2023年3月8日水曜日

蒲生氏郷辞世の句&北條民雄「いのちの初夜」

生き残りかけ鳥の競演春の空
朧月愛と絆の一体感
遂に成功空飛ぶクルマ浮上せり
二人静独占欲の殺戮
いちご大福三個食たいらげた春

■蒲生氏郷 辞世の歌(興徳寺 福島県会津若松市)
限りあれば
吹かねど花は
散るものを
心みじかき
春の山風

■100分de名著 北條民雄「いのちの初夜」
絶望の底にある希望

北條民雄の作った童話
体がどんなに小さくても、
あの広い広い青空も、
そこを流れて行く白い雲も、
それから毎晩砂金のように光る
美しいお星さまも、みんな見えます。(中略)
それから、
誰も見てくれる人がいなくても、
わたしは一生懸命に、
出来る限り美しく咲きたいの。
どんな山の中でも、谷間でも、
力一パイに咲き続けて、
それからわたし枯れたいの。
それだけが
わたしの生きている努めです。

北條民雄の友人の回顧
彼は血色のいい顔をして、
眼はきらきらと輝いていた。(中略)
いつもの彼とは容子が違う。
それが死ぬ前の最後の燃え上がった
生命の力であるとは
私は気がつかなかった。
おれは恢復する、おれは恢復する、
断じて恢復する。
それが最後の言葉であった。
東條耿一「臨終記」より

1937(昭和12)年12月5日早暁
北條民雄 死去

早朝なくなりましたが、その日の夕方には
川端康成が駆けつけています。
肉親でさえ遺骨を引き取りに来ませんでした。
川端康成は霊安室で北條の顔を確認しています。
北條の死の翌年(1938年)
川端の編纂した「北條民雄全集」が刊行
北條に対する川端康成の最大の賛辞

中江有里女史
北條民雄が生きた証としてこれを残した
生きるということを本当に真正面に向かて
書いた人なんだと胸を打たれた

伊集院光氏
自分がなにかに絶望して
世の中で独りぼっちになっときに
「さぁ何ならできるんだ」
と考えると生きていける
この本から一番与えてもらったこと

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