境界線を描き続けて夏の空
掌の宇宙と共に夏を生き
雲の峰笑うクマさん溢れる涙
夏の月気が小さくて弱虫で
夏の風吹く泥禿庵(でこあん)と放屁庵
■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園
村雨辰剛
広さ東京ドーム約4個分 175,000㎡
17棟の建造物 10棟が国の重要文化財 3棟が横浜市の有形文化財
研究者の間では東の桂離宮と呼ばれている
明治時代に実業家が私財で作庭 名建築とともに見る庭
大池
三溪園は開園して120年
三溪園保勝会 事業課長・学芸員 吉川利一
春は桜 夏は蓮 秋は紅葉 冬は梅
外苑(1906年 原三渓が一般に公開)と内苑からできている
正門 臥竜梅 三重塔 聴秋閣 臨春閣
原三渓は明治時代 生糸の輸出業で成功 富岡製糸場を所有
三溪園のシンボル 三重塔 国の重要文化財
三重塔と大池は元々ここにあったものではない
原三渓の構想にデザインをして造り上げている
人力で池を掘る 出た土で山の形を整える
旧燈明寺三重塔 京都で解体し三溪園で組み立て直した
原三渓は日本の古き良きものが次々と失われていく事に対して
危機感を持っていた 存続の危機にある歴史的建造物を
三溪園の地に移築・収集した
近代化が進む日本 横浜
日本の美を守り伝える為三溪園を市民に開放
哲学がある 庭園をつくって自分だけで楽しまずに
広く公開して日本の良さを分かってもらって分かち合おう
正門には 「遊覧御随意」 昔は24時間自由には入れた
初音茶屋では当時の来園者へのおもてなし
戦前までは来園者に無料でお茶を提供していた
その中の一人が芥川龍之介 ここで俳句を詠んだ
「ひとはかり浮く香煎や白湯の秋 芥川龍之介
三渓がプライベートで作った内苑
臨春閣 国の重要文化財
移築当時は聚楽第の遺構とされ「桃山御殿」と呼ばれていた
近年の研究では紀州徳川家の別荘「厳出(いわで)御殿」とする説が有力
臨春閣と調和するように池を造成
たしなみポイント
州浜:水辺に石を敷き詰める表現手法
州浜がある池は海や川を表現していることが多い
水辺を意識すると建物の特徴が見えてくる
池に張り出している部分は紀の川に面して建てられていた部分と言われている
建物が元々あった環境を再現したかのよう 良い石が使われている
大名品ナレバイザ知ラス普通之品ハ一切買入中止仕候 原三渓直筆の手紙より
視点を変えて庭を見る
原三渓によるデザインの橋 唐破風 高台寺観月台 国の重要文化財
原三渓は豊臣秀吉好き
庭師に名所・旧跡を視察させた
臨春閣 1649年の建物
研究者の間では東の桂離宮と呼ばれていた
幕府の御用絵師 狩野派による障壁画
各部屋に豪華な美術品
波の欄間 銀箔 和歌の色紙がはめ込まれた欄間 菊の透かし彫り
原三渓が見せたい風景 絵画のような景色 原三渓が描いていた理想の風景
デザインの中心
「臨春閣」の名の由来 臨春閣の移築当時は箸の向こうに桜の木を植えていた
桜を見る⇨春の見る⇨臨春閣
二階へ 村雨の間 村雨松林図
村雨 急に激しく降ったり弱く降ったりするにわか雨
金箔と銀箔
自分の家の中に描きたいくらいです 村雨辰剛
百人一首の色紙
たしなみポイント
座ることで美しい景色が見えてくる 座って見上げた先に三重塔
三重塔の上に昇る月
臥竜梅
三溪園の梅を題材にした作品 弱法師(右隻)下村観山 国の重要文化財
原三渓 若手芸術家の支援に尽力
その一人が 下村観山であり横山大観
原三渓の影響で新しい芸術家が生れた
鴨の嘴(はし)よりたらたらと春の泥 高浜虚子
横山剣(クレイジーケンバンド)横浜市中区本牧出身
❝松並木ストラット❞ 現代でも文化サロンでもある
渓谷エリア
聴秋閣 国の重要文化財 二条城にあった
楼閣建築 火灯窓
この建物の前が池で当時は庭園で舟遊びが凄く流行っていた時代
対岸から舟でここまで近づいてきて 直接舟で上がった空間ではないか
水辺にあった建物の構造をいかした作庭
聴秋閣から臨春閣への水の流れ⇨川から海への流れを表現
たしなみポイント
水の流れを辿ってみると発見があるかも!?
聴秋閣越しに見る三重塔 縦の構図
原三渓が最後に移築した建物
最終的な仕上げ これを置いたら完成
作庭家はみんな庭に魂が宿ってしまうと思う
僕が今まで見てきた庭の中で三溪園ほど
魂が宿っている庭はなかったかもしれない 村雨辰剛
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