実学は単なる事実人をしかつくらない。

このような傾向に対する一般的な評価の転換は特に大戦後避けることの

できないものとなったが それが若い世代のうちに次第にこのような

傾向に対する敵意に満ちた気分を惹き起こすまでになった。

 

1918年 ドイツ帝国敗戦

過度なインフレーションから経済危機へ

ナチスへ熱狂

 

「危機」書の時代背景

1859 0歳 オーストラリア帝国 モラヴィアで生まれる

                          ダイナマイト発明

1871    ドイツ統一、ドイツ帝国成立

                          電話 蓄音機

                          白熱電球の発明

1883 24歳 ウィーン大学で数学の博士号取得

1898     第四回パリ万博 エッフェル塔完成

1891 32歳 「算術の哲学」 

                          エスカレーター

無声映画 X線の発見

放射能の発見

ディーゼルエンジン

無線通信の発明

1900 41歳 「倫理学研究」

自身の哲学を「現象学」と呼び始める

                          動力飛行機

                          アインシュタイン、

                          特殊相対性理論を発表

 

                          アインシュタイン、

                          一般相対性理論を発表

・ドイツ共和国成立

                          テレビの発明

抗生物質(ペニシリン)

 

 

マルティン・ハイデガー

フッサールの弟子で現象学の継承者/主著「存在と時間」

 

第1部        2

「学問の危機は学問が生に対する意義喪失あいたところにある」

もし諸科学がこのように客観的に確立しうるものだけを

真理と認めるのだとしたら また歴史の教えるのが、()

理想や規範は束の間の波のように形づくられてはまた

消えてゆくものだということ いつも理性が無意味に転じ

善行がわざわいになるというような、ことだけなのだとしたら

世界と世界に生きる人間の存在は果たして本当に意味を

もちうるものであろうか。歴史的出来事が、幻想にすぎない

高揚と苦い幻滅のたえまない連鎖以外のなんものでもないような

そういう世界ではたしてわれわれは生きてゆくことが

できるものであろうか。

 

事実だけを語る学問は我々が共有できる理念を一切語れない

 

結局、(略)自由な決定によって態度を決定する人間、自己ならびに自己の

環境を理性的に形成するさまざまの可能性をもつ自由な人間なのである。

=「理性に基づく自由」が大切

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