2023年5月4日木曜日

新約聖書 福音書 より

東風(こち)受けん茂る緑の通天橋
七百株の牡丹艶やか光厳寺(みつごんじ)
座して禅食べる妄想日永かな
春を食ぶ五感を刺激禅の膳
強き雨柔くしっとり花水木

■100分de名著 新約聖書 福音書 より
1 悲しむ人は幸いである
洗礼者ヨハネの言葉
「わたしは水であなた方に洗礼を授けるが、
 わたしよりも力のある方が来られる。
 (略)その方は精霊と火で、あなた方に洗礼を
 お授けになる。」(ルカ3:16)

自分の貧しさを知る者は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人は幸いである。
その人たちは慰められる。
柔和な人は幸いである。
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人は幸いである。
その人たちは満たされる。
憐み深い人は幸いである。
その人たちは憐みを受ける。

「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。」
 『私が望むのは犠牲(いけにえ)ではなく、憐みである。』
 ということが何を意味するか、学んできなさい。
 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
 罪びとを招くためである。」(マタイ9:12-13)

2 魂の糧としてのコトバ
福音書は文字によって読まれてはならないのです。
あの夥(おびただ)しい経巻(きょうかん)は、文字を超えようとする文字なのです。
言葉なき境にその言葉を読まないなら、
真理の扉を開くことは出来ないのです。
(柳宗悦「柳宗悦宗教選集 第二巻 神について」)

「『人はパンだけで生きるのではない。
  神の口から出るすべての言葉によって生きる。』
 と書き記されている」。(マタイ4:4)

 イエスは、
 「わたしにはあなた方の知らない食べものがある」
と仰せになった。(ヨハネ4:32)

初めにみ言葉があった。
み言葉は神とともにあった。
み言葉は神であった。
み言葉は初めに神とともにあった。(ヨハネ1:1-2)

この世はみ言葉によってできたが、
この世はみ言葉を認めなかった。
み言葉は自分の民の所に来たが、
民を受け入れなかった。(ヨハネ1:10-11)

おまへがたべる このふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兎率(とそつ)の天の食(じき)に変わって
やがておまえとみんなとに聖(きよ)い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ 宮沢賢治「永訣の朝」

3 祈りという営み、ゆるしという営み
「これらの物はここから運び出せ。
 わたしの父の家を商売の家にしてはならない」(ヨハネ2:16)

あなたの祈る時は、奥の部屋に入って戸を閉め、
隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。
あなた方は祈る時、異邦人のようにくどくどと言ってはならない。
(略)
あなた方の父は、あなた方が願い前に、
必要とするものを知っておられるからである。(マタイ6:6-8)

「アッバ、父よ
 あなたにはおできにならないことはありません。
 わたしからこの杯を取り除いてください。
 しかし、わたしの思いではなく、み旨のままになさってください」。(マルコ14:36)

人の過ちを赦すなら、
あなた方の天の父もあなた方を赦してくださる。
しかし、あなた方が人を赦さないなら、
あなた方の父も、あなた方の過ちを赦してくださらない。(マタイ6:14-15)

4 弱き者たちとともに
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
(わたしの神、わたしの神、
 どうしてわたしをお見捨てになったのですか)(マルコ15:34)

わたしがあなたがたを愛したように、
あなた方が互いに愛し合うこと、
これがわたしの掟である。(ヨハネ15:12)

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