2024年2月26日月曜日

100分de名著ローティ❝偶然性アイロニー連帯❞3言語は虐殺さえ引き起こす

春遅し煩悩による四苦八苦
偏りのない正しさ持ちて春疾風
中道の精神で生く春の霜
近づくな遠ざけよ釈迦の言の葉(無季句)
寒き春苦しみ背負い生きたとて

■100分de名著❝ローティ偶然性アイロニー連帯❞3言語は虐殺さえ引き起こす
リチャード・ローティ
解説は哲学者 朱喜哲(チュ・ヒチョル)
虐殺器官
語り直すことにはダークサイドもある
どんな危険から避けるために言葉づかいを考えるべきなのか
文化政治という言葉を用いています
「文化政治」とは、どのような言葉を使うべきかをめぐって
なされる議論を典型とする。
フランス人はドイツ人を「ボッシュ」と呼ぶのをやめるべきだととか、
白人は黒人を「ニグロ」と呼ぶのをやめるべきとか言うとき、
われわれは文化政治を実践している。
というのも、そうした言語実践を放棄することによって
われわれの社会的・政治的目標―
ある人間集団どうしが互いに対して持っている寛容の度合いを
増大させることーが、促進されるからである。
「文化的政治としての哲学」より

どの言葉を選ぶことによって会話の帰結が変わってくる
モヤモヤを言葉にすることが哲学に残された唯一の使命
家の女と書いて「嫁」ケア労働というか「女性はそれやるべき」
という考えに乗っかっている
呼ばれ方そのものより呼ばれ方で体現されている社会的規範
それに反発を覚えた
言葉には1個1個歴史があってそれに対する帰結があったりする
どんな言葉づかいを選ぶかが「文化政治」哲学なんだ

ボッシュという言葉を使うと
「残酷」「野蛮」という意味合いが出てくる
偏見やステレオタイプを作ってしまう
呼び方が暗黙に前提とする社会的規範や
「こうあるべき」を問題にしていくとローティは考えている

こちら「千の丘ラジオ」君のそして俺たちのラジオだ
マリフアナ吸って盛り上がろう
ゴキブリどもを血祭りの上げよう
(ルワンダで流された放送)
ルワンダではこの年ジェノサイドが起こります

哲学者 リン・ティレル
第一段階:ことばを与える
第二段階:言語内での推論/「言い換え」
第三段階:行動を呼びかけ正当化する
フツによってツチがゴキブリのごとく虐殺されるようになった

ジェノサイドに至る言葉づかいの特徴
① 「われわれ/やつら」の線引きを行う
② 本質主義
③ 社会的に定着している
④ 行動を喚起する

何か私たちは本質的なものを共有しているはずだ②
「本質的に違う」ということになる①②
「我々」と「やつら」の間の線は揺るがない

推論的なものの怖さ
他の人種は違うかもしれない
俺たち日本人は特別にできると思ったら
本質主義我々/やつらの線引きが加わって排他的なものが生まれる

1992年ボスニア紛争勃発
セルビアの殺人者たちや強姦者たちには、
自分たちが人権を侵しているという意識がないのです。
かれらはそれを自分たちと同じ人間にではなく
「ムスリム人」に対して行っているのですから。
彼らは非人間的なことをしているわけではなく、
ただ本当の人間とにせの人間とを区別しているだけなのです。
「人権についてオックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ」より
中島吉弘・松田真由美訳

人権は役に立たない

トマス・ジェファソン
基本的人権などをうたった独立宣言を起草
1801年にアメリカ第3代大統領に就任

人間に対しての温かさや基本的な思いやり
非人間とされた者に対しての冷淡な残酷さ
矛盾なく同居してしまう
「人権はどうやって基礎づけるのか」
という哲学的探究も役に立っていない
本質主義が問題
何かしら本質的な違いによっ
「私たちは人間だけどあっちは違う」と言えてしまう
これがローティが最初から最後まで一貫して言っていた批判

「なぜその言葉を使うんだ」を知れ学べ考えろ

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