2023年12月10日日曜日

アンリ・マティスとリディア・デレクトルスカヤ&稚児俳句

冬の空土徳なき人根無し草
玄冬や土徳に生きて生かされて
凍星や土徳育み伝播せり
北吹くや土徳と共に今日も行く
星冴ゆる土徳寄り添い変化せり

■ワルイコあつまれ(71)
稚児俳句
辻内京子 髙柳克弘 松尾葉翔

草(ネット用語で「笑える」という意味
季語 草萌(春) 草茂る(夏) 草紅葉(秋) 冬枯(冬)

着ぶくれて草とつぶやきつつ帰宅   辻内京子
読者が想像できる余白をつくった
着ぶくれ 冬の季語(革ジャン 毛皮 マフラー コートなどがある)
ポイント 説明的にならないように動詞は少なく 一句に対して一動詞
帰宅という動詞を使っている 着ぶくれてとつぶやきが動詞なので

月冴ゆる返信は草一字のみ   髙柳克弘
月冴ゆる 冬の季語 寒さで大気が澄み月が輝いて見えること
ポイント 季語で心情を表現する 月冴ゆるにさみしさを表現

北風くんあつすぎて草お宅の鍋   松尾葉翔
擬人化 人間以外のものを人間のように表現する
北風 冬の季語 季語を擬人化している
ポイント 17音で余白まで感じられるようにつくった方が良い

松尾葉翔の句 添削
鍋の部屋あつすぎて草虎落笛(もがりぶえ)   辻内京子
虎落笛 竹垣や柵に冬の激しい風が吹きつけて鳴る笛のような音

北風も舌焼くほどの鍋に草   髙柳克弘
ふたつの意味を持たせたことでやや深みが出た
擬人化すると句に躍動感が出る

草彅の「彅」はムズいよおぼえてね   松尾葉翔

■Facebook  Lenaemail Lenaemail  11月25日
「マダム・リディア」は、後に呼ばれたように、
1932年にスタジオアシスタントとして働き始めたとき、
アンリ・マティスのことを聞いたことがなかった。
1935年、リディアが初めてマティスのモデルになった。
「数ヶ月、多分数年たった後、
マティッサの暗くて洞察力のある視線が私に焦点を当てた」
- Delectorskayaは後で思い出した。
彼女はスタジオを管理し、モデルを整理し、ディーラー、販売者、ギャラリーと協力した...
すべてが時計のようにうまくいった" 彼女はクリエイティブなパートナーになった。
何十年もアメリアに属していた役割を引き継ぐ。
「私がマティスの妻だったかどうか知りたいでしょ。 "そしてノーとイエス。
物質的、言葉の身体的感覚 - いいえ、そしてスピリチュアルでは - イエス以上。
20年間、私は「彼の目の光」であり、彼は私の人生の唯一の意味だった」
とリディアはアーティストとの関係について書いた。
マティスは、彼女の最後の肖像画をボールペンで描いた翌日、1954年に84歳で亡くなった。
リディアは彼の家族が彼を葬儀に招待しないことを知っていたので、
彼女はすぐに立ち去り、スーツケースを荷造り、葬儀の準備に渡した。
彼女は残りの人生を一人で生きて、アーティストの遺産と仕事
彼の仕事のチーフスペシャリストとして、
彼女はマティスの展覧会や彼の祖国ル・カトー・カンブレーゼでの
博物館の開館を手伝った。
マティスによって彼女に伝授された約90の芸術作品が、
彼女はサンクトペテルブルクのエルミタージュと
プーシキンのモスクワ州立博物館に寄付された。
数十年後、彼女は自身の人生と仕事の経験についての2冊の本を書いた:
『Seeming Lightness』 (1998)と『Against the Winds and the Storms』
(1996年 リディアは84歳で自殺した。
彼女の最後の遺言は、「アンリ・マティスのシャツを私の隣に置いてください」
というメモでした。 ""

写真のアンリ・マティス(1869-1954)とリディア・デレクトルスカヤ(1910-1998)


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