夏の風弘法麦(こうぼうむぎ)は身を任せ
砂浜へ弘法麦の集まらん
強き風弘法麦は受けて立つ
神山を酢橘の花の甘き香
俯かんフリチラリアの重き愛
■心おどる あの人の本棚⑧京極夏彦(小説家)
一度買った本は手放さない 背表紙の見えない本は一冊もない
1994年小説家デビュー
漫画家 水木しげる(1922~2015)の弟子を自認
書籍はインテリアじゃない
取りやすく並べやすく整理整頓されていることが一番大事
「ため」にする読書はできない
お化けとか妖怪は「ドーナツの穴」みたいなもの
小学生で読んだ本 定本柳田國男集 第四巻
時間も手間もかかったが面白い読書でした 京極
本からくみ取れることは情報だけじゃない
中学生で読んだ本 日本民俗学全集
運動ができない子だったんで自転車もグローブもバットも持ってないし…。
クラスメートが持ってるようなお子様が欲しがるものを一つも欲しがらなかった
未だに自転車に乗れない。経費のすべてを書籍に使って貰った
僕、人間的に成長しないので今とほとんど変わらないと思う
上京後の思い出の本 日本名所風俗図会 全19巻 池田弥三郎 他
この本を売って別の本を買った。のちにまた買った。
生活のためとはいえ痛恨の極み…。
なぜ本をとっておくのか? なぜ本を捨てるのか?
本が増えすぎても捨てるという選択肢はない。
分類して並べている 組み合わせは無限にある
分類 組み合わせ 整理整頓 グループに合わない本を見つける
新しい本と入れ替える グループをぴったりの棚に移動する
取り除いた1冊も新たな組み合わせを作る
1㎜の隙間も20個集まれば2㎝!背表紙を必ず見せる
本の平積みはしない 上の本は飛んできて頭にあたる
本は崩れると踏んだときに滑る
水木楼 水木しげるの本が全て揃えられている
コレクション?読みたいから買う
水木しげる漫画大全集 別冊など含め全114巻 責任監修 京極夏彦
「おまえが持っていればどこにも行かないだろう」と、
何度断っても運んでくる人がいる その結果酷いことになっている
ソフトビニール製の人形が好きな友人が持ってくる
グッズを並べるはずの部屋ではなかったという京極さん
のんびりしたかった部屋がテーマパークと化している
書庫
半年に一度は総入れ替えしている (連載中で)巻数が増えていく漫画がある
どこで終わりになるかわからない 最新刊が出たら即、動かす?
本棚を作る時は余裕を持って これは必要な遊び 遊びは大事
整理整頓をして隙間を作る きちんと生活することで余裕を作る
私感
面白かった…。
涙を流しながら、肩を震わせながら拝見いたしました。
京極夏彦先生があんなに面白い先生だとは存じ上げませんでした。
9回裏逆転満塁ホームランでした。
またのTVご出演が楽しみでなりません。
■先人たちの底力 知恵泉
伝説の❝蕩尽(とうじん)王❞薩摩治郎八 金は粋に使え
薩摩治郎八(1901~1976)
肩書やお金に捉われない人生
1922年 家族の反対を押し切りパリの移住
パリは狂乱の時代
1923年 関東大震災
知恵その一 世のために❝生きた❞お金を使え
1924年 父からの再三の要請に応じ日本に帰国
妻 千代と結婚
広田弘毅が訪ねて来た パリ日本館への出資を依頼させる
パリに帰った治郎八はアンドレ・オノラと会う
「自分のためというより世界の出来事の中で自分の仕事を見つけて
それを発揮していきたいと思う人たち 次の時代の
世界の平和を作っていく土台になればいい
42億円全てを自己負担 金は出すけど口は出さないという切符の良さ
1927年パリ日本館完成 1929年 世界恐慌
1935年薩摩商店 閉店 1939年フランス・ドイツに宣戦布告
私はこの危機をどんな事情があっても傍観してはいられぬ
畳の上で犬死はできぬ 切っても切れぬ関係のある仏蘭西
(中略)
帰欧は当然の義務である
1939年治郎八 フランスに再び渡る
救出活動に参加
自分の犯した罪を訪ねられた時の治郎八の言葉
自分が犯した大罪があったとしたら
それはフランスを愛し過ぎたということでしょう
平均的な物差しでものを見ていない
やらなければいけない種類の事柄がある
それをやると自分も幸せだ それをやっちゃえ 小林茂
フランス外人部隊に行ってた!?これに関しては怪しい…。
ジャン・コクトー モーリス・ラベル(作曲家)
アンリ・ジル⁼マルシャックス(ピアニスト)と親交があった
フランス系のピアノ音楽を日本で大々的に広めた
人も楽しませたけれど一番楽しんでるのは本人
みんなで楽しむ 自分も楽しむそこにはいろんな夢がある
1951年 治郎八 12年ぶりに無一文となって帰国
ミモザ シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物、
自転車競技も 日本に紹介した
知恵その二 粋な人生にお金は関係なし
浅草のストリップ劇場に足しげく通うように
運命の出会い 20代半ば 文学好きで教養豊かな利子に惹かれた
結婚を申し込む 30歳差のプロポーズに困惑した利子
1956年 治郎八と敏子結婚
美輪明宏さん 神武以来の美少年って薩摩治郎八が名付けた
治郎八さんは人間の真価や物の価値をお金に換算するような
賤しい真似は決してなさいませんでした
超一流のレストランの味を知っていながら場末の食堂の
定食でもおいしいおいしいと召し上がっておいででした
狭苦しいアパートでもセンスよく暮らしていた
こういう暮らしもなかなか面白いと笑っていました
治郎八さんこそ本当の意味で豊かさを知る粋でオシャレで
優しい紳士でした そしてその本領は無一文になってから
発揮されたのです
1969年 利子の故郷・徳島で脳卒中で倒れる
汽笛が聞こえる静かな港町で妻に支えられながら
1976年 薩摩治郎八 死去 享年74 波乱万丈の人生でした
我も楽しみ人も楽しみ そのために出し惜しみはしない
粋を狙うと野暮になる 林家正蔵
感受性とインテリジェンスを利子さんに見いだしていた
私感
こんなに魅力的な男性‼見たことがありません。
バロン薩摩に乾杯!
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