深き海霧(じり)グロース株の大試練
降ろせない脱炭素の旗螻蛄(けら)鳴く
交差する強気と弱気雨蛙
魂の入った器草茂る
大切なものは見えない月涼し
NHK俳句 増刊号
歳時記食堂 ~おいしい俳句いただきます~
女将 宇多喜代子 看板娘 南沢奈央
常連客 古坂大魔王 本日の客 奥田暎二(俳号 寂明)
■一品目
そら豆はまことに青き味したり 細見綾子
(「そら豆」空に向かって直立するので❝そら豆❞という 歳時記より)
俳人 細見綾子とは
明治40年(1907年兵庫県氷上群 現在の丹波市)生まれ
裕福な家で育ちましたが20代で
肺を患い長い療養生活を余儀なくされました。
「来る日も来る日もただ横たわっていた。
ひどく虚無的で心身のどこにも力はなかった。」
細見綾子著「私の歳時記」より
病に伏した綾子に医師が勧めたもの
それが俳句でした。
この俳句も療養生活の中で詠まれたものです。
「そら豆を茹でて食べたら、青い味がした。」
俳句を作ることによって少しずつ生の肯定をはじめた、
ということになろうか。
「俳句研究」昭和61年3月号より
宇多喜代子が選ぶ細見綾子の代表句
チューリップ喜びだけを持ってゐる
ふだん着でふだんの心桃の花
つばめつばめ泥が好きなる燕かな
■二品目
大粒の雨が来さうよ鱧の皮 草間時彦
「鱧」口が大きく鋭い歯を持つ
主に関西で食用にされ夏が旬
俳人 草間時彦 とは
大正9年(1920年)東京生まれ
出張先で食べた食事を句にしました。
この背景は大阪の夕凪の暑さの中で、
はもきゅうで一杯やっているのである。
大粒の夕立が来てくれないかと
雲の様子を見ているのだが、降らず仕舞いが多い。
今日はどうだろう。なんとか一雨欲しいという心である。
草間時彦著「食べもの俳句館」より
宇多喜代子が選ぶ草間時彦の代表句
ぐい呑(のみ)を小鉢代わりの木の芽和(あえ) 草間時彦
■三品目
単純な蜜豆でしたわが青春 上原恒子
昭和22年銀座での初デートでご主人と
召し上がったことを詠まれたそうです。
俳句を教えてくれたのもご主人だったとか…。
珊瑚礁暮れゆく年の波の音 上原信一郎
好きな句をお聞きするとまだないそうです。
これからだそうです。
そら豆のさやをはがして口づける 寂明
最高に素敵な番組をありがとうございました!
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