2024年8月4日日曜日

知恵泉 福澤桃介

炎昼を耐えて迎えた日暮れかな
炎熱や摂ってはみたがカルシウム
子育てはジェスチャー使ひ四十雀
夏を来し幸を呼ぶブルー・ビー
ブルー・ビー幸を届けに夏の空

■先人たちの底力 知恵泉 波乱万丈のススメ 電力王 福澤桃介
福澤桃介(1868~1938)
ゲスト 蓄電池メーカー代表 伊藤正裕 山之内すず 加来耕三

福澤諭吉の次女房(ふさ)との結婚を持ちこまれる
アメリカ留学
「小生は実に幸福の地位に居り候」「福澤桃介翁伝」より
3年後帰国 福澤諭吉の斡旋で北海道炭礦(こう)鉄道に入社
明治27年日清戦争勃発
結核に喀血

是まで幸運の神に恵まれ 一路平安に進んできた自分も
不治と云はれる大患に罹つた以上 前途は全く暗黒である
何か方法のないものかと 沈思熟考に耽(ふけ)るのである
「福澤桃介翁伝」より

株の売買を思いつく
1,000円を資金に株取引を開始
明治28年 日清戦争勝利
10万円を儲ける
福澤諭吉は「株取引を虚業」と考え相場師を嫌っていた
結核も快方に向かい 丸三紹介を設立
取引を不安を思った相手側の企業が興信所に信用調査を依頼
信用絶無 資産も僅少と記されていた為 中止となってしまった

私は決して信用が多く資産も澤山ありと報告せよとは云わぬが
信用絶無などヽ云って 私を殺す必要はあるまい 
俄に断るは酷いと私は恨んだ
「福澤桃介翁伝」より

桃介の放蕩ぶりや株式投資を嫌っていた
株式取引は相場師のやること 
桃介が図に乗ってるから懲らしめてやろう
周りの人も福沢諭吉のことを慮った

桃介は恩師である諭吉の考えを知り旅に出かけた
再び喀血 明治33年 丸三商事閉鎖

此上は乾坤一擲 乗るか背るか 人間一匹 
死生を賭して戦ふ段になれば 天下又恐るゝものなしだ
「福澤桃介翁伝」より

自らの力で生きることを決意

伊東正裕氏
成功する人には3つの要素が魅力と努力と運
3つあると成立するのではないかと思っている
コントロールできないのは「運」
できるのは「魅力」と「運」
ガイドラインと仕組みを作ったうえで法人格のいい人はできる
悪いことを経験した時に身につくものがある
逆境の時ほど人間の本性がでる
逆境の時どう考えどうしたか 魅力はそこにある

明治37年 日露戦争勃発
株式市場の激しい上下動に大儲けしたのは桃介だった
敗北を予測し株式市場売り一色の時 桃介は買い
日本海海戦の勝利で株価が高騰 大儲けした桃介
相場師が買いに走り出すと 桃介は逆張り 売った
明治40年 桃介は株が暴落する前に売り抜ける
250万円を儲け手仕舞い

日清日露の両役を経て 現世に於ける生命の脆くつて
果敢ものであるのをまざ〱と看せらるゝにつけ
生命を五十年か六十年の娑婆限りで終つてしまうものとせず
後世に傳ふるに非ずんば人間の一生ほど無意味で
取るに足らないものはないと想ふにいたったのである
「福澤桃介翁伝」より

福澤諭吉の気持ちを理解するに至る

明治40年 持ちこまれは話に乗ることとした
明治42年 生涯をかける事業との出会い
名古屋電燈の株購入を持ち掛けられた
明治43年 名古屋電燈常務就任
名古屋電燈と名古屋電力の合併に成功
3か月で名古屋電燈常務を辞任

石炭と石油は限りあるもので 無くなる時期が到来する運命にある
おまけに戦争とかストライキとかで採掘を中止することもあり
需給の繁閑で値段の高低がある 火力発電は最初に投下する資本の
少額で済む代わりに運轉(てん)費が嵩む
「福澤桃介翁伝」より

一年平均三〇〇〇ミリ以上と云ふ 無類の多雨圏で
河は何れも急流で落差極めて多い この天與の賜を
充分に利用しないと云ふは罰当たりの極である
「福澤桃介翁伝」より

社長に返り咲いた桃介だったが
「福澤は白昼夢を見ている」と陰口をたたかれるように

小林一三は「できるものか」と冷笑

大正8年 パリ講和会議
大坂が復興景気に沸く 電力不足が発生
桃介に木曽川からの送電を依頼

大正13年 日本初のダム式発電所 大井発電所完成
総発電量はおよそ17万キロワット

人はいつしか電力王 福澤桃介と呼ぶようになっていった

桃介が設けた250万円はおよそ119億円(米価換算)

伊東正裕氏
事業は時期と環境に左右される
今じゃないという瞬間 事業をしても上手くいかない

福澤桃介は留学の経験から電力需要は予想できていた
そこでみんなをその方向へ連れて行った

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