飛び跳ねる魚をゲット川鵜かな
集団でウグイを襲う川鵜かな
環境に負けず繁殖川鵜かな
終わりあるゴールに向けて玉の汗
夢枕起きてまた夢汗拭ひ
■夏井いつき俳句チャンネル
【特別投句企画】結果発表ファイナル!最優秀句は…?【丼宙杯】
正人賞
こち亀の背ヤケ良夜の麺ふたつ 水京
いつき賞
ラーメンや出口まぶしき海の家 葦屋蛙城
丼宙杯1位
吾に春は来ぬさう決めて綴りけり 広瀬康
丼宙杯2位
雪国の文房具屋にラーメン屋 奈良香里
丼宙杯3位
ラーメンのナルトの価値を蝶に聞く 秘英知
糸井重里氏の選考にひたすら拍手❣
さすがでございました。
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「卯月曇」
こういう天文の季語 空模様についての季語というのは
沢山ありますね
卯月雲 それに梅雨雲 梅雨晴 五月晴など この夏の
空の季語というのは沢山あります 「卯月雲」は陰暦の4月頃
現在の陽暦でいうところの5月頃位のどんよりと
曇った空のことをいいます さらにこの夏の中でも
細分化すると初夏のあたりの季語になってくるんですね
この曇り空が段々続いていくとこの梅雨がやって来る
梅雨の先駆けのようにして 陽暦5月陰暦4月の空が曇っている
そんなこの前触れのような季語でございます
■新美の巨人たち【未完の絶筆・神田日勝「馬」】
画家 神田日勝(1937~1970)
「どういう作品が生まれるかはどういう生き方をするかにかかっている」
馬(絶筆・未完)1970年 油彩・べニア板
縦183㎝ 横204㎝
「絵を描くということは排泄行為と同じかな
我慢できなくなったら漏らしてしまうだろ」
「九月十五日 私が訪ねた時の日勝はサイロ作りの最中で
たった一人でブロックを積んでいた
秋祭りの日だけはどこの家でも畑仕事は休んでいた
すぐ軍手を借りサイロ積みの手伝いを始めた
翌日、私の掌にはいくつもの豆が並んでいた
婚約者として過ごした二人だけの秋祭り
私の掌にも心にも大きな収穫があった」
神田ミサ子「私の神田日勝」より (普通に朗読して欲しかった…。)
「食うために農業をやりながら絵を描くいまの状態は変えられませんョ」
「長い間 単調な絵ばかり描いていたら
強烈な色への欲望が押さえられなくなった」
北海道新聞(昭和44年)より
「顔と前足だけが出来上がり残りは全部ベニヤ板のままだった
それでも『馬』は立っているし じっとこちらを見ている
切ないほど悲しい眼をしてこちらを見ているのだが
自分の体調を考えると 十月に東京で開催される独立展にも
間に合いそうもない 彼はあせっていた
神田ミサ子「私の神田日勝」より
重い敗血症に侵されていました
病床で妻に囁いた言葉
「ロウソクの灯ってね 消えてなくなる時
一刻だけボウーと最後の炎を大きくするんだよ」
神田ミサ子「私の神田日勝」より
1970年8月25日 永眠 神田日勝 32歳
そして 馬が残された…。
長男 哲哉の言葉
「彼が『何か、へんなんだよね』と首をかしげている
「何がへんなの❓」
「うちにみんないるでしょう。僕はお父さんんもいるような
気がするんだけどいないんだよね きのうもね、僕はぜったいに
お父さんはいると思ってアトリエに行ったんだけど やっぱり
いなかったんだよね そして、あの馬だけが僕の方を見ていたの
人が死ぬって姿が見えなくなることだけなのかな」
神田ミサ子「私の神田日勝」より
■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん
【中尾ミエが「スパーク3人娘」の関係告白】
昭和の大先輩 中尾ミエの言葉
「人生無駄なく生きる 中尾ミエ」
ありのままのお姿は輝いておられました。
包み隠すことなく、偽りのない姿勢って
本当に素敵でした。
今後の我が人生の指針とさせていただきます。
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