2024年2月10日土曜日

河井寛次郎 美は喜び 住める哲学

挑戦を心に秘めて冬鴎(かもめ)
波と波重なり合いて冬の潮
伝統へ変化求めて寒の雨
若き感性新しき美へ雪見
朝靄の中すんくと立ちた白鳥よ

■日曜美術館 美は喜び 河井寛次郎 住める哲学
暮らしが仕事仕事が暮し 河井寛次郎
暮らしから生まれる美を追求し続けた河井寛次郎
今もなお家族によって守られる住める哲学を見つめます

昭和32年のニュースより
生涯一陶工を信条とした寛次郎
「これは持っておられたのを
 友人がわしに黙って出品された
 私は国際場裏にね モノを競うってなことに
 興味を持たないんですよ
 賞与ってなもんが仮に貰えるとしたら
 それはモノが貰うんでね
 私個人がとやかく言って貰って
 どうとかこうとか言うもんじゃないと思うんですよ」

日本各地の伝統的な暮らしにも向けられました 民藝運動

もう少し手のはぶいた箕でもよいから私のためにひとつ
作ってもらえないかと頼みましたよ
そしたらねその人はきょとんとしているのですよ
わしゃそんな手をはぶいたものなんか
作るすべ知らんといったです
これにはまいりましたね
作る術知らんといったですよ
ああ考えやなんかでものを作るなんて浅いことだと
それからですよ お前たちは少なくとも
確かなものを作りたいのなら確かな暮らしをせよと
こういうことなんですよ

すべてのものは自分の表現

美の正体 
ありとあらゆる 
物と事との中から
見付けだした喜び

助からないと思っても
助かって吾る

一人の仕事でありながら
一人の仕事でない仕事

自分は過去を無限の過去を生きて来た
自分は未来を無限の未来を見るものだ
自分は祖父だ 自分は孫だ

これから始まる未知の世界
何が起こるかまさに生き甲斐あるなり

私は木のなかにゐる石の中にゐる
鉄や真鍮の中にもゐる
人の中にもゐる 
一度も見たことのない私が沢山ゐる
始終こんな私は出してくれとせがむ
私はそれを掘り出し度い
出してやり度い
私は今自分で作らうが人が作らうが
そんなことはどうでもよい
新しかろうが古かろうが西で出来たものでも
東で出来たものでも
そんなことはどうでもよい
好きなものの中には必ず私がゐる
私は習慣から身をねじる
木だ見ぬ私が見度いから
「千考足思」より

76歳で亡くなるまでの39年間この家で暮らした寛次郎
多くの作品がここで生まれ 飾られ 
そこに人々が集いました

家は住める哲学
仕事は大事ですが暮しはもっと大事と言っていた
美しい仕事正しい仕事と言うのは
美しい暮らし正しい暮らしから生まれる

寛次郎を支え続けたのはつねでした
食籠(じきろう)を出していた 茶碗蒸し
発想がユニークだったのでお客様は喜んでいた
寛次郎の幸せは家内(つね)を得た事
内助の功が素晴らしかった
作品の背後には暮らしがある
見えないようでそれが含まれている

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