2023年3月5日日曜日

俵万智 プロフェッショナル仕事の流儀

永遠求め変化続けん竜天へ
阿波と記し過疎と読むらん花曇
春コート歳を忘れてバーバリー
春の泥詩と人生の比例なき美
春の風邪インフル?コロナ?花粉症?

■プロフェッショナル仕事の流儀 俵万智
「サラダ記念日」から36年歌人俵万智は「存命なう」

「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日

言葉に関してはしつこいよ 根に持つタイプ

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
小野小町

思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
ノンフィクションカメラの朝のパトロール現行犯で今撮っている

我が部屋に銀杏降らねば小さめのゴミ箱探す東急ハンズ
添削
小さめのゴミ箱探す霜見月イチョウ降ることなきリビングに

言葉になっていない言葉を捕まえろ
皆が感じているけれど、まだ言葉になってない
感情とか思いとか風景とか出来事とかに
言葉で印を付けていくっていうか
それが詩のひとつのかたち
大きな仕事だと思うんですよね

おしゃべりな洗濯機今日は「こんにちは」のみにてなんだ、寂しいじゃないか

商品名よく見ればヤワラカクナールでなくてヤワラカナール
五十肩正式名称肩関節周囲炎也深夜激痛

街角ですごい久しぶりに直立不動型のポストを見つけたりとか
何かほんとに不意にやってくるよね
そういうときめきや思いがけないことっていうのは
日常って同じことの繰り返しのようで平凡で
どちらかというとつまらないものって
いう風に思われがちかもしれないけれど
平凡な日常は、油断ならない

もう一つのこだわりは悲しいだけの短歌は詠まない
肯定する なにか物事を否定的に見るんじゃなくて
できるだけいいところを見つけることに
自分自身がときめく そういう性格っていうか
そういうさががあるんだけれども

さよならに向かって朝がくることの涙の味でオムレツを焼く
(たとえ9割悲しくても残り1割の前へ進む気持ちを歌にする)

又吉直樹氏の好きな短歌
疑わずトラック駆けてくる一人すでにテープのないゴールまで

デートって約束っていうことだからね
約束した時からデートは始まっている
というのが私の説だし
今日は約束してるからデートって言ってもいいと思う

思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花

潮風に君のにおいがふいに舞う抱き寄せられて貝殻になる

恋をするということは
すごく心が柔らかく敏感になることだから
ほかの日常の歌もすごくたくさんできる

恋の歌するりと逃げて藪の中三人で見るイルミネーション

だからやっぱり現実を反映するんだね歌はね

渋いことあったら私も試そうか皮をむいたり茹でて干したり
(茹で時間は5秒)

模様から模様作らず言葉から言葉つむがずなんやろねって
20年くらい心に沈殿している言葉が
浮かんでくるということもあるんですよね

短歌っていうものに出会ったときにここは自分の居場所だし
ここは自分のやりたいように
やろうっていう気持ちもあったと思うし
自分が歌を作るんだったら
自分の表現として作ればいいっていうのは
割と最初から揺らいでなかったと思いますね

本当(短歌は)魔法のつえだなと思って
うれしくて楽しくて仕方がなかったんだけど
だんだんそのつえが手になじんできたら
いろいろそれで悪さもしたくなるっていうか
お皿に凝ったり器に凝ったり盛りつけに凝ったり
ソースを工夫したりっていう感じで
歌を出すっていうことの
チャレンジはいちばんした歌集ですね。(チョコレート革命)

水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

生きるとは手を伸ばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり
眠り泣き飲み吐く吾子とマンションの五階に漂流するごとき日々
最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て

原点に戻してくれたなっていう感じはあった
初めて短歌に出会って作る喜びを知ったときの感じ
器とかいらんやんソースとか盛り付けとか関係ないっていうかさ
言葉から言葉をつむいでいくとどんどん心が置き去りにされる
だから言葉と心は一体だってことを忘れずに言葉は使うってことかな

言葉には心が張り付いている

欲しいものたくさんあるのに買えないの君の隣は高いんだから
月1回ホストクラブでホストが詠んだ短歌

自分ももう60になろうとしていて
自分自身もやっぱり老いていったり病気も結構したりして
そうするとますます気分としては否定的になる人が多いかもしれない
でもここまで来たらやっぱり老いとか病も
すごく意味のある肯定的なものとして捉えて
歌作っていけたらいいかなっていうようなことを
ちょっとぼんやり考えた

言葉そのものの歌って凄く難しいですよね
中々下の句が見つからなかったんだけど
これもやっぱりアボカドの水栽培が大好きで
しょっちゅうやっているんだけど
アボカドはなかなか芽が出ないし
根も生えてこないんだけれども
それぐらいの感じで待ってても
いいんじゃないかなと思って
「言葉から言葉つむがず」のあとに
「テーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ」

言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ

それが一大事であれる日常ってさなんか平和だよね
それに立ち止まらせてくれるのが短歌なんですよね
逆に短歌を作っているから
そういう自分でありつづけられるんですよね

デザートは蕎麦湯かためてところてんつるりと喉を落ちてゆく秋

父に出す食後の白湯をかき混ぜて味見してから持ってゆく母

タイトルは「アボカドの種」でいいかなあと思っているんです
タイトルにする歌っていうのは
自分の短歌観って言うと大げさだけど
歌集なんかは特にそうなんですよ
自分の短歌観を反映している歌
あるいは言葉を取るんですけど
このままどうなっていくのかなあっていう
先が見えない感じもあったんだけど
べつに何かデカい鉱脈なくても
やっぱり平凡に普通に生きている中で
歌はいくらでも詠めるんだっていうことを
この数か月しみじみ思えたんです

人生は油断ならない還暦の木箱に小さな恋のブローチ

いい年こいて恋の歌詠んでいることに対する
内省があるっていうのは大事よね
一応いっておいたほうがいいよね(ご子息)
誰かに何か言われる前に自分からひと言(ご子息)
言われなくても分かってるからね

プロフェッショナルとは
むっちゃ夢中とことん得意
どこまでも努力できれば
プロフェッショナル

私感
好き好き大好き!
俵万智女史のことが益々好きになってしまいました。
「言葉から言葉つむがず」俳句に精進いたします。

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