ぱらぱらと黄砂交じりの夏の雨
オランダを阿波で魅せますイペの花
石楠花で埋め尽くされた徳円寺(佐那河内)
甘き香カウスリップや俯かん
夏の空忍冬(すいかずら)と尾長の赤(田中一村)
■100分de名著 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」④
沼野充義 伊集院光 阿部みちこ
テーマは「闘争」と「救済」村上春樹の新境地
トオルのもとに間宮中尉から長い手紙が届く
ドストエフスキーの「罪と罰」にも長い手紙が登場
現代の東京ではトオルが綿谷ノボルと対決している
間宮中尉は終戦直後シベリアの「悪」との対決
並行して進んでいく
間宮中尉とは秘密作戦中ロシア人将校に捕まる
一緒にいた山本は皮を剥がされ死亡
「皮剝ぎボリス」
彼の計算は悪魔のように綿密で冷静でした。私たちのまわりからは
たしかに意味のない無用な暴力は姿を消しました。そのかわりに
そこには新しい種類の冷酷な計算ずくの暴力が生まれたのです。
いいかマミヤ中尉、この国で生き残る手段はひとつしかない。
それは何かを想像しないことだ。想像するロシア人は必ず破滅する。
私はもちろん想像なんかしないね。私の仕事はほかの人々に
想像をさせることだ。気の毒だが君は私の呪いを抱えて故郷に
戻ることになる。いいかい、君はどこにいても幸福にはなれない。
君はこの先人を愛することもなく、人に愛されることもない。
それが私の呪いだ。
私は完膚なきまでに負けたものであり、失われたものです。
いかなる資格をも持たぬものです。予言と呪いの力によって、
誰をも愛することなく、また誰からも愛されることのないものです。
しかしこの話を岡田様にようやく引き渡せたことによって、
私は少しは安らかな気持ちをもって消えていくことができるような
気がします。
冷酷な悪「皮剝ぎボリス」の造形
参考文献 ラヴレンチー・ベリヤ(1899~1953)
スターリン体制を支えた政治家
時空を超えた呼び交わし ボリスに表されている暴力や悪
現代の日本にも無関係ではない
僕は君のことをクミコだと思っている 彼は今その力を使って、
不特定多数の人々が暗闇の中に無意識に隠しているものを、
外に引き出そうとしている。それは本当に危険なことだ。
彼の引きずりだすものは、暴力と血に運命的にまみれている。
そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇までまっすぐ
結びついている。「僕は君をもとの世界に連れて帰る。しっぽの先が
曲がった猫がいて、小さな庭があって、朝に目覚まし時計のなる
世界に連れて帰る」
「あなたにひとつプレゼントがあるのよ」と彼女は言った。
「たいしたプレゼントじゃないけど、役に立つかもしれない。略」
それは野球のバットだった。「逃げて」、はっきりとした
クミコの声が僕に言った。「今ならまだあなたは壁を抜けることができる」
「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。
「僕は君を連れて帰る」僕は目をつぶり、何も考えず、
その音のあたりにとどめの一撃を加えた。そんなことをしたくなかった。
でもしないわけにはいかなかった。憎しみからでもなく恐怖からでもなく、
やるべきこととしてそれをやらなくてはならなかった。暗闇の中で
なにかが果物のようにぱっくりと割れた。まるで西瓜のように。
彼の引きずりだすものは、暴力と血に運命的にまみれている。
そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇まで
まっすぐ結びついている。
トオルが語る綿谷ノボルの「悪」
倒れた「何か」の姿は見てはいけないクミコが言う
「悪」の本質は形を見定めることができないものではないか
1980年~1990年高度資本主義の時代
冨や権力がごく一部の人に独占される
強い「システム」が成立
弱い「個人」は強い「システム」の暴力性の中で苦しむ
弱い個人が上げるのは常に小さい声 「小さな声」が大事
「小さな声」をちゃんと拾って聞いていくことが大事なんだという姿勢
「怒り」を引き出してきて 人々を操作すると大きな暴力を
ふるう構図がでてくる 暴力自体が正当化されかねない
トオルとノボル=鏡像関係?
気がついたとき、僕はやはり暗黒の底に座っていた。しかしそれは
いつもと同じあの井戸の底ではなかった。僕のまわりには水があった。
それはもう涸れた井戸ではなかった。手足の力がまったく
失われてしまっている。水面は既に喉もとまで達していた。
結局のところ、僕はこうして井戸をよみがえらせ、そのよみがえりの
中に死んでいくのだ。そんなに悪い死に方ではない、と僕は自分に
言い聞かせてみた。
「ねじまき鳥クロニクル#17」
私はよくあなたの夢を見ました。それはとてもはっきりした
前後の繋がりのある夢でした。夢の中ではあなたはいつも私の行方を
必死に探し求めていました。少なくとも私には夢を見るだけの
力は残っていたのですね。それは兄にも止められないことでした。
私はこれから病院に出かけなくてはなりません。私はそこで兄を
殺し、そして罰せられなくてはなりません。どうか猫を大事にして
ください。私はその猫が戻ってきたことを本当に嬉しく思っています。
たしかサワラという名前でしたね。私はその名前が好きです。
あの猫は私とあなたとのあいだに生じた善いしるしのような
ものだったのだと、私は思っています。
「夢の中で責任が始まる」詩人イェーツの言葉
短編小説「夢の中で責任が始まる」(1937年)デルモア・シュワルツ著
「海辺のカフカ」(2002年)に引用
夢(想像力)の中で人間の責任 戦いは始まっている
それが現実につながってくる(岡田トオルが実践していること)
希望を残して終わっている
それまでの村上春樹は「喪失」の物語が多かった
「ねじまき鳥クロニクル」では失ったものを戦って「取り戻す」
村上春樹の作風「デタッチメント」(つながりからの離脱)から
「コミットメント」(参与)へ
物語はなぜ「閉じた」のか?閉じる予感を感じさせながら終わった
詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの言葉 「一目惚れ」より
(人生の)出来事の書はいつも途中のページが開けられている
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