2023年9月1日金曜日

司馬遼太郎「覇王の家」4

秋の風禅画をよぎる西洋画
籠抱え夕焼を背に虫の声
(デューラー)知的財産権主張野分(のわき)
滑舌の悪しきMC誘蛾灯(ゆうがとう)
秋の蚊や厄介者と言われけり

■司馬遼太郎 覇王の家4 後世の基盤をどう築いたか
「人の一生は重き荷物を背負って坂道を登るようなものだ」
晩年の家康の言葉です。
司馬遼太郎はこう言っています。
「このことばほど
 家康の性格と処世のやり方を
 よくあらわしたことばはない。」

徳川の功罪とは何なのか

徳川家康というのは、虚空にいる。
ということは、地上にいるなまの人間とはおもえないほど、
この男は自分の存在を抽象的なものにしようとしていた。

夏目漱石「則天去私(そくてんきょし)」
天に即して私を去る
私を去る努力が物の本質を発見するために必要だ
(空気を全部読み取って冷静な決断を出して粛々と行動する)

小牧・長久手の戦いで描かれた三河人の欠点
三河人の典型 安藤直次
名乗りを上げるなどは、おのれ一人を誇らんとするもの
手柄はすべて殿に帰すべきもの
無言でいい

アンチ三河 石川伯耆(ほうき)数正
「三河者は狭量 というのは、数正の口ぐせであった。(中略)
ふたことめには、「田舎くさいことをいう」とか、
「痴言(こけ)もやすみやすみ言え」などと、頭ごなしに決めつけた

「ほうきどのは、利口すぎる」
という評が、三河衆のあいだにある。
三河では利口働きは好まれぬ風があった。

「三代前は、美濃よ」と、ささやく者もある。
かれの祖父は美濃からきて、家康の祖父に仕えているのだが、
三河では三代つづいてもなお他国者あつかいをし、
―やはり気心が知れぬ。などと、陰でいったりした。

「瓜を食め。食みて言え」

「秀吉と付き合ってみろ、その襟度の広さがわかる。
 瓜売りがもっている瓜がうまいかまずいか、
 それを食ってみればわからぬように、
 まず秀吉とつきあってみることだ、それから論じろ」

正論には違いなかったが、正論はそれを言う者の人数が
その集団の中で稀少なばあい、命がけの発言にならざるを得ない。

数正は秀吉との緩衝材(かんしょうざい)になろうとした家康のために

阿部龍太郎先生は和正がお好き!

三河人の排他性
排他性の集団のような三河武士たちが作った江戸幕府
その江戸幕府の伝統を引き継いだ現代日本という構図
今の我々も同じ排他性を持っている
三河人と江戸っ子はつながっている

日本そのものを三河的世界として観じ、
外国人との接触をおそれ、唐物を警戒し、切支丹を魔物と見、
歴史的な大航海時代のなかにあって、外来文化のすべてを拒否する

江戸期にも現代にも通じている
その深層心理を正確に認識しなくちゃダメなんだ

司馬遼太郎からの宿題

家康「わしが死ねばどうなるか」
秀忠「天下は乱れると存じます」
家康「いいや、乱れまい」

人に領地を与える時の秘宝
大大名にすると富におごり江戸の将軍を軽んじる
貧しければ互いに気心をあわせ江戸を仰ぎみる
「徳川の世がつづくもつづかぬも、
 譜代の臣(しん)の結束いかんにあり、
 すべてそのためである」

「関ヶ原の戦い」「大阪冬の陣・夏の陣」が一切書かれない。
安部龍太郎先生によれば「一度書いたものは二度書かない」
「読者に対して親切でない」という
司馬遼太郎氏の作家倫理だそうです。

あとがき より
なまなかな天才よりも、かれはよほど変な人間であったにちがいない。

伊集院光
最大の賛辞 
阿部龍太郎先生には石川伯耆数正の話を書いてほしい

阿部龍太郎先生
我々が持っている言葉では説明できないと言う表現 
新しさを感じたのは司馬さんの挑戦する情熱
古さを感じたのは歴史的資料や歴史的解釈

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