怒りなき時間へ戻れ山笑う
巻き戻せない時と感情笑う山
春の土子どもの権利知りてこそ
伊東屋の華やぐ文具春の風
伊東屋でつづる言の葉風光る
夏井いつきの俳句チャンネル より
【山頭火の世界】新企画『ベンチで山頭火』始まります
山頭火の句では取り合わせが
しばしば快いリズムを生じる。
「歩けば郭公(かっこう)急げば郭公」
対句的取り合わせはその典型だが
とくに有名な
「分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火」
を見てみよう。
この句は対句のリズムが生じ、そのリズムの勢いが
「青い山」で倍加する感じだ。
そのリズムの勢いに乗って青い山の風景が出現する。
取り合わせとリズムは相乗的であり
両者が見事に働いているのがいわゆる名句である。
この句には前書きがついている。
「大正十五年四月
解くすべもない惑ひを背負うて行乞流転の旅に出た」
解くすべもない惑いなどをこの句の勢いは
吹っ飛ばしているのではないか。
ぐんぐんと山中を行く、いや青い山々をかき分けて進む
例えば鉄人28号的存在さえも感じられる。
「うしろ姿のしぐれてゆくか 種田山頭火」
この句にも自嘲という前書きがあるのだが
この句の後ろ姿と時雨の取り合わせは
自嘲をほとんど感じさせないのではないか
時雨の中を行く後ろ姿は侘しいけれども
同時にある種の潔さというか格好の良さを感じさせるのだ。
事件を片付けて立ち去るスクリーン上の
高倉健のような格好良さ。
要するに前書きにある作者の思いなどは無視しても良い。
作者の思いや事情よりも表現そのもの、具体的には
取り合わせとリズムに注目してその句を読みたい。
そのような読み方によって山頭火の言葉の世界が
新しく開けるのではないだろうか。
坪内稔典氏が読者に投げかけたアプローチである
取り合わせとリズム(韻律)を
夏井いつき組長と家藤正人氏が紐解いてくださるとか…。
楽しみです…。
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