秋めくや手書きの声の聞こえくる
秋高し幼きスター堂々と
淡々と役割熟す秋の晴
青き空刈る人来たる迎え盆
鳳仙花祖父奪う合う孫二人
■こころの時代 ヴィクトール・フランクル(5)「何か」に支えられて
人間に生まれつき備わっているもの それは「意味への意志」です
さらに「究極の意味」を知りたいという意志や欲求も存在します
ヴィクトール・フランクル(1905~1997)
どうやら強制収容所は、まさに私の卒業試験だったらしい。
人間が本来有している根源的能力、つまり❝自己超越❞と
❝自己距離化❞の能力は、強制収容所で実存的に検証され、
正当性が証明されたものである。
ロゴセラピーを身をもって実践したのです。
奇跡に近い体験を 究極の意味、超意味 と名付けた
どんなことでも、人に起こることにはすべて、
何らかの究極的な意味があり、まさに超意味があるはずだ。
しかし、人はこの超意味を知ることはできない。
人はただそれを信じるほかないのである。
勝田茅生 小野正嗣
究極の意味
シナゴーグ ユダヤ教の礼拝・集会堂
破壊されたシナゴーグの瓦礫から父親は石を持ち帰っていた
そこに刻まれていたのはモーゼの十戒だった。
あなたの父母を敬え そうすればあなたは あなたの神
主が与えられる土地に長く生きることができる
「旧約聖書」出エジプト記20章12節
メンゲレ博士は、私の両肩を私から見て右の、
生き延びられる人たちの方にではなく
左のガス室行きの人たちの方に向けた。
しかし、私の前にいたそこに送られるべき人たちの中に
知り合いがいなかったのと、逆に何人かの
若い同僚が右に選別されたことに気づいいたので、
私はそのまままっすぐに進まずに、
メンゲレ博士の背後を回って右側についたのである。
一体、どうしてそんなことを思いついたのか、そして
どこからそんな度胸が出たのかは、神のみぞ知るである。
「フランクル回想録」
私は自分の背広の代わりに、ぼろぼろに着古された、
明らかにガスで殺された囚人の着ていたものと
思われる古い上着をあてがわれましたが、そのポケットの中に
祈祷書から破り取られたページが一枚入っていました。
そこにはユダヤ教主祈祷がヘブライ文字で書かれていました。
あなたは心を尽くし 魂を尽くし 力を尽くして
あなたの神 主を愛しなさい 「旧約聖書」申命記6章5節
この「偶然」をどう解釈したらいいのでしょうか?
それは、自分の書いたことをこれからは
生きざまで示せという意味が突きつけられた。
という他に考えようがありません。
というのも、それ以前にはちょうど私の書いた本の草稿が
隠されていたのとまったく同じように、この祈祷の紙が
その日から私の上着の中に隠されることになったのですから。
「Dir Sinnfrage in der psychotherapie」
どこを見ても誰も見えない。自分のまわりには、
遠くまで続く大地と天と、ひばりの喜びの鳴き声と、
広々とした空間以外には何もありません。
そこで私はこの開けた空間の中で歩みを止めます。
そこに立ち止まって、自分のまわりを見渡し、そして
上方を見上げます。私は自分の心の中にただ一つの言葉、
それもいつも繰り返される同じ言葉を耳にするのです。
「私は狭い谷底から主を呼んだ。
そして主は広い空間の中で私に答えてくださった」と。
「夜と霧」
こちらがヴィクトール・フランクルの「テフィリン」聖句箱です
ユダヤ教ではキッパ(小さな帽子)をかぶり 腕と額にテフィリンを
着用して祈りを捧げます この皮でできた箱の中に聖句が入っています
私は 偶然一度見かけただけですがフランクルは毎日使っていたと思います
フランクルの娘婿 フランツ・ヴェセリー
祖父は彫像が好きでした ある日祖父は
この2体を買ってきてここに置きました
そして「この2体は僕と妻エリーの結婚を表している」と言っていました
カトリックの妻 そしてユダヤ教のモーセ この2つが
一つの屋根の下で調和しています
祖父は宗教は言語のようなものだと言っていました
「他の優れた言語などない 他の言語より正しい言語はない」
「どの言語でも真実を話すことも嘘をつくこともできる
宗教も同じだ」
「悪用することもできるし 価値を見出すこともできる」
「そしてそれは私たちの中にあるものなのだ」と
祖父は常に人間学的な視点に立っていました
人間の存在とは何か?それはスピリチュアリティを伴うものなのです
フランクルの孫 アレクサンダー・ヴェセリー
ヴィクトール・フランクルはすべての宗教は平等であると考えていた
私は合理的な概念で、神が一体存在するのかしないのか、
どちらが真実なのかを決めることはできません。
もし半分ずつの可能性があるのなら、自分の全存在を
天秤の一方に皿に載せることしかできません。
私は自分自身を究極の意味にかかわる方の皿にゆだねるでしょう。
私はどんなときでもこう言えます。「これは心の底から出てきた
願望です。これが私の存在の全てなのです。たとえそれを
合理的には理解することができないとしても、究極の意味が
存在するに違いないという確信は心に深くしみわたっています」
「Das Leben wartet auf Dich」
この地上には、二種類の人間がいます。
それも、品格のあるしっかりとした「人間」か、
またそうでない「人間」か、この二種類だけなのです。
そしてこの「二種類の人間」は両方とも一般的に広まっていて、
どんなグループにも入り込み、至るところに浸透しています。
つまりどんなグループでも、品格のあるしっかりした
人間だけで成り立っているということはないし、あるいは、
しっかりしていない人間だけで成り立っているということもないのです。
「夜と霧」
Anstandig 品格 Monanthropisumus 一人類主義
集合的評価は良くない
人間 世界に対する信頼を持っていた
意味ということを根源的に問うならば
この世界の出来事全体に意味があるとは考えられないでしょうか。
まったくの無意味か、すべてが有意味かという決断は、
論理的に考えると、根拠がない決断です。
人間は、もう倫理的な法則からこの決断を下すことができません。
ただ自分自身の存在の深みから、その決断を下すことができるのです。
ただ一つのことははっきりしています。究極の意味、存在の超意味を
信じようと決断すると、その創造的な結果があらわれてくるでしょう。
信じるというのは、ただ「それが」真実だと信じるということ
ではありません。信じることを、真実のことにするのです。
たんに考え方の可能性にすぎないものを実現することなのです。
「それでも人生にイエスという」
2024年8月21日水曜日
2024年8月20日火曜日
あの本、読みました?背筋&辻村深月にハマった書店員
秋澄むや遊び方を知らぬ犬
お上手と感動は別秋曇(あきぐもり)
秋の朝寝ても覚めても眠たくて
夜濯(よすすぎ)の音聞きながらひと眠り
今夜こそ早く眠りに秋の星
■あの本、読みました?
真夏のホラー特集「話題作家がTV初出演&辻村深月SP
ネットで話題のモキュメンタリホラーとは?
怖がりでも楽しめるホラー小説
鈴木保奈美 角谷暁子 背筋(せすじ) 宮本貴史 宮澤紗恵子 林祐輔 平野千恵子
カレー好きはホラー好きになる❓
「近畿地方のある場所について」を書いたきっかけは❓
「関西」ではなく「近畿」にした理由は❓
❝映像では見せられない表現❞とは❓
鍵を開けて家に入ろうとしたとき、隣の部屋のドアが
開いた音がしたんです。隣の人はこれから出かけるのかな❓
と思って挨拶しようとしたら、男の顔がぬっと出てきて、
顔だけこちらに向けました。
~中略~
3つあるうちの一番奥の個室に入りました。用を足して出ると、
隣の個室が閉まっていたんです。誰か入ってくるような音も
聞いてないですし、凄く嫌な予感がしました。
急いで通り過ぎようと足を踏み出したとき、目の前で個室のドアが
ゆっくり開いて男の顔をぬっと出てきました。
私を見つめた男の顔がニヤーッと笑顔になりました。
「またきてくださいねぇ」
「近畿地方のある場所について」の一文
背筋著/KADOKAWA
「近畿地方のある場所について」その魅力とは❓
1996年に小誌が報じた●のカルト教団を覚えているだろうか❓
前年に起きた某宗教団体によるテロ事件を受け、その頃我々は
全国のカルト教団について特集を組んで報じていた。
月刊●編集部御中
急なお手紙ですいません。私、鳥取に住む大学生の✖と申します。
実は助けていただきたくて連絡しました。
おかしな男に追われているんです。
宮澤紗恵子
ホラー作品に目覚めたキッカケ
短編を繋ぎ合わせた理由は❓
意識したのはバラエティ番組
モキュメンタリーとは「作り物・紛い物」を意味するモックと
ドキュメンタリーを掛け合わせた造語
林祐輔
なぜ袋とじを作った?
穢(けが)れた聖地巡礼について 背筋著 KADOKAWA
発売日:2024年9月3日(火)
宮本貴史 お薦め 「夜市」常川光太郎著/角川ホラー文庫
第12回「日本ホラー小説大賞受賞作」
文学的にも美しいホラー小説「夜市」
背筋 お薦め
「夜道を歩く時、彼女が隣にいる気がしてならない」和田正雪著/KADOKAWA
ホラー×青春×恋愛
「闇祓(やみはら)」辻村深月(みづき)著/角川文庫
ホラー×辻村深月 祓はハラスメントのはら
▪直木賞&本屋大賞受賞作家 辻村深月にハマった書店員
平野千恵子 宮澤紗恵子
辻村深月にハマったキッカケは❓
平野さんの心に刺さった文章
「ぼくのメジャースプーン」の一文 辻村深月著/講談社文庫
「もしも明日、ぼくがー」大きく息を吸い込む。
吐き出しながら言う。「囁いた声の結果が先生の心に
響くものだったら、先生、もう一度ふみちゃんを
助けることを考えてくれますか」
泣けるミステリ小説「ぼくのメジャースプーン」
宮澤さんの心に刺さって作品
「朝が来る」辻村深月著/文藝春秋
電車内で涙を流したシーン
「きれいだねえ、ちびたん」気づくと、声が出ていた。
ちびたん、というのは、手紙に書いた、おなかの子の名前だった。
名付けないままになる自分の子どもに、今、密かにつけている名前だ。
これまで、一度も口にしなかったし、これからも、
口にしないと思っていた。その名前が、ついうっかり、
口から出てしまった。出てしまったら、もっと呼びたくなった。
「ねえ、きれいねえ、ちびたん」
ねえ、なんていう、大人の女の人が言うような
言葉遣いをするのは初めてだった。してみたら、
なんだか自分が❝母親❞のようだった。❝お母さん❞のようだった。
母親の想いに保奈美も感動
辻村深月の魅力①「読者に優しい」②「私たちの辻村深月」
使う部屋は、私の寝室とリビングだけ。
たくさんの本や漫画の並ぶ書斎には鍵をかけ、開けない。
若さと恋愛を全身で謳歌する彼女に気が引けるからだ。
「氷のくじら」の一文 辻村深月著/講談社文庫
自分の本棚 見せられる?見せられない?
平野さん お薦めの本
「本日は大安なり」辻村深月著/角川文庫
人が亡くならないミステリー
宮澤さん お薦めの本
「ハケンアニメ」辻村深月著 マガジンハウス
熱血エンタテインメント
闇の作品は人によって捉え方が違う
お上手と感動は別秋曇(あきぐもり)
秋の朝寝ても覚めても眠たくて
夜濯(よすすぎ)の音聞きながらひと眠り
今夜こそ早く眠りに秋の星
■あの本、読みました?
真夏のホラー特集「話題作家がTV初出演&辻村深月SP
ネットで話題のモキュメンタリホラーとは?
怖がりでも楽しめるホラー小説
鈴木保奈美 角谷暁子 背筋(せすじ) 宮本貴史 宮澤紗恵子 林祐輔 平野千恵子
カレー好きはホラー好きになる❓
「近畿地方のある場所について」を書いたきっかけは❓
「関西」ではなく「近畿」にした理由は❓
❝映像では見せられない表現❞とは❓
鍵を開けて家に入ろうとしたとき、隣の部屋のドアが
開いた音がしたんです。隣の人はこれから出かけるのかな❓
と思って挨拶しようとしたら、男の顔がぬっと出てきて、
顔だけこちらに向けました。
~中略~
3つあるうちの一番奥の個室に入りました。用を足して出ると、
隣の個室が閉まっていたんです。誰か入ってくるような音も
聞いてないですし、凄く嫌な予感がしました。
急いで通り過ぎようと足を踏み出したとき、目の前で個室のドアが
ゆっくり開いて男の顔をぬっと出てきました。
私を見つめた男の顔がニヤーッと笑顔になりました。
「またきてくださいねぇ」
「近畿地方のある場所について」の一文
背筋著/KADOKAWA
「近畿地方のある場所について」その魅力とは❓
1996年に小誌が報じた●のカルト教団を覚えているだろうか❓
前年に起きた某宗教団体によるテロ事件を受け、その頃我々は
全国のカルト教団について特集を組んで報じていた。
月刊●編集部御中
急なお手紙ですいません。私、鳥取に住む大学生の✖と申します。
実は助けていただきたくて連絡しました。
おかしな男に追われているんです。
宮澤紗恵子
ホラー作品に目覚めたキッカケ
短編を繋ぎ合わせた理由は❓
意識したのはバラエティ番組
モキュメンタリーとは「作り物・紛い物」を意味するモックと
ドキュメンタリーを掛け合わせた造語
林祐輔
なぜ袋とじを作った?
穢(けが)れた聖地巡礼について 背筋著 KADOKAWA
発売日:2024年9月3日(火)
宮本貴史 お薦め 「夜市」常川光太郎著/角川ホラー文庫
第12回「日本ホラー小説大賞受賞作」
文学的にも美しいホラー小説「夜市」
背筋 お薦め
「夜道を歩く時、彼女が隣にいる気がしてならない」和田正雪著/KADOKAWA
ホラー×青春×恋愛
「闇祓(やみはら)」辻村深月(みづき)著/角川文庫
ホラー×辻村深月 祓はハラスメントのはら
▪直木賞&本屋大賞受賞作家 辻村深月にハマった書店員
平野千恵子 宮澤紗恵子
辻村深月にハマったキッカケは❓
平野さんの心に刺さった文章
「ぼくのメジャースプーン」の一文 辻村深月著/講談社文庫
「もしも明日、ぼくがー」大きく息を吸い込む。
吐き出しながら言う。「囁いた声の結果が先生の心に
響くものだったら、先生、もう一度ふみちゃんを
助けることを考えてくれますか」
泣けるミステリ小説「ぼくのメジャースプーン」
宮澤さんの心に刺さって作品
「朝が来る」辻村深月著/文藝春秋
電車内で涙を流したシーン
「きれいだねえ、ちびたん」気づくと、声が出ていた。
ちびたん、というのは、手紙に書いた、おなかの子の名前だった。
名付けないままになる自分の子どもに、今、密かにつけている名前だ。
これまで、一度も口にしなかったし、これからも、
口にしないと思っていた。その名前が、ついうっかり、
口から出てしまった。出てしまったら、もっと呼びたくなった。
「ねえ、きれいねえ、ちびたん」
ねえ、なんていう、大人の女の人が言うような
言葉遣いをするのは初めてだった。してみたら、
なんだか自分が❝母親❞のようだった。❝お母さん❞のようだった。
母親の想いに保奈美も感動
辻村深月の魅力①「読者に優しい」②「私たちの辻村深月」
使う部屋は、私の寝室とリビングだけ。
たくさんの本や漫画の並ぶ書斎には鍵をかけ、開けない。
若さと恋愛を全身で謳歌する彼女に気が引けるからだ。
「氷のくじら」の一文 辻村深月著/講談社文庫
自分の本棚 見せられる?見せられない?
平野さん お薦めの本
「本日は大安なり」辻村深月著/角川文庫
人が亡くならないミステリー
宮澤さん お薦めの本
「ハケンアニメ」辻村深月著 マガジンハウス
熱血エンタテインメント
闇の作品は人によって捉え方が違う
2024年8月19日月曜日
兼題「西瓜」&題「こわいもの」
暑き風回し回して扇風機
背に扇風機ドレッサーとにらめっこ
熱々の湯の出る蛇口八月(はちぐわつ)
八月五輪の選手小指立て
水撒くや蛙と蝉が一斉に
■NHK俳句 兼題「西瓜」
選者 木暮陶句郎 ゲスト 関根麻里 司会 柴田英嗣
年間テーマ「器に季語を盛る」
西瓜切るすぐに帰るといふ人に 西村和子
▪特選六句発表 兼題「西瓜」
西瓜食む島の新築現場かな 川上茂
決断の速い姉より西瓜とる 玉家屋(たまいえや)
父植ゑし西瓜よ父へ供へたる 井出浩堂(こうどう)
(「よ」という助詞 詠嘆の助詞 お父さんへの気持ちが寄り添っている
「や」だと俳句的に突き放した感じになってしまう
「父植ゑし西瓜を父へ備えへたる」情が少し薄れてしまう
この場合の助詞は「よ」で間違いない)
西瓜すきママがすき兄ちゃんきらい 門未知子
(並列に並べてた対句表現、最後にどんでん返し)
私 ぢいちゃんのとなりがいいと西瓜食ふ 北清水麻衣子
叩いても分らぬままに買う西瓜 佐々木康二
(西瓜を叩くというのは西瓜の概念
「分らない」と言ったことがこの句の良ささ)
▪俳句やろうぜ
若手俳人探査隊長 黒岩徳将
わかりやすさとユーモアの俳句 筑波大学3年生 西野結子さん
「科学の街」茨木県つくば市
朝永振一郎、江崎玲於奈の銅像が迎えてくれる
夏木立よりロケットの飛び出せる 黒岩徳将
傘を返しに傘で行く青楓 西野結子
▪関根麻里の一句
西瓜割りなかなか割れず仲間割れ 関根麻里
(俳句は一人称の詩自分がどうしたのか 自分がどう思ったのか
実際に体験を通して作ったのか 想像を広げて作ったのか
目線が上から見ている 演出家の俳句 演出家にならないほうがいい
自分のことを詠んだ方がいい)
▪特選三席 兼題「西瓜」
一席 一度だけすいかどろぼうやりました 丸田征男(いくお)
(NHK俳句で懺悔したのだから、
これからは美味しく西瓜が食べられますよ)
二席 抑留の叔父は西瓜のたびに泣く 原田香伯(こうはく)
(比喩表現の中の「換喩(かんゆ)」という比喩を使っている
やかんを沸かす⇨湯を沸かす ゴッホを見る⇨ゴッホの絵を見る)
抑留の叔父⇨省略するための換喩表現となっている
食べるも省略されている)
三席 メロンより西瓜の好きな妻が好き 塚本治彦
(西瓜とメロンに比較が面白い)
▪柴田の歩み
柴田家は若い順
■NHK短歌 題「こわいもの」
選者 大森静佳 ゲスト 神田山緑(さんりょく) 司会 尾崎世界観
年間テーマ「“ものがたり”の深みへ」
講談はト書きの文化
こはきもの失せたるときに髪の毛を三つ編みにして死が立つてゐる
山田富士郎
▪歌に❝ものがたり❞あり
入選九首 テーマ「こわいもの」
一席 タワマンの部屋の明かりが消えていくジェンガであれば右に倒れる
西田浩之
いい人、と姉はきのこの毒の有無みたいに言って写真を見せた
葉村直(なお)
豚を乗せ工場へ向かうトラックが法定速度でわが前を行く
飯田英範
私 笑い声の足されたお笑い番組にわたしの笑い声が消される
三月とあ
どうでも良いニュースが続くどうでもいい深夜一時を作り出すため
藤森円
唐突にやさしくされると怖いんだ平らに変わるエスカレーター
谷口奈月
私 ご丁寧に私のネットの悪口をプリントアウトしてくれた人
羽石(はねいし)ねこ
三席 祈る手の中に怖い手だってある千手観音どの手で救う
稲山博司
二席 夏の宵スペアを持たぬ眼球で戦争映画の字幕をたどる
芍薬
▪ものがたりの深みへ
小泉八雲の代表作「耳なし芳一」
住職が芳一の体中にお経を書いて怨霊から芳一が見えないようにする
耳にだけお経を書き忘れてしまう
全身の経文(きょうもん)の字が泡立ちぬみりみりめりっと耳ねじ切られ
大森静佳
転の声
思わず両耳に人差し指を突っ込んだら、自分が聞こえた。
じゅわじゅわ脈打つ自分の内側の音が逆流して
一瞬、ライブの音が完全に消えた。
▪言葉のバトン
初夏に聞く蝉の歌声初々しい
神田日陽里(ひより)(東京学館新潟高等学校3年)
⇩
命の限り歌えよ恋を
田村裕
(東京学館新潟高等学校教諭)
鯉って生命力かなと思って
アイタクテ アエナクタッテ アイタクテ アナタヲイツモ オモッテイマス
感情とか思いと毛先の感覚ってつながっているんじゃないかなと思いますよね
背に扇風機ドレッサーとにらめっこ
熱々の湯の出る蛇口八月(はちぐわつ)
八月五輪の選手小指立て
水撒くや蛙と蝉が一斉に
■NHK俳句 兼題「西瓜」
選者 木暮陶句郎 ゲスト 関根麻里 司会 柴田英嗣
年間テーマ「器に季語を盛る」
西瓜切るすぐに帰るといふ人に 西村和子
▪特選六句発表 兼題「西瓜」
西瓜食む島の新築現場かな 川上茂
決断の速い姉より西瓜とる 玉家屋(たまいえや)
父植ゑし西瓜よ父へ供へたる 井出浩堂(こうどう)
(「よ」という助詞 詠嘆の助詞 お父さんへの気持ちが寄り添っている
「や」だと俳句的に突き放した感じになってしまう
「父植ゑし西瓜を父へ備えへたる」情が少し薄れてしまう
この場合の助詞は「よ」で間違いない)
西瓜すきママがすき兄ちゃんきらい 門未知子
(並列に並べてた対句表現、最後にどんでん返し)
私 ぢいちゃんのとなりがいいと西瓜食ふ 北清水麻衣子
叩いても分らぬままに買う西瓜 佐々木康二
(西瓜を叩くというのは西瓜の概念
「分らない」と言ったことがこの句の良ささ)
▪俳句やろうぜ
若手俳人探査隊長 黒岩徳将
わかりやすさとユーモアの俳句 筑波大学3年生 西野結子さん
「科学の街」茨木県つくば市
朝永振一郎、江崎玲於奈の銅像が迎えてくれる
夏木立よりロケットの飛び出せる 黒岩徳将
傘を返しに傘で行く青楓 西野結子
▪関根麻里の一句
西瓜割りなかなか割れず仲間割れ 関根麻里
(俳句は一人称の詩自分がどうしたのか 自分がどう思ったのか
実際に体験を通して作ったのか 想像を広げて作ったのか
目線が上から見ている 演出家の俳句 演出家にならないほうがいい
自分のことを詠んだ方がいい)
▪特選三席 兼題「西瓜」
一席 一度だけすいかどろぼうやりました 丸田征男(いくお)
(NHK俳句で懺悔したのだから、
これからは美味しく西瓜が食べられますよ)
二席 抑留の叔父は西瓜のたびに泣く 原田香伯(こうはく)
(比喩表現の中の「換喩(かんゆ)」という比喩を使っている
やかんを沸かす⇨湯を沸かす ゴッホを見る⇨ゴッホの絵を見る)
抑留の叔父⇨省略するための換喩表現となっている
食べるも省略されている)
三席 メロンより西瓜の好きな妻が好き 塚本治彦
(西瓜とメロンに比較が面白い)
▪柴田の歩み
柴田家は若い順
■NHK短歌 題「こわいもの」
選者 大森静佳 ゲスト 神田山緑(さんりょく) 司会 尾崎世界観
年間テーマ「“ものがたり”の深みへ」
講談はト書きの文化
こはきもの失せたるときに髪の毛を三つ編みにして死が立つてゐる
山田富士郎
▪歌に❝ものがたり❞あり
入選九首 テーマ「こわいもの」
一席 タワマンの部屋の明かりが消えていくジェンガであれば右に倒れる
西田浩之
いい人、と姉はきのこの毒の有無みたいに言って写真を見せた
葉村直(なお)
豚を乗せ工場へ向かうトラックが法定速度でわが前を行く
飯田英範
私 笑い声の足されたお笑い番組にわたしの笑い声が消される
三月とあ
どうでも良いニュースが続くどうでもいい深夜一時を作り出すため
藤森円
唐突にやさしくされると怖いんだ平らに変わるエスカレーター
谷口奈月
私 ご丁寧に私のネットの悪口をプリントアウトしてくれた人
羽石(はねいし)ねこ
三席 祈る手の中に怖い手だってある千手観音どの手で救う
稲山博司
二席 夏の宵スペアを持たぬ眼球で戦争映画の字幕をたどる
芍薬
▪ものがたりの深みへ
小泉八雲の代表作「耳なし芳一」
住職が芳一の体中にお経を書いて怨霊から芳一が見えないようにする
耳にだけお経を書き忘れてしまう
全身の経文(きょうもん)の字が泡立ちぬみりみりめりっと耳ねじ切られ
大森静佳
転の声
思わず両耳に人差し指を突っ込んだら、自分が聞こえた。
じゅわじゅわ脈打つ自分の内側の音が逆流して
一瞬、ライブの音が完全に消えた。
▪言葉のバトン
初夏に聞く蝉の歌声初々しい
神田日陽里(ひより)(東京学館新潟高等学校3年)
⇩
命の限り歌えよ恋を
田村裕
(東京学館新潟高等学校教諭)
鯉って生命力かなと思って
アイタクテ アエナクタッテ アイタクテ アナタヲイツモ オモッテイマス
感情とか思いと毛先の感覚ってつながっているんじゃないかなと思いますよね
2024年8月18日日曜日
100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(2)魂の糧としてのコトバ
東の岸田!西の斎藤!八月(はちぐわつ)
秋干潟ワライカモメの飛来あり
黒沢のさぎそう見頃ふわっふわ
葉鶏頭きらっきらのグラデーション
盆の月景気底冷え地球規模
■100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(2)魂の糧としてのコトバ
若松英輔 伊集院光 阿部みちこ
「新約聖書福音書」
「人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる」
福音書は文字によって読まれてはならないのです。
あの夥(おびただ)しい経巻(きょうかん)は
文字を超えようとする文字なのです。
言葉なき境にその言葉を読まないなら、
真理の扉を開くことはできないのです。
(柳宗悦「柳宗悦宗教選集 第二巻 神について」
「コトバ」と記すようになったのは
井筒俊彦(1914~1993)言語学者 哲学者 イスラーム学者
言葉(文字 発語)だけではなくて いろんな意味があるコトバを
感じながら用いながら生きているのではないか❓
コトバは「事実」を包み込むような「真実」まで伝えうる
自分の人生の経験で読んでいく
マタイによる福音書4・1-4
さて、イエスは霊に導かれ荒れ野に行かれた。
それは悪魔によってって試みられるためであった。
そして、四十日四十夜断食した後、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づき、イエスに言った、
「もしあなたが神の子なら、これらの石が
パンになるよう命じなさい」イエスは答えて仰せになった、
「『人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる』と書き記されている」。
ヨハネによる福音書4・13-15
「この水を飲む人はみな、また喉が渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。
それどころか、わたしが与える水は、その人の中で泉となって、
永遠の命に至る水が湧き出る」。
その女はイエスに言った。
「主よ、喉が渇くことのないように、また、ここにくみに
こなくてもいいように、その水をわたしにください」。
我々はパンだけあれば満足する存在ではない
ヨハネ4:32
イエスは、
「わたしにはあなた方のしらない食べ物がある」と仰せになった。
ヨハネ1:1-2
イエスがいう「食べ物」=コトバ?
意味あるいは人とのつながりをコトバによって我々は経験している
それが私たちの重要な糧
初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。
み言葉は神であった。み言葉は初めに神とともにあった。
上記の言葉が「コトバ」であったら万物をあらしめるはたらき
み言葉=ロゴス(理法)
ヨハネ1:10-11
この世はみ言葉によってできたが、
この世はみ言葉(イエス)を認めなかった。
み言葉(イエス)は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。
パンと魚と奇跡
「ここは人里離れたところです。もう、時もだいぶたちました。
みなを解散させてください。そうすれば、
周りの村里や村々に行って何か食べる物をかうことができるでしょう」。
「あなた方が食べる物をやりなさい」と仰せになった。
弟子たちは、「二百デナリオン分のパンを買って来て、
みんなに食べさせよと、おっしゃるのですか」と言った。
そこで、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰ぎ、
賛美をささげてパンを裂いて、弟子たちに渡し、
みなに配らせ、二匹の魚もみなに分け与えられた。
みなは満腹するまで食べた。そして、残ったパン切れと
魚を集めると十二の籠にいっぱいになった。
パンを食べた人は男五千人であった。
「マルコによる福音書」6・35-44
増えたパンと魚の意味
イエスのコトバを受け取った人々が本当に満たされた
ひとつのコトバがひとりひとりに異なるように受け入れられた
分かち合うときにそれ以上のものが生まれる
イエスは自分自身をパンにたとえる
わたしは天から降ってきた、生けるパンである。
このパンを食べる人は永遠に生きる。
「ヨハネによる福音書」6・51
コトバと永遠の命
イエスの弟子たちは師のコトバがあんまり理解できない
さて、イエスがカファルナウムにお入りになると、
百人隊長が近づいてきてイエスに懇願した。
「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風(ちゅうぶ)で
ひどく苦しみ、家で寝込んでいます」。
「わたしが行って癒してあげよう」
ただ、お言葉をください。そうすれば、
わたしの僕(しもべ)は癒されます。
イエスはこれを聞いて感心し、ついに来た人々に仰せになった、
「あなた方によく言っておく。イスラエルの中でさえ、
これほどの信仰を見たことがない。(略)」
それから、イエスは百人隊長に仰せになった、
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」。
すると、ちょうどその時、僕(しもべ)は癒された。
「マタイによる福音書」8・5-13
「ただ、お言葉をください」
おまえがたべる このふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって
やがてはおまえとみんなとに聖(きよ)い資糧(しりょう)をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」より
コトバは生きている人と亡くなっている人をつなぐ力がある
コトバは響く 後々へと響く 響きとして存在するコトバ
断食修行中に「神の子ならば石をパンに変えてみよ」と問う悪魔に対し
「人はパンだけで生きるのではない」といい
人間は言葉によって生きると伝えるイエス。その真意とは?
五つのパンと二匹の魚で五千人もの男を満腹にさせる奇跡を起こしたイエス。
深く読み解けば、人々が食したのはイエスによって
もたらされた言葉だととらえることもできる。
若松さんは、「永遠の命に至らせる食べ物」と繰り返し
表現されるものこそ大いなる働きによってもたらされたコトバであり、
魂の糧として人々を生かすものだという。
第二回は、奇跡の描写の深い意味を読み解き、
生きることを支えてくれるコトバの力を探っていく。
参照:https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/QZX77PW964/
秋干潟ワライカモメの飛来あり
黒沢のさぎそう見頃ふわっふわ
葉鶏頭きらっきらのグラデーション
盆の月景気底冷え地球規模
■100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(2)魂の糧としてのコトバ
若松英輔 伊集院光 阿部みちこ
「新約聖書福音書」
「人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる」
福音書は文字によって読まれてはならないのです。
あの夥(おびただ)しい経巻(きょうかん)は
文字を超えようとする文字なのです。
言葉なき境にその言葉を読まないなら、
真理の扉を開くことはできないのです。
(柳宗悦「柳宗悦宗教選集 第二巻 神について」
「コトバ」と記すようになったのは
井筒俊彦(1914~1993)言語学者 哲学者 イスラーム学者
言葉(文字 発語)だけではなくて いろんな意味があるコトバを
感じながら用いながら生きているのではないか❓
コトバは「事実」を包み込むような「真実」まで伝えうる
自分の人生の経験で読んでいく
マタイによる福音書4・1-4
さて、イエスは霊に導かれ荒れ野に行かれた。
それは悪魔によってって試みられるためであった。
そして、四十日四十夜断食した後、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づき、イエスに言った、
「もしあなたが神の子なら、これらの石が
パンになるよう命じなさい」イエスは答えて仰せになった、
「『人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生きる』と書き記されている」。
ヨハネによる福音書4・13-15
「この水を飲む人はみな、また喉が渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。
それどころか、わたしが与える水は、その人の中で泉となって、
永遠の命に至る水が湧き出る」。
その女はイエスに言った。
「主よ、喉が渇くことのないように、また、ここにくみに
こなくてもいいように、その水をわたしにください」。
我々はパンだけあれば満足する存在ではない
ヨハネ4:32
イエスは、
「わたしにはあなた方のしらない食べ物がある」と仰せになった。
ヨハネ1:1-2
イエスがいう「食べ物」=コトバ?
意味あるいは人とのつながりをコトバによって我々は経験している
それが私たちの重要な糧
初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。
み言葉は神であった。み言葉は初めに神とともにあった。
上記の言葉が「コトバ」であったら万物をあらしめるはたらき
み言葉=ロゴス(理法)
ヨハネ1:10-11
この世はみ言葉によってできたが、
この世はみ言葉(イエス)を認めなかった。
み言葉(イエス)は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。
パンと魚と奇跡
「ここは人里離れたところです。もう、時もだいぶたちました。
みなを解散させてください。そうすれば、
周りの村里や村々に行って何か食べる物をかうことができるでしょう」。
「あなた方が食べる物をやりなさい」と仰せになった。
弟子たちは、「二百デナリオン分のパンを買って来て、
みんなに食べさせよと、おっしゃるのですか」と言った。
そこで、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰ぎ、
賛美をささげてパンを裂いて、弟子たちに渡し、
みなに配らせ、二匹の魚もみなに分け与えられた。
みなは満腹するまで食べた。そして、残ったパン切れと
魚を集めると十二の籠にいっぱいになった。
パンを食べた人は男五千人であった。
「マルコによる福音書」6・35-44
増えたパンと魚の意味
イエスのコトバを受け取った人々が本当に満たされた
ひとつのコトバがひとりひとりに異なるように受け入れられた
分かち合うときにそれ以上のものが生まれる
イエスは自分自身をパンにたとえる
わたしは天から降ってきた、生けるパンである。
このパンを食べる人は永遠に生きる。
「ヨハネによる福音書」6・51
コトバと永遠の命
イエスの弟子たちは師のコトバがあんまり理解できない
さて、イエスがカファルナウムにお入りになると、
百人隊長が近づいてきてイエスに懇願した。
「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風(ちゅうぶ)で
ひどく苦しみ、家で寝込んでいます」。
「わたしが行って癒してあげよう」
ただ、お言葉をください。そうすれば、
わたしの僕(しもべ)は癒されます。
イエスはこれを聞いて感心し、ついに来た人々に仰せになった、
「あなた方によく言っておく。イスラエルの中でさえ、
これほどの信仰を見たことがない。(略)」
それから、イエスは百人隊長に仰せになった、
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」。
すると、ちょうどその時、僕(しもべ)は癒された。
「マタイによる福音書」8・5-13
「ただ、お言葉をください」
おまえがたべる このふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって
やがてはおまえとみんなとに聖(きよ)い資糧(しりょう)をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」より
コトバは生きている人と亡くなっている人をつなぐ力がある
コトバは響く 後々へと響く 響きとして存在するコトバ
断食修行中に「神の子ならば石をパンに変えてみよ」と問う悪魔に対し
「人はパンだけで生きるのではない」といい
人間は言葉によって生きると伝えるイエス。その真意とは?
五つのパンと二匹の魚で五千人もの男を満腹にさせる奇跡を起こしたイエス。
深く読み解けば、人々が食したのはイエスによって
もたらされた言葉だととらえることもできる。
若松さんは、「永遠の命に至らせる食べ物」と繰り返し
表現されるものこそ大いなる働きによってもたらされたコトバであり、
魂の糧として人々を生かすものだという。
第二回は、奇跡の描写の深い意味を読み解き、
生きることを支えてくれるコトバの力を探っていく。
参照:https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/QZX77PW964/
2024年8月17日土曜日
世界平和記念聖堂 村野藤吾&「箱眼鏡」&川上貞
松本俊介氏と莞氏へ
生き抜いた音なき世界油照り
空蝉や音なき世界何と抗う
淋しさを背景に込めゆやけ雲
夏深し無音の愛を莞(かん)くんへ
雲の峰愛の連鎖の生まれけり
■新美の巨人たち【Artで願う平和の旅①広島「世界平和記念聖堂」
▼広島が世界に誇れる建築「世界平和記念聖堂」は、
被ばくした神父や信者たちの平和への願いをくんだ
建築家・村野藤吾が完成まで6年をかけたカトリック教会
▼戦後初の設計コンペを経て伝統的な教会建築と
日本的な意匠を融合させた独特な建築となった。
▼更にこの聖堂の建設を知った世界中の人々から、
マリア像のモザイク画やステンドグラスなど
いくつものものが無償で送られてきた
▼人々の温もりが生んだまさに奇跡の教会
参照:https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202408/14857_202408102200.html
最初の設計審査では二等丹下健三 三等前川國男 一等該当者なし
ラサール神父を始め教会側が難色を示したのです。
理由は現代的で記念的性格はあるが
宗教的と日本的という点が非常に弱い
ここで意外な点が…。教会側から村野藤吾氏へ依頼が…。
「あなたなら信頼できるから任せたい」と…。
村野藤吾氏の一任されることとなった
紆余曲折の末…。
フーゴ・ラサール(和名 愛宮真備)神父の言葉
どうやら建ちました よくもまあ建ったものです
村野藤吾氏の言葉
誠に期待通りの結果が得られないで申し訳ありませんが
これから十年後になったら何とか見られるようになるでしょう
村野藤吾(世界平和記念聖堂 設計者)
建物は竣工した時に設計が終わるのではなくて
本当に設計が終わるとは5年10年のちにそこに使う人たちの
愛情が加わって初めてものを言う レンガも鉄筋も
コンクリートも人と対等にものを言える その時がはじめて
「建築」になると私は信じております
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「箱眼鏡」
「あ~懐かしいわ~」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね
夏の子供達の遊びの一つとして歳時記には載っております
昔はガラスが貴重だったのですけれども
大体30㎝程度高さ40㎝位でしょうかね
その箱の底の部分にガラスを張って
水の中にそれで顔をつけてやると
水の中が見えるというものだったんですよね
その「箱眼鏡」を使って魚を獲ったりということも
子供の遊びとして歳時記には載っております
現代では随分物も豊かになりまして
ガラスに限らずサランラップなんかを容器の底にとめて
「箱眼鏡」代わりにして遊ぶなんていうこともできますね
子供心にかえってちょっと遊んでみたくなるような季語でございます
■先人たちの底力 知恵泉 次々に新しい扉を開く極意 川上貞
貞奴は桃介に金をねだってその貰った金で生活を立てていたのではない
貞奴は自分で金の利殖を計っていわば自前の生活を主としていた
「経営の鬼才 福沢桃介」より
生き抜いた音なき世界油照り
空蝉や音なき世界何と抗う
淋しさを背景に込めゆやけ雲
夏深し無音の愛を莞(かん)くんへ
雲の峰愛の連鎖の生まれけり
■新美の巨人たち【Artで願う平和の旅①広島「世界平和記念聖堂」
▼広島が世界に誇れる建築「世界平和記念聖堂」は、
被ばくした神父や信者たちの平和への願いをくんだ
建築家・村野藤吾が完成まで6年をかけたカトリック教会
▼戦後初の設計コンペを経て伝統的な教会建築と
日本的な意匠を融合させた独特な建築となった。
▼更にこの聖堂の建設を知った世界中の人々から、
マリア像のモザイク画やステンドグラスなど
いくつものものが無償で送られてきた
▼人々の温もりが生んだまさに奇跡の教会
参照:https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202408/14857_202408102200.html
最初の設計審査では二等丹下健三 三等前川國男 一等該当者なし
ラサール神父を始め教会側が難色を示したのです。
理由は現代的で記念的性格はあるが
宗教的と日本的という点が非常に弱い
ここで意外な点が…。教会側から村野藤吾氏へ依頼が…。
「あなたなら信頼できるから任せたい」と…。
村野藤吾氏の一任されることとなった
紆余曲折の末…。
フーゴ・ラサール(和名 愛宮真備)神父の言葉
どうやら建ちました よくもまあ建ったものです
村野藤吾氏の言葉
誠に期待通りの結果が得られないで申し訳ありませんが
これから十年後になったら何とか見られるようになるでしょう
村野藤吾(世界平和記念聖堂 設計者)
建物は竣工した時に設計が終わるのではなくて
本当に設計が終わるとは5年10年のちにそこに使う人たちの
愛情が加わって初めてものを言う レンガも鉄筋も
コンクリートも人と対等にものを言える その時がはじめて
「建築」になると私は信じております
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「箱眼鏡」
「あ~懐かしいわ~」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね
夏の子供達の遊びの一つとして歳時記には載っております
昔はガラスが貴重だったのですけれども
大体30㎝程度高さ40㎝位でしょうかね
その箱の底の部分にガラスを張って
水の中にそれで顔をつけてやると
水の中が見えるというものだったんですよね
その「箱眼鏡」を使って魚を獲ったりということも
子供の遊びとして歳時記には載っております
現代では随分物も豊かになりまして
ガラスに限らずサランラップなんかを容器の底にとめて
「箱眼鏡」代わりにして遊ぶなんていうこともできますね
子供心にかえってちょっと遊んでみたくなるような季語でございます
■先人たちの底力 知恵泉 次々に新しい扉を開く極意 川上貞
貞奴は桃介に金をねだってその貰った金で生活を立てていたのではない
貞奴は自分で金の利殖を計っていわば自前の生活を主としていた
「経営の鬼才 福沢桃介」より
2024年8月16日金曜日
かき氷で一句
島田島朝待ちかねて蓮見せり
たそがれて喉通過せり冷奴
ミニトマト花はいっぱいつけたけど
ミニトマト今日も木酢噴霧せり
月を待つ今夜もしかと見つめ合う
■プレバト纏め
かき氷で一句
特別永世名人の締めの一句 梅沢富美男
秋淋(さび)し宇治金時のほろ苦く
添削(淋しと苦くがちょっと近いのが気になる
宇治金時だけはほろ甘いけど
秋というのも私の人生も淋しいではないかと)
秋淋(さび)し宇治金時のほろ甘く
特待生昇格試験 「名人への試験」 こがけん
高原の氷菓エスプーマの瑞煙
添削(瑞煙とは山や川にかかるめでたい兆しの雲や霧
エスプーマとは液体を泡にできるもの ほどよい落差
比喩は落差がないと面白くない
季語を印象深く残す手立てが一個 語順を変える)
エスプーマの瑞煙高原の氷菓
1位 野村麻純
もどろみの友は臨月夏氷
(ほのぼのといい句 友への暖かい視線が感じられる)
2位 玉井詩織
山積みのプリント救いのかき氷
添削(句またがりの一句 「救い」は感想になっている
感想説明ではなく映像 事実だけを書いているけど
かき氷の味も変わってくる リアリティーが変わる)
山積みのプリント置いてかき氷
山積みのプリント終えてかき氷
3位 辰巳琢郎
餅飯殿(もちいどの)にも賑はひ戻りかき氷
添削(餅飯殿とかき氷の取り合わせは個性があって良い
取り合わせが面白い 「にも」は散文的 「に」でよい
戻る賑はひとしたら映像になる)
餅飯殿に戻る賑はひかき氷
4位 佐野晶哉
炎(も)ゆる雲ボール回した帰り道
添削(「炎ゆ」が季語 夏の季語 万物が燃えるような熱気)
夕焼雲ボール回した帰り道
夕焼やボール回した帰り道
5位 飯尾和樹
口元や甘いドラキュラかき氷
添削(よくある比喩 書くのも恥ずかしい陳腐な比喩
努力のあとは見える 発想の土台が凡人
甘いとしたことで詩が生まれるんじゃないか)
口元は甘いドラキュラかき氷
次回のお題は「ケータリング」
たそがれて喉通過せり冷奴
ミニトマト花はいっぱいつけたけど
ミニトマト今日も木酢噴霧せり
月を待つ今夜もしかと見つめ合う
■プレバト纏め
かき氷で一句
特別永世名人の締めの一句 梅沢富美男
秋淋(さび)し宇治金時のほろ苦く
添削(淋しと苦くがちょっと近いのが気になる
宇治金時だけはほろ甘いけど
秋というのも私の人生も淋しいではないかと)
秋淋(さび)し宇治金時のほろ甘く
特待生昇格試験 「名人への試験」 こがけん
高原の氷菓エスプーマの瑞煙
添削(瑞煙とは山や川にかかるめでたい兆しの雲や霧
エスプーマとは液体を泡にできるもの ほどよい落差
比喩は落差がないと面白くない
季語を印象深く残す手立てが一個 語順を変える)
エスプーマの瑞煙高原の氷菓
1位 野村麻純
もどろみの友は臨月夏氷
(ほのぼのといい句 友への暖かい視線が感じられる)
2位 玉井詩織
山積みのプリント救いのかき氷
添削(句またがりの一句 「救い」は感想になっている
感想説明ではなく映像 事実だけを書いているけど
かき氷の味も変わってくる リアリティーが変わる)
山積みのプリント置いてかき氷
山積みのプリント終えてかき氷
3位 辰巳琢郎
餅飯殿(もちいどの)にも賑はひ戻りかき氷
添削(餅飯殿とかき氷の取り合わせは個性があって良い
取り合わせが面白い 「にも」は散文的 「に」でよい
戻る賑はひとしたら映像になる)
餅飯殿に戻る賑はひかき氷
4位 佐野晶哉
炎(も)ゆる雲ボール回した帰り道
添削(「炎ゆ」が季語 夏の季語 万物が燃えるような熱気)
夕焼雲ボール回した帰り道
夕焼やボール回した帰り道
5位 飯尾和樹
口元や甘いドラキュラかき氷
添削(よくある比喩 書くのも恥ずかしい陳腐な比喩
努力のあとは見える 発想の土台が凡人
甘いとしたことで詩が生まれるんじゃないか)
口元は甘いドラキュラかき氷
次回のお題は「ケータリング」
2024年8月15日木曜日
100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(1)悲しむ人は幸いである
松本俊介氏と莞氏へ
風死すや大地踏みしめうつろな目
風薫る童画へ愛を加筆せり
炎昼や聞こえる無音風景へ
朝の空送り続けた絵手紙と
喜びは無言の中に夏旺(さか)ん
■100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(1)悲しむ人は幸いである
若松英輔 伊集院光 阿部みちこ
旧約聖書はユダヤ教の聖典
旧約聖書+新約聖書はキリスト教の聖典
新約聖書 福音書(喜びの知らせ) 基本情報
内容 救世主イエス・キリストの生涯を伝える
4つの福音書 マタイ マルコ ルカ ヨハネ
成立 イエスの死後 紀元1世紀後半~2世紀頃
イエスの生涯
誕生
み使いは言った、
「恐れることはない。わたしは、民全体に及び、
大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。
今日、ダビデの町に、あなた方のために、
救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。
あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている
乳飲み子を見出すであろう。これが徴(しるし)である」。
「ルカによる福音書」2・10・12
「喜びの知らせ」を王は喜ばない
イエスが教えてくれる世界は等しさの世界
イエスの誕生という福音は羊飼い=民衆に伝えられた
2歳以下の子供を全員殺すよう命じた
受洗
洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受ける
洗礼者ヨハネの言葉
「わたしは水であなたがたに洗礼を授けるが、
わたしよりも力のある方が来られる。
(略)その方は精霊と火で、あなたがたに洗礼をお授けになる。」
(ルカ3:16)
精霊=神のはたらき 「精霊」「風」=プネウマ
「火」=生きていくうえでの試練
イエスは弱い人間に寄り添っていく
自分の貧しさを知る人は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる。
柔和な人は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人は幸いである。その人たちは満たされている。
憐れみ深い人は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る。
平和をもたらす人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害されている人は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
「マタイによる福音書」5・3-10
貧しさ=心のありようの不完全さ
等しさ 神の前にみな平等
衣の触れる人を探す
出血病に苦しむ女性
イエスのことを聞いた彼女は、群衆に交じり、
後ろのほうからイエスの衣に触れた。
イエスの衣にさえ触れることができれば、
救われるに違いないと思っていたからである。
すると、立ちどころに血の源が乾いて、
病気が治ったことを体に感じた。
イエスもまたすぐに、ご自分の中から
力が出ていったことに気づいて、群衆のほうを振り返り、
「わたしの衣に触れたのは誰か」と仰せになった。
「マルコによる福音書」5・7-30
彼女は自分に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、
イエスのもとにひれ伏し、すべてをありのままに申しあげた。
そこでイエスは仰せになった、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。もうこの病気で悩むことはない。」
「マルコによる福音書」5・33-34
イエスの衣に触れるということ
私たちの中には自分を癒すだけの力は備わっている
苦しむ人の立場に立つイエス
イエスはどんな人でもイエスの方から探してくれる
「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。
『わたしが望むのは犠牲(いけにえ)ではなく、憐みである』
ということが何を意味するか、学んできなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである」。
「マルコによる福音書」9・12-13
罪人を招くイエス 罪=ハマルティア(的外れ)
私たちの罪を拒絶するのではなく共に生きるためにイエスは来た
イエスの考えに「裁き」がない
我々の存在は誤りゆえに飛躍するのではないか
宣教 奇跡 受難 復活
有名なイエスの「山上の説教」では「悲しむ人たちは幸いである」と説かれ、
誰が偉いかを競い合う弟子たちには「幼子の一人を受け入れる者は、
わたしを受け入れる者である」と語る。
彼の生涯は一貫して「悲しむ人」「小さき人」「蔑まれた人」たちと共にあったのだ。
これらの言葉にはあらゆる宗教を貫く神髄があるという。
第一回は、イエスの生誕、受洗、最初の説教などを通して、
イエスの生涯に込められた深い意味を探る。
NHKプラス https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2024080506242 参照
風死すや大地踏みしめうつろな目
風薫る童画へ愛を加筆せり
炎昼や聞こえる無音風景へ
朝の空送り続けた絵手紙と
喜びは無言の中に夏旺(さか)ん
■100分de名著 選❝新約聖書 福音書❞(1)悲しむ人は幸いである
若松英輔 伊集院光 阿部みちこ
旧約聖書はユダヤ教の聖典
旧約聖書+新約聖書はキリスト教の聖典
新約聖書 福音書(喜びの知らせ) 基本情報
内容 救世主イエス・キリストの生涯を伝える
4つの福音書 マタイ マルコ ルカ ヨハネ
成立 イエスの死後 紀元1世紀後半~2世紀頃
イエスの生涯
誕生
み使いは言った、
「恐れることはない。わたしは、民全体に及び、
大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。
今日、ダビデの町に、あなた方のために、
救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。
あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている
乳飲み子を見出すであろう。これが徴(しるし)である」。
「ルカによる福音書」2・10・12
「喜びの知らせ」を王は喜ばない
イエスが教えてくれる世界は等しさの世界
イエスの誕生という福音は羊飼い=民衆に伝えられた
2歳以下の子供を全員殺すよう命じた
受洗
洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受ける
洗礼者ヨハネの言葉
「わたしは水であなたがたに洗礼を授けるが、
わたしよりも力のある方が来られる。
(略)その方は精霊と火で、あなたがたに洗礼をお授けになる。」
(ルカ3:16)
精霊=神のはたらき 「精霊」「風」=プネウマ
「火」=生きていくうえでの試練
イエスは弱い人間に寄り添っていく
自分の貧しさを知る人は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる。
柔和な人は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人は幸いである。その人たちは満たされている。
憐れみ深い人は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る。
平和をもたらす人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害されている人は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
「マタイによる福音書」5・3-10
貧しさ=心のありようの不完全さ
等しさ 神の前にみな平等
衣の触れる人を探す
出血病に苦しむ女性
イエスのことを聞いた彼女は、群衆に交じり、
後ろのほうからイエスの衣に触れた。
イエスの衣にさえ触れることができれば、
救われるに違いないと思っていたからである。
すると、立ちどころに血の源が乾いて、
病気が治ったことを体に感じた。
イエスもまたすぐに、ご自分の中から
力が出ていったことに気づいて、群衆のほうを振り返り、
「わたしの衣に触れたのは誰か」と仰せになった。
「マルコによる福音書」5・7-30
彼女は自分に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、
イエスのもとにひれ伏し、すべてをありのままに申しあげた。
そこでイエスは仰せになった、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。もうこの病気で悩むことはない。」
「マルコによる福音書」5・33-34
イエスの衣に触れるということ
私たちの中には自分を癒すだけの力は備わっている
苦しむ人の立場に立つイエス
イエスはどんな人でもイエスの方から探してくれる
「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。
『わたしが望むのは犠牲(いけにえ)ではなく、憐みである』
ということが何を意味するか、学んできなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである」。
「マルコによる福音書」9・12-13
罪人を招くイエス 罪=ハマルティア(的外れ)
私たちの罪を拒絶するのではなく共に生きるためにイエスは来た
イエスの考えに「裁き」がない
我々の存在は誤りゆえに飛躍するのではないか
宣教 奇跡 受難 復活
有名なイエスの「山上の説教」では「悲しむ人たちは幸いである」と説かれ、
誰が偉いかを競い合う弟子たちには「幼子の一人を受け入れる者は、
わたしを受け入れる者である」と語る。
彼の生涯は一貫して「悲しむ人」「小さき人」「蔑まれた人」たちと共にあったのだ。
これらの言葉にはあらゆる宗教を貫く神髄があるという。
第一回は、イエスの生誕、受洗、最初の説教などを通して、
イエスの生涯に込められた深い意味を探る。
NHKプラス https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2024080506242 参照
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