2025年5月11日日曜日

あの人に会いたい 唐十郎

トランプ氏不満溜まりてくされ潮
思い込み?周りの国は玉の汗
経済へ政治を利用夏の星
深き海霧(じり)老人による勘違い
ハンモック真実を知れ恥を知れ

■あの人に会いたい 唐十郎(劇作家・演出家・俳優)
2024(令和6)年 84歳没

悪意があったですね かどわかしてやるとかね
つまり現実社会を忘れさせちゃって 芝居の世界が
現実だと思わせてやるとかね あんたらの夢の中に
もう1回 この芝居は現れるぞとかね 
1983年「佐川君からの手紙」で芥川賞 受賞

小学校2年生のときに呼び出されたと言うんですよ 先生に
「変だ」って言うんです お宅のお子さんは そして母親が
見に行ったらば 黒板を見ないんですって 僕 校庭の
すべり台をジーっと いつまでも見ているらしいんですよ
ある一点を凝視してしまうと それは何でだろうかって
いろんなイメージを入れ込みながら 何か読み込もうと
しているっていうふうな 何か癖があったんでしょうね

運命的な出会いがありました
詩人・劇作家 寺山修司さん

デリケートでありながら 魔王のような 詩的腕力を持った
偉大なる詩人だと思っていましたね 

一方的に原稿を送りつけ 1週間後「読まれたでしょうか❓」
って言ったら 「ああ読んだ読んだ!あれ変だな」「ストレンジャー」
とかね「不思議だ」とか ということを言ってくれたんで
「こりゃいいや」と その後寺山さんに会い勲等を受けた唐さん
一気に演劇の道にのめり込んでいきました

1963(昭和38)年 劇団(のちの状況劇場)を結成

明日のことは知らない いま この燃えたぎる青春の嵐
この中を俺は泳いでいくだけだとかいうロマンチシズム
「状況劇場」という名前にはこだわりがあるんですけれどね
「いつも状況の真っただ中にいる劇場」っていう
意味だったんですよ 

1967(昭和42)年 東京・新宿の花園神社で初の「赤テント」公園

大河ドラマ「黄金の日々」(1978年)劇団員を引き連れ出演
このドラマには市川染五郎(現二代目松本白鵬) 根津甚八も出演

ずいぶん いろいろ格闘しましたよ テレビの方をまず見てくる
お客さんが全席陣取っちゃうんですよ (話の筋を)追いかけて
見なくてちょっとした現象を見て笑うってお客さんが多かったんで
ちょっとイライラいらだったんですね

紅テントから外への僕は遠征 襲いかかる外に向かって
と言っているんですよ そういう仕事をして戻ってくるとき
舞い戻り お土産話を持ってくる これが大事なんです
往復運動やることが大事なんですよ これをだから
続けて欲しかったですね 

1988年「状況劇場」解散
1980年代ってバブルに浮かれた10年間 これは狂っていましたよ
日本列島中が怖かったですよ 観客の顔が一番変わったときですね
「いろんな文化があるんだよ 芝居なんかその一単位なんだよ」
「たまたまそれを のぞきにきているだけですよ 私は」って言う顔
引いているんですよ 舞台に対して顔が これをどう挑発していいか
分からない それとダブりますね 「状況劇場」って看板を
1回畳んだのは
平成元年 唐組を旗揚げ
唐組「電子城―背中だけの騎士」(1990年)
平成9年 横浜国立大学 教授に就任
教えっぱなしだと血を吸われちゃうから 学生諸君の血を吸ってやると
感性を吸うっていうことですね 世代的にはかなわないですよね
ニ十歳前後に その二十歳前後の若者が いま何を考え どんな
感性の中で泳いでいるかっていうことをね 嗅ぎ分けて吸ってやろう
という気持ちね 

2003(平成15)年「泥人形」鶴屋南北戯曲賞などを受賞
「舞台 行商人モネ」(2007年)

現実と虚構の狭間で独走的な作品を作り続けた84年の生涯でした。

自分の正体を見失って ああだろうか こうだろうかって
さまよい歩いているような過酷な時代 自分の正体が
分からないから あの手この手でいろんな手を打って
そして その中に自分らしさが見えてくると 「ああ」って
何とかクリアしたような気持ちになったりするわけで 自分自身を
外に表出するっていう言葉がありますけど 表に出す 表出する 表す
それをやらないと 人はもう窒息しますよね 

劇作家・演出家・俳優
唐十郎
1940-2024

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