2025年5月31日土曜日

一人飯で一句&十一世西川扇蔵襲名&堂本光一×羽生結弦

無季句

細胞と遺伝子だけは生き続く

(絶滅危惧種)キタシロサイや最後の雄の死没

2頭となったキタシロサイの明日

人間へ豚の臓器の移植かな

NO先祖NO LIFE NO LUCAとなる(近未来)

 

■プレバト纏め 2025529日 2時間スペシャル

一人飯で一句

マルチタスク:複数の作業を同時に、または短時間で切り替えながら進行することを指す

 

特別永世名人 締めのお手本 梅沢富美男

菜箸ですするパスタや缶ビール

(一人飯の臨場感 すする:行儀悪さ 似合っている

 1人の空間を楽しんでいる 行儀の悪い動詞)

 

俳句史に残る句集作り 千原ジュニア

二杯目の冷酒塞ぎの虫殺す

(塞ぎの虫:気分が晴れないのを虫のせいとした語

 季語:冷酒 人生を感じる一句 塞ぎの虫が強くて強情

「殺す」と強い動詞)

 

1位 西村真二

老酒(ろうしゅ)あおりナイター大将は敵

添削(素材は面白い 読む人に謎を投げる

大将は敵ナイター老酒(らおちゅう)

 

2位 矢吹奈子

初挑戦悔しさ残る夏の夕

添削(何に対して初挑戦しているのか❓オリジナリティーがない)

挑戦や一人のラーメン屋

 

3位 信子

1人鍋メニューに隠れる初夏の青

添削(俳句は漢数字を使う)

初めての一しゃぶしゃぶ初夏たのし

 

4位 森香澄

瓜二つそばでかき消し味かすみ

添削(日本語なのに意味が伝わらない 下手にかけるな

   日本語をきちんと伝える練習してから来なさい)

もめてゐる男女入梅(ついり)の蕎麦屋にて

 

■芸能きわみ堂 十一世西川扇蔵襲名

十世西川扇蔵の言葉

「苦労してひとつの動きが出来るように何回も繰り返す

器用な人はさらっとその場でできてしまう

それがいいような悪いような 

不器用だから悪いということは決してない

 

よく口にしていた言葉

「地球は丸い」いい時もあれば悪い時もあるんだよ

だけどね またね時期が来ればこういう風になるんだ

自分の技芸を磨く時 またいつかいい時が来る

それを信じてやるもんだ

 

澄踊りには人間そのものが出てしまう難しさ

かつらとか化粧で隠すことができない その人の生き様

芸の年輪 すべてが凝縮されて出てくる あえて

固執している 好きこそものの上手なれ

 

十一世西川扇蔵 今後の抱負

三百年 名前がつながっていることは 何かしらの

意味があってつながっていると思う どんな形であれ

次の世代にきちんと伝えていく 私の使命だと思っています

 

■スイッチインタビュー「堂本光一×羽生結弦」

Endless SHOCK」より

俺たちはひとつ苦しめばひとつ表現が見つかる

ひとつ傷つけばひとつ表現が創れるボロボロになる

その分だけ輝けるんだぞ 

 

周りとの熱量の差が生まれてくる 自分が突き詰めれば突き詰めるほど

「ここまで突き詰めなくてもいいじゃん」

そんな時、孤独だな孤高だなと感じる

でもそこまで突き詰めていかないと自分がやった時に納得はできない

自分自身と対峙して越えられるようにすればいい

羽生

 

楽になった瞬間も実はあって 以前はスタッフと意思疎通出来ないときは

「いいやもう自分で考えるから」という考え方から ある時

任せてみようって思った瞬間があって「そういう発想もあるのか」

一回受け入れてみようと思うようになってから 周りが見え始めた

新しい視野がこれからどんどん生まれてくるのかもしれない

 

自分のためだけにやってるんだったら とっくにやめてるな

誰かが喜んでいる姿が見たいというのが僕の原点 

羽生

2025年5月30日金曜日

京極夏彦&薩摩治郎八

夏の風弘法麦(こうぼうむぎ)は身を任せ

砂浜へ弘法麦の集まらん

強き風弘法麦は受けて立つ

神山を酢橘の花の甘き香

俯かんフリチラリアの重き愛

 

■心おどる あの人の本棚⑧京極夏彦(小説家)

一度買った本は手放さない 背表紙の見えない本は一冊もない

 

1994年小説家デビュー

漫画家 水木しげる(19222015)の弟子を自認

書籍はインテリアじゃない

取りやすく並べやすく整理整頓されていることが一番大事

「ため」にする読書はできない 

お化けとか妖怪は「ドーナツの穴」みたいなもの

 

小学生で読んだ本 定本柳田國男集 第四巻

時間も手間もかかったが面白い読書でした 京極

本からくみ取れることは情報だけじゃない

 

中学生で読んだ本 日本民俗学全集

運動ができない子だったんで自転車もグローブもバットも持ってないし…。

クラスメートが持ってるようなお子様が欲しがるものを一つも欲しがらなかった

未だに自転車に乗れない。経費のすべてを書籍に使って貰った

僕、人間的に成長しないので今とほとんど変わらないと思う

 

上京後の思い出の本 日本名所風俗図会 全19巻 池田弥三郎 他

この本を売って別の本を買った。のちにまた買った。

生活のためとはいえ痛恨の極み…。

 

なぜ本をとっておくのか? なぜ本を捨てるのか?

本が増えすぎても捨てるという選択肢はない。

分類して並べている 組み合わせは無限にある

分類 組み合わせ 整理整頓 グループに合わない本を見つける

新しい本と入れ替える グループをぴったりの棚に移動する

取り除いた1冊も新たな組み合わせを作る 

1㎜の隙間も20個集まれば2㎝!背表紙を必ず見せる

本の平積みはしない 上の本は飛んできて頭にあたる

本は崩れると踏んだときに滑る 

 

水木楼 水木しげるの本が全て揃えられている

コレクション?読みたいから買う 

水木しげる漫画大全集 別冊など含め全114巻 責任監修 京極夏彦

「おまえが持っていればどこにも行かないだろう」と、

何度断っても運んでくる人がいる その結果酷いことになっている

ソフトビニール製の人形が好きな友人が持ってくる

グッズを並べるはずの部屋ではなかったという京極さん

のんびりしたかった部屋がテーマパークと化している

 

書庫

半年に一度は総入れ替えしている (連載中で)巻数が増えていく漫画がある

どこで終わりになるかわからない 最新刊が出たら即、動かす?

 

本棚を作る時は余裕を持って これは必要な遊び 遊びは大事

整理整頓をして隙間を作る きちんと生活することで余裕を作る

 

私感

面白かった…。

涙を流しながら、肩を震わせながら拝見いたしました。

京極夏彦先生があんなに面白い先生だとは存じ上げませんでした。

9回裏逆転満塁ホームランでした。

またのTVご出演が楽しみでなりません。

 

■先人たちの底力 知恵泉 

伝説の❝蕩尽(とうじん)王❞薩摩治郎八 金は粋に使え

薩摩治郎八(19011976)

肩書やお金に捉われない人生

 

1922年 家族の反対を押し切りパリの移住

パリは狂乱の時代

1923年 関東大震災

 

知恵その一 世のために❝生きた❞お金を使え

1924年 父からの再三の要請に応じ日本に帰国

妻 千代と結婚

広田弘毅が訪ねて来た パリ日本館への出資を依頼させる

パリに帰った治郎八はアンドレ・オノラと会う

「自分のためというより世界の出来事の中で自分の仕事を見つけて

それを発揮していきたいと思う人たち 次の時代の

世界の平和を作っていく土台になればいい

42億円全てを自己負担 金は出すけど口は出さないという切符の良さ

1927年パリ日本館完成 1929年 世界恐慌

1935年薩摩商店 閉店 1939年フランス・ドイツに宣戦布告

 

私はこの危機をどんな事情があっても傍観してはいられぬ

畳の上で犬死はできぬ 切っても切れぬ関係のある仏蘭西

(中略)

帰欧は当然の義務である 

 

1939年治郎八 フランスに再び渡る

救出活動に参加

自分の犯した罪を訪ねられた時の治郎八の言葉

自分が犯した大罪があったとしたら 

それはフランスを愛し過ぎたということでしょう

 

平均的な物差しでものを見ていない

 

やらなければいけない種類の事柄がある 

それをやると自分も幸せだ それをやっちゃえ 小林茂

 

フランス外人部隊に行ってた!?これに関しては怪しい…。

 

ジャン・コクトー モーリス・ラベル(作曲家) 

アンリ・ジル⁼マルシャックス(ピアニスト)と親交があった

フランス系のピアノ音楽を日本で大々的に広めた

 

人も楽しませたけれど一番楽しんでるのは本人

みんなで楽しむ 自分も楽しむそこにはいろんな夢がある

 

1951年 治郎八 12年ぶりに無一文となって帰国

ミモザ シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物、

自転車競技も 日本に紹介した

 

知恵その二 粋な人生にお金は関係なし

浅草のストリップ劇場に足しげく通うように

運命の出会い 20代半ば 文学好きで教養豊かな利子に惹かれた

結婚を申し込む 30歳差のプロポーズに困惑した利子

1956年 治郎八と敏子結婚

 

美輪明宏さん 神武以来の美少年って薩摩治郎八が名付けた

治郎八さんは人間の真価や物の価値をお金に換算するような

賤しい真似は決してなさいませんでした

超一流のレストランの味を知っていながら場末の食堂の

定食でもおいしいおいしいと召し上がっておいででした

狭苦しいアパートでもセンスよく暮らしていた

こういう暮らしもなかなか面白いと笑っていました

治郎八さんこそ本当の意味で豊かさを知る粋でオシャレで

優しい紳士でした そしてその本領は無一文になってから

発揮されたのです 

 

1969年 利子の故郷・徳島で脳卒中で倒れる

汽笛が聞こえる静かな港町で妻に支えられながら

1976年 薩摩治郎八 死去 享年74 波乱万丈の人生でした

 

我も楽しみ人も楽しみ そのために出し惜しみはしない

粋を狙うと野暮になる 林家正蔵

 

感受性とインテリジェンスを利子さんに見いだしていた

 

私感

こんなに魅力的な男性‼見たことがありません。

バロン薩摩に乾杯!

2025年5月29日木曜日

100分de名著❝谷川俊太郎詩集❞③

夏の空永遠を生く魂よ

高尚と世俗の間(はざま)夏の潮

迎え梅雨マウント取りてしたり顔

ふくらはぎ攣りそうだけど夏日向

ラッキョウや丸々太り夏畑

 

100de名著谷川俊太郎詩集ひらがなの響き、ことばの不思議

若松英輔 伊集院光 阿部みちこ

198090年代 この頃になると谷川俊太郎は日本の詩の世界を牽引

ひらがなの詩 子どもから大人 詩になじみのない人まで

詩を届けようと思うと平易でなくてはならない 

ひらがなは誰でも入りやすいよいう効果があった

「なんだろう?でもなんか感じるな」年齢や性別を超えて

私たちの中に根づいているものに呼びかける

そういうものとしてひらがなの詩は力がある

 

「わるくち」   谷川俊太郎

ぼく なんだいと いったら

あいつ なにがなんだいと いった

ぼく このやろと いったら。

あいつ ばかやろと いった

ぼく ぼけなすと いったら

あいつ おたんちんと いった

ぼく どでどでと いったら

あいつ ごびごびと いった

ぼく がちゃらめちゃらと いったら

あいつ ちょんびにゅるにゅると いった

ぼく ござまりでべれけぶんと いったら

あいつ それから? といった

そのつぎ なんといえばいいか

ぼく わからなくなりました

しかたないから へーんと いったら

あいつ ふーんと いった

 

「くわのまわりを まわろうよ」訳詩:谷川俊太郎

Here We Go Round the Mulberry Bush

 

Here we go 'round the mulberry bush,

The mulberry bush,

The mulberry bush.

Here we go 'round the mulberry bush,

So early in the morning.

 

くわのまわりを まわろうよ

 まわろうよ まわろうよ

くわのまわりを まわろうよ

 はあはあさむい しものあさ

 

マザー・グースの翻訳という大きな仕事が舞い込んできました

大正時代 北原白秋が翻訳版を発表していました

口から耳へと伝わる詩 生きた日本語で表現したい

ひらがな表記へと向かわせました

 

谷川俊太郎の言葉「ひらがなにすることは 単に難しい漢字を

読みやすくするのではなく我々の心と体に根づいている

言葉の持っている音韻性 韻文としての性質に近づける

ただ言葉の中には意味や論理があるだけではなく言葉の面白さ・

手触りと戯れるということもみんなが知ってくれると言葉の世界が

豊かになる」

 

ひらがなの効果 

漢字で書くと焦点を一点に合わせやすい 

想い・思うは漢字にすると十を超える

ひらがなにすると10を超えるおもい それが全部入ってくる

どんな形にでもとれる言葉を使うということは間違った形で

とられる可能性もある 伊集院

表現者としての覚悟がいる「読み手がどう理解してもよい」という覚悟

ひらがなを読む時はゆっくり読まざるをえない 

ひらがなの詩はより深く味わう機会が与えられる

「うらにはにはにわにわとりがいる」伊集院

通り過ぎないで立ち止まることをひらがなは求めてくる

 

「なくぞ」

なくぞ

ぼくなくぞ

いまはわらってたって

いやなことがあったらすぐなくぞ

ぼくがなけば

かみなりなんかきこえなくなる

ぼくがなけば

にほんなんかなみだでしずむ

ぼくがなけば

かみさまだってなきだしちゃう

なくぞ

いますぐなくぞ

ないてうちゅうをぶっとばす

 

「ぼく」が誰かによってまるで世界が変わってくる

ひらがなだから余地が大きい「涙を流してなく」とは限らない

赤ちゃんは必ずしもネガティブにないているわけではない

「僕はここにいるんだ」を表現している エネルギーの塊

その人の中から深く本当のものが出てくる  1004

 

「にじ」

わたしは めをつむる

なのに あめのおとがする

わたしは みみをふさぐ

なのに ばらがにおう

わたしは いきをとめる

なのに ときはすぎてゆく

わたしは じっとうごかない

なのに ちきゅうはまわってる

わたしは いきをとめる

なのに ときはすぎてゆく

わたしは じっとうごかない

なのに ちきゅうはまわってる

わたしが いなくなっても

もうひとりのこが あそんでる

わたしが いなくなっても

きっと そらににじがたつ

 

(谷川)

「子どもって何だろう」と考えるときに反省するのは

子どもを「群れ」として一括して考えていないか?

大人は一人一人みんな違う人間だと思っている

だけど子どもという場合は子どもいう性質だけで

一括して考える危険がある 「一人一人の子どもが違う」

ということを前提にしておかないと変な一般論になる

 

私なんかいなくても世界は変わらない

でもこう感じているのは この子だけなんだ

その人が今思っていることは その人の心の中にしかない 若松

 

「いなくならないほうがよい」と感じる 伊集院

人間が自分の意志ですべてを止めることはできません

あなた自身が終わらせることなんかできませんから

 

「さようなら」

ぼくもういかなきゃなんない 

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどおりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

おかあさんごめんなさい

おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる

ほんもいまよりたくさんよむとおもう

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

 

この子は亡くなっていくのかな 若松

「死ぬまで生きた」ということに関しては一緒 伊集院

 

「おに」

こどものころは

つのなんか はえてなたった

ふさふさの まきげだった

おにごっこして あそんでた

ひとに いじめられて

だんだん つのが はえてきた

だんだん つめが のびてきた

なくことも わすれてしまった

 

生まれながらの悪なのか

子どもに向けてシンプルに書いたものが確信をつく

子どもは人間の本質のものを持っている 

むき出しだからより刺さる 伊集院

 

子どもだって大切なことはちゃんとわかる

難しいことじゃないと本当のことじゃない そんなことはない 

読者としての子どもを谷川は深く信頼していた 若松

 

(谷川)

言葉は意味というものが一番大切な要素としてあるが

実際に声に出してみると音の要素もあるし

言葉が描き出すイメージがある

 

「十二月」

おかねでかえないものを わたしにください

てでさわれないものを わたしにください

めにみえないものを わたしにください

かみさま もしもあなたがいらっしゃるなら

ほんとのきもちを わたしにください

どんなにそれが くるしくても

わたしがみんなと いきていけるように

 

4回繰り返される「わたしにください」

「私」を含めた人間共通の祈り

最後に「わたしがみんなと いきていけるように」

「わたし」が自分を子こえて「人と共にいる人間」になっていく

単数が複数になっていく 若松

 

「わたしにください」を繰り返すことで渇望している 伊集院

 

繰り返すことでより深いところに声が届いていく 伊集院

 

元々の正しいスピリットを見た 簡単そうなものを作ることが一番大変 伊集院

 

人間の真摯な営みというものが素朴な形に身を結んで行く時

私たちが思っているより力がそこに宿りそう

難しくすることが高尚だと思われている現代で

谷川さんは全く違う道を切り拓いて下さった

改めて大事にしたいと思いました 若松

2025年5月28日水曜日

兼題「自転車」&テーマ「最初の記憶」

夜明け前マウスの下の汗水よ

目指すべき景色歩まん熱き日よ

耳澄ませ香る潮風青岬

夏山路勝手めくらののさばらん

あるがまま今を生き抜く夏の月

 

NHK俳句 兼題「自転車」

選者:高野ムツオ ゲスト:小坂大魔王 宮下咲 司会:柴田英嗣

ゲスト:若杉朋哉 森賀まり

年間テーマ「語ろう!俳句」

 

自転車は普段は季語を出すわけですけど 

今日は季語でない題ということになります

特に自転車は難しいかもしれません じてんしゃと四文字です

自転車と漢字三つ並ぶ これを一句十七音の中に入れるって

なかなか大変です NHK俳句の句会の場合は「自転車」という

(兼題の)言葉を入れることが原則

普段違った環境に入る人たちが俳句という価値観だけで集まって

選んで言いたい放題に言うわけです ガッカリしたり飛び上がって

喜んだり 悔しがったりと喜怒哀楽を味わう場でもあります

 

   若葉風盗らるるキスと自転車と 小坂大魔王

(「自転車に盗らるるキスや若葉風」にすると

自転車を漕いでいる場面でキスをとられたと解釈できた

若葉風「に」って一ついれればよかった

「若葉風盗らるるキスと自転車と」)

   おーいと雲はいと自転車夏に入る   高野ムツオ

(夏に入る=立夏 「おうい雲よ」山村暮鳥の詩を思い出した

 おういを現代風におーいという長音を使って表現 インスパイアした)

   向かい風立ち漕ぐ影がふふと笑ふ 宮下咲

(季語:青嵐 南風 薫風 とか雲の峰を入れるべきだった)

   自転車の両腕長し樟(くす)若葉 森賀まり

(「の」を「に」にしていやら誰の両腕かが明確になっていた)

   自転車を止めて見てゐる夕焼(ゆやけ)かな 若杉朋哉

(夕焼:夏の季語 見てゐる:複数形 

俳句に一枚目がある二枚目がある この比喩的ないい方は魅力的)

 

・特選三席発表 兼題「自転車」

一席 自転車の出前日焼の笑顔付き   多数野麻仁男(たすのまにお)

二席 自転車押し東京暑し坂多し   内山三時(さんじ)

三席 自転車の前と後ろに水着の子   千歳みち乃

 

特選

卒業や自転車のベル鳴らし合ひ   梅田康恵

自転車に乗れた春の風になつた   城内幸江

自転車とともに嫁ぎて青嵐   籠谷ひろこ

もう誰も乗らぬ自転車夏霞   おかだ卯月

自転車に筍を載せ村の医者   中島紀生

「祝入学」と自転車の鍵封筒に   福田英子

参照:https://www.nhk.jp/p/ts/6Q6J1ZGX37/blog/bl/pLvva3ZRZL/bp/pa6mMK3yQd/

 

今って短い文の文化じゃないですか SNS140文字で収めたりとか

ああいう文って意外と発した人よりも聞いた人のものになっちゃう

でも句会って意外とそんな感じでやっぱ言葉って曖昧なものなので

この曖昧なものを極めていくとすると集中してセレクトして

ちゃんといろんな四方から見てこうやってやらなきゃいけないんだろう

なっていう 小坂大魔王

やっぱり俳句は作者だけのものじゃないんです

作者が作ってそれを読者が鑑賞して初めて作品が成立する 高野ムツオ

インタラクティブ(対話式)なんですね 小坂大魔王

 

NHK短歌 テーマ「最初の記憶」 

選者:木下龍也 ゲスト:永井怜衣 司会:尾崎世界観

年間テーマ「“伝える”短歌 “伝わる”短歌」

 

・入選九首 テーマ「最初の記憶」
テーブルのへりを掴(つか)めば歩けるという歩けるが長く続いた

岩倉曰(いわく)

だれも来ない空き地でひろった指だった遠いだれかが見てる気がした

水鳥

明るい月が真上にあった寒い夜手ひかれ行けばみんな泣いていた

遠藤初惠

えびせんの赤いふくろを抱いたまま兄になったがわからない雪

CALO(かろ)

 我を見て駆けだす君の一生を受け止めてやる山は緑に

赤見晃

三席 私 グラウンドの隅で半身浴をするタイヤはハイウェイに想いを馳せて

田島史都(ふみと)

一席 新居にはカーテンだけが揺れていて風にすらまだ慣れていなくて

()田儀一(よしかず)

初めてのちゅうの残滓(ざんし)を初めてのキスで平らにしてしまおうよ

中原紘

二席 ベビーバスの中から見上げる父の顔はすこし硬くてでもしあわせで

佐竹紫円(しえん)

 

・木下流 短歌の育て方

永井玲衣さん「最初の記憶」

子どもの頃は世界と自分が密着 わたしが世界と離れて分化

わたしって わたしじゃないといけないんだ 

 

皮膚は檻その内側で窮屈に(何の罰だよ)わたしとなった 木下

世界と分化するというのは さみしさでもあるが 

わたしがわたしになるという経験 永井

怒りが込み上げる前は自分と他者に境界がなかった

その境界に気づいた瞬間を書いた やや観念的

頭の中で考えている感じがあるので 変えてみようと推敲した 木下

 

何の罰文字は枡目に分けられてわはたになれずたはしになれず 木下

「わたし」を構成する「わ」と「た」と「し」は

それぞれの文字にはなれない 枡目で分けられることによって

(他の文字への)なれなさが明確になる 文字の話をしている

ちょっと最初の歌より遠くなった印象があるため推敲した

 

何の罰製氷皿に区切られてまた水になるまでの百年 木下

未分化だった頃を水 分化後の「わたし」を氷と捉えて作った

これまでの流動性が失われたことへの怒り 分化の明確さを際立たせる

隣りの人からは世界を眺めることはできない というじれったさ 木下

「何の罰」という憤りや怒りを捕まえてくださっている 

詩が乗っかることでより普遍性を獲得していく 

短歌や詩は終わりと決め難い 

対話の場も同じ いつまでも話せてしまう 永井

どうやって終わらせる? 尾崎

時間だけ 永井

対話や言葉に対する誠実さであるような気もする 

複雑なことが起こるのが対話 永井

 

・ことばのバトン

落ち着けよ鼓動は速い4ビート

田中亮(指揮者)

夏を見つける潰すイチゴに

二方久文(ふたかたひさふみ)

大学受験塾講師

イチゴをゆっくり潰して香りを楽しもうと という意味

きっといまの風にうたれたからだろうおもわず両手でおさえているのは

その時の空気感は自分しかわかりませんけど

読者と共有できれば幸せなことですよね