こだまする優しき言葉眠る山
冬北斗色褪せた時見える愛
寒潮や金を卑しむ事勿れ
金欠を生きる才能冬ぬくし
尊厳を放棄する人北颪
■文豪温泉Ⅱ 名作の陰に名湯あり
▪太宰治 走れメロス
友のために命を懸けて走る主人公を描いた作品
愛の作家 愛させるのが上手な作家
「信じられているから走るのだ。
間に合う、間に合わぬのは
問題ではない。
人の命も問題ではないのだ。
私は、なんだか、もっと恐ろしく
大きいものの為に走っているのだ。」
湯村温泉
天下茶屋にて一か月滞在
作家人生を変える運命の出会い
井伏鱒二宅で昭和14年1月8日挙式
喜久乃湯温泉(甲府温泉)
「メロスの足は、はたと、とまった。
見よ、前方の川を。
昨日の豪雨でどうどうと響きをあげる激流が、
木端微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。
今はメロスも覚悟した。
泳ぎ切るより他に無い。
メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、
必死の闘争を開始した。
押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、
すがりつく事が出来たのである。」
「突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。
メロスはひょういと、からだを折り曲げ、
飛鳥の如く身近かの人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、
たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に
さっさと走って峠を下った。」
「全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。
ふと耳に、潺々(せんせん)、水の流れる音が聞えた。
その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。
水を両手で掬って、一くち飲んだ。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
歩ける。行こう。
肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生まれた。」
山崎富江さんと玉川上水で入水自殺
遺書 津島修治
「美知子様 お前を誰よりも愛していました」
「富士には月見草がよく似合ふ 太宰治」
茶屋の近くで見た「富嶽百景」の名文句の 石碑
美知子さんは太宰治の小説家という才能に魅了された
太宰治を後世に残さなければという使命感
太宰の魅力を発信し続けた
■谷崎潤一郎 細雪
有馬温泉ゆかりの美しい光景
戦前の関西を舞台にした名家・蒔岡家四姉妹の物語
「こいさん、頼むわ。
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、
自分で襟を塗りかけていた
刷毛(はけ)を渡して、其方は見ずに、
眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を
他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん 下で何してる」と、幸子は聞いた。
悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」
「僕はあんな因循姑息なお嬢さんは嫌いです。
御都合はいかがですと云っても、はいあのう、はいあのう、
繰り返すばかりで、イエスだかノーだかさっぱり分らない、
問い詰めると聴き取れないような細い声で
ちょっと差支えがございますので…
と、やっとそれだけ云って、あとは一と言も云わない、
いったいあのお嬢さんは人を何と思ってるんです
「風呂の焚き口から風呂場へ通じるくぐり戸が
又五六尺開いていて、湯に浸かっている妙子の
肩から上の姿が、隙間からちらちら見える
「いかんいかん、占めたらいかん」と、
妙子が湯船から怒鳴った。
「おや、開けとくのでございますか」
「そうやねん。うち、ラジオ聴くのんでわざと開けとくねん」
「細雪」誕生のきっかけは一冊の髄筆
「陰影礼讃」っていうエッセイを書いて
影を褒め称える 日本の美学
古き良き日本の美について書いた髄筆
日本では影があるから美しいと語っています
「陰影礼讃」の最後に強い思い
「私はわれ〱が既に失いつゝある陰影の世界を、
せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、
無用の室内装飾を剝ぎ取ってみたい。
一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。
まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」
日本の陰の美陰影礼讃
「赤ん坊は遂に泣き声を立てないのであった。
妙子はそれから一週間後に退院したが、
三好の許へ引き取られることになり、
兵庫の方に二階借りをして、その日から夫婦暮しを始めた。
「雪子は二十六日の夜行で上京することに極まってからは、
その日その日の過ぎて行くのが悲しまれた。
それにどうしたことなのか、数日前から腹具合が悪く、
下痢が止まらないうちに十六日が来てしまった。
下痢はとうとうその日も止まらず、
汽車に乗ってからもまだ続いていた。
日本の伝統美を残したい
■金色夜叉 尾崎紅葉
裏切られた紅葉を包んだ温泉
明治時代を代表する小説で愛を金がテーマの愛憎劇
作品全体を通してある普遍性
金色夜叉は会話は口語体、その他は文語体になっている
「ああ寒い!」
「あら可厭(いや)ね、どうしたの」
「寒くて耐らんからその中へ一処に入れ給へ」
「この中へ」
「シォールのな中へ」
「可笑い、可厭だわ」
男は逸早く彼の押へしシォールの片端を奪ひて、その中に身を容れたり。
宮は歩み得ぬまでに笑ひて、
「あら貫一さん。これぢゃ切なくて歩けやしない。
ああ、前面から人が来てよ。」
半年後に結婚することが決まっていました。
しかし、貫一の知らぬ間に資産家の息子
富山唯継の求婚を受け入れていたのでした。
それを知った貫一は宮を追いかけて熱海へ
海岸で貫一は宮を説得
宮の気持ちは変わりません
「吁(ああ)、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。
一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、
月が…月が…月が…曇ったならば、
宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、
今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ。
この恨みの為に貫一は生きながら悪魔になって、
貴様のやうな畜生の肉を啖(くら)つて遣る覚悟だ。」
貫一は宮を蹴り飛ばしたのです。
紅葉も大きな裏切りを経験
山田美妙と日本初の文学結社「硯友社」を結成
同人誌「我落多文庫」を出版
そんな時新しい文学雑誌編集長をしてほしい…
結局、美妙は硯友社を脱退
貫一は冷徹な高利貸しへ 宮は後悔しつつ結婚生活を送っていた
別れてから6年後東京で再会
貫一は逃げるように仕事を兼ねて塩原へ
清琴楼の二階座敷に案内されたけど、
何気なく座敷に入りたる彼の眼を、又一個驚かす物こそあれ。
山百合の花のいと大きなるを唯一輪棒挿に活けたる
「今貴下方がかうして一処に死ぬまでも離れまい
と云ふまでに思合つた、実に謂ふに謂はれん程のものであらう、
と私は思ふ。
さうして、貴下方は二人とも末長く睦く暮して下さい。
私はそれが見たいのです!
今は死ぬところでない、死ぬには及びません。
三千円や四千円の事なら、私がどうでも為(し)てあげます」
貫一が金を肩代わりして命を救った
回顧(みかえり)の滝
看よ、看よ、木々の緑も、浮べる雲も、秀でる峰も、流るる渓も、
我はここに憂を忘れ、悲を忘れ、苦を忘れ、労を忘れて、
恋も有らず、怨も有らず、金銭も有らず、
我思を埋むるの里か、吾骨を埋るの里か。
塩原の大自然に感動し宮を赦す気持ちが芽生えた
宿に帰り一浴して後、宿の浴衣に着更へ
羽織を重ねて洗心瀑の探勝にと出立ちけり
案内記を手にして山と澗と名處と湯場とを巡回す(塩原紀行)
美妙と和解
二人で新雑誌を立ち上げる
直後、美妙が脳溢血で倒れ新雑誌は幻に…。
紅葉胃癌にて明治36年10月30日(35歳没)
金色夜叉は未完に終わる
しかし、弟子の小栗風葉が紅葉の残したメモを基に書きあげた。
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