2024年8月18日日曜日

100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(2)魂の糧としてのコトバ

東の岸田!西の斎藤!八月(はちぐわつ)
秋干潟ワライカモメの飛来あり
黒沢のさぎそう見頃ふわっふわ
葉鶏頭きらっきらのグラデーション
盆の月景気底冷え地球規模

■100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(2)魂の糧としてのコトバ
若松英輔 伊集院光 阿部みちこ

「新約聖書福音書」
「人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる」

福音書は文字によって読まれてはならないのです。
あの夥(おびただ)しい経巻(きょうかん)は
文字を超えようとする文字なのです。
言葉なき境にその言葉を読まないなら、
真理の扉を開くことはできないのです。
(柳宗悦「柳宗悦宗教選集 第二巻 神について」

「コトバ」と記すようになったのは 
井筒俊彦(1914~1993)言語学者 哲学者 イスラーム学者
言葉(文字 発語)だけではなくて いろんな意味があるコトバを
感じながら用いながら生きているのではないか❓
コトバは「事実」を包み込むような「真実」まで伝えうる
自分の人生の経験で読んでいく

マタイによる福音書4・1-4
さて、イエスは霊に導かれ荒れ野に行かれた。
それは悪魔によってって試みられるためであった。
そして、四十日四十夜断食した後、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づき、イエスに言った、
「もしあなたが神の子なら、これらの石が
パンになるよう命じなさい」イエスは答えて仰せになった、
「『人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる』と書き記されている」。

ヨハネによる福音書4・13-15
「この水を飲む人はみな、また喉が渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。
それどころか、わたしが与える水は、その人の中で泉となって、
永遠の命に至る水が湧き出る」。
その女はイエスに言った。
「主よ、喉が渇くことのないように、また、ここにくみに
こなくてもいいように、その水をわたしにください」。

我々はパンだけあれば満足する存在ではない

ヨハネ4:32
イエスは、
「わたしにはあなた方のしらない食べ物がある」と仰せになった。

ヨハネ1:1-2
イエスがいう「食べ物」=コトバ?
意味あるいは人とのつながりをコトバによって我々は経験している
それが私たちの重要な糧

初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。
み言葉は神であった。み言葉は初めに神とともにあった。
上記の言葉が「コトバ」であったら万物をあらしめるはたらき
み言葉=ロゴス(理法)

ヨハネ1:10-11
この世はみ言葉によってできたが、
この世はみ言葉(イエス)を認めなかった。
み言葉(イエス)は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。

パンと魚と奇跡
「ここは人里離れたところです。もう、時もだいぶたちました。
みなを解散させてください。そうすれば、
周りの村里や村々に行って何か食べる物をかうことができるでしょう」。
「あなた方が食べる物をやりなさい」と仰せになった。
弟子たちは、「二百デナリオン分のパンを買って来て、
みんなに食べさせよと、おっしゃるのですか」と言った。
そこで、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰ぎ、
賛美をささげてパンを裂いて、弟子たちに渡し、
みなに配らせ、二匹の魚もみなに分け与えられた。
みなは満腹するまで食べた。そして、残ったパン切れと
魚を集めると十二の籠にいっぱいになった。
パンを食べた人は男五千人であった。
「マルコによる福音書」6・35-44

増えたパンと魚の意味
イエスのコトバを受け取った人々が本当に満たされた
ひとつのコトバがひとりひとりに異なるように受け入れられた
分かち合うときにそれ以上のものが生まれる

イエスは自分自身をパンにたとえる

わたしは天から降ってきた、生けるパンである。
このパンを食べる人は永遠に生きる。
「ヨハネによる福音書」6・51

コトバと永遠の命

イエスの弟子たちは師のコトバがあんまり理解できない

さて、イエスがカファルナウムにお入りになると、
百人隊長が近づいてきてイエスに懇願した。
「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風(ちゅうぶ)で
ひどく苦しみ、家で寝込んでいます」。
「わたしが行って癒してあげよう」
ただ、お言葉をください。そうすれば、
わたしの僕(しもべ)は癒されます。
イエスはこれを聞いて感心し、ついに来た人々に仰せになった、
「あなた方によく言っておく。イスラエルの中でさえ、
これほどの信仰を見たことがない。(略)」
それから、イエスは百人隊長に仰せになった、
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」。
すると、ちょうどその時、僕(しもべ)は癒された。
「マタイによる福音書」8・5-13

「ただ、お言葉をください」

おまえがたべる このふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって
やがてはおまえとみんなとに聖(きよ)い資糧(しりょう)をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」より

コトバは生きている人と亡くなっている人をつなぐ力がある
コトバは響く 後々へと響く 響きとして存在するコトバ

断食修行中に「神の子ならば石をパンに変えてみよ」と問う悪魔に対し
「人はパンだけで生きるのではない」といい
人間は言葉によって生きると伝えるイエス。その真意とは?

五つのパンと二匹の魚で五千人もの男を満腹にさせる奇跡を起こしたイエス。
深く読み解けば、人々が食したのはイエスによって
もたらされた言葉だととらえることもできる。
若松さんは、「永遠の命に至らせる食べ物」と繰り返し
表現されるものこそ大いなる働きによってもたらされたコトバであり、
魂の糧として人々を生かすものだという。
第二回は、奇跡の描写の深い意味を読み解き、
生きることを支えてくれるコトバの力を探っていく。

参照:https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/QZX77PW964/

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