2023年9月28日木曜日

西村賢太 破壊の無頼派

秋袷(あわせ)言葉の裏が透けて見え
秋彼岸氷浮かべた抹茶かな
秋夕焼蔦に覆われひっそりと
夕月夜神さまからのプレゼント
星月夜日々消えゆく遠き日よ

■魂を継ぐもの~破壊の無頼派・西村賢太~
人間、ダメなところなんて
いくつあってもいい。
今すぐ直そうと思う必要もありません。
むしろそれを覆い隠しながらの人生は、
厄介なものです。
ぼくは父親が恥ずべき犯罪事件を
起こした為、近所の目から逃れるように
夜逃げした過去があります。
この事実を、ぼくはずっと隠して
生きてきました。
今は小説中で、それらのことも
曝けだしていますが、もっと早くに、
かような過去を振り切っていれば
良かったと後悔しています。
「青き愚者の記録」

ダメな部分も抱えた生身の生を、
堂々と突き進んで行って下さい。

最早自分の原稿を採ってくれる媒体は
ただ一誌きり
短かった書き手生命も、
いよいよの風前の灯しび
「一私小説家の日乗~野生の章~」

今の貫多の心情は
何やら晴れやかであった
何度も述べているように、
彼はもう
とっくに人生を棒に振っているのだ。
考えてみれば、
人生を棒にふっているものに
今年も来年もない。
一切、関係がない。
本当の始動は、今からである。
自分の為すべきことは
やり続けるより他はない。
「―まあ、たいしたことじゃねえわな」
「蝙蝠(こうもり)か燕か」

▪西村賢太氏が尊敬していた藤澤清造の言葉
それにつけても金の入る方法はないものか。
そうだ。
私に金さえ持たせてくれるなら、
私は失いかけている健康も、
回復することができるのだ。
しかし、其の金を得る方法は、悲しいかな
現在の自分には恵まれていない。
恵まれていないとすれば、所詮は
盗み騙(かた)りをする外には仕方がない。
ところで私には、
それを断行する意思がない。
「ああ、何時まで
こうした生活を続けねばならないのか。」
藤澤清造「根津権現裏(うら)」より

一読して泣きたいほどの共感を覚えた。
満たされることのない
暗い青春の鬱屈と怒りが充満していた。
〈ああ、何時までかうした生活を
続けねばならないのか。〉
と云う作中主人公の嗟嘆(さたん)は、
殊に心に響いた。
冴えない自分の人生は、
この私小説の航跡が
唯一無二の道標になるように思えて
ならなかったのである。
こうなれば、最早、
泣いている場合ではなかった。
能登の七尾に在す
その墓(西光寺)に向かったのは、
一九九七年の三月下旬だった。
通り一遍の展墓ではない。
すがりついたのである。
西村賢太

土下座して清三さんの横に墓を建てさせてくれ
西光寺住職 高僧英淳

十月四日(月)
痛みにより、
浅いうたた寝で夜を明かし、昼に至る。
入浴もできず。
悪いことに煙草もあと一箱しかない。
けれど依然、室内歩行もままならぬ状態。
やむなく朝日書林の荒川氏に電話をして、
拙宅まで来て頂く。
買い物を依頼。
「一私小説家の日乗~這進の章~」

果てもなき暗渠(きょ)の中の一本道 西村賢太

2022年2月4日
赤羽でフライドチキンを買った西村さんは
タクシーの中で倒れる
そのまま目覚めることもありませんでした
54歳の若さでした

ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E8%B3%A2%E5%A4%AA
1967年(昭和42年)7月12日 - 2022年(令和4年)2月5日

合掌…。
青葉真司と同じ匂いがするのですが私だけでしょうか❓

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