2026年7月8日水曜日

柳宗悦と民藝運動

トランプの壟断(ろうだん)固執汗の飯

夏のフランス独りぼっちのトランプよ

メローニへ不満たらたら夏の仏

レオへの批判メローニ憤怒蓮見

アメリカとイスラエル夏の一線

 

■民衆による民衆のための美~柳宗悦と民藝運動~

東京駒場 日本民藝館 展示されているのは民藝

民藝と提言したのは柳宗悦

軍国化 同化政策 孤独な戦いの始まり

小さくても弱くてもキラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから 

それを敬う気持ちが人としても国としても大事なんだ

 

作家

当時の日本政府の植民地支配・同化政策は

柳にとってとんでもなく野蛮な事

 

哲学者

一種の社会運動であったことは間違いない

本当に自分たちが誇ることができるものはなにか

芸術の力 文化の力を真剣に信じた人

 

沖縄

 

柳宗悦(1889-1961) 民藝という言葉を世に知らしめた

名もなき職人が作った日用品にも芸術家の名品に負けない美がある

欧化政策 同化政策とぶつかることになる

時代の風潮とどのように闘ったのか

 

明治43(1910) 白樺が創刊された

創刊メンバーには志賀直哉、武者小路実篤

その中で最年少の執筆者が柳宗悦(21)だった

オーギュスト・ロダン、ファン・ゴッホ、ポール・セザンヌを担当

彼らと交流を深めた

げに藝術は人格の半影である。そは表現せられたる個性の謂に外ならない。

「革命の畫家」より

 

欧化政策 鹿鳴館(明治16年建設)

柳宗悦 明治22(1889)東京麻布に生まれる

父は海軍軍人 栁楢悦(ならよし)

母は加納治五郎の姉 勝子

 

大正13(1924)35歳で山梨を訪れた時「木喰上人」と出会った

日用品とも出会った 西洋美術にはない美を宿していた

 

私は即座に心を奪われました。

その口許に漂う微笑は、私を限りなく惹きつけました。

「木喰上人発見の縁起」より

 

柳宗悦は京都に住まいを移していた

濱田庄司、河井寛次郎と「蚤の市」に通うようになった。

売られているものは「下手物(げてもの)」と呼ばれていた。

そこにはとりわけて 彩もなく飾りもない。

至純な形、二、三の模様、それも素朴な手法。

彼らは知を誇らず、風に奢らない。

奇異とか威嚇とか、少しだにそれ等の工(たくら)みが含まれない

「雑器の美」より 

 

杉山享司(日本民芸館 常務理事)

それまで柳たちが評価していたゴッホやセザンヌは まさに天賦の才を持った

藝術家 天才といわれる人たち そういう人たちが美を生み出すことのできる

人たちだと限られた才能を持った人たちだという風に思っていたところが

目の前にあるものは無名の職人が用いることを前提に作っている 芸術家が

美を意識して作ったものではなく 「用いる」ってことを前提に使いての

事を考えて生れてきた 日常生活の道具の中に本当の美しさがあるのではないか

自然の中から湧き上がるようにできあがったものに本当の美がある

 

民衆的工藝 略して 民藝

 

本日のゲスト 朝井まかて

何か違う空を見るような発見だったのではないか

もう一人のゲスト 鞍田崇

西洋的な美術界の尺度の中だけでは測れない美しい世界があるじゃないか

 

磯田道史

未来から来た留学生

 

鞍田崇

自然から乖離した結果 本当にこれが人間らしい暮らしなのかなという

批判的な視点を培ってきた

 

磯田道史

一等国と呼ばれるようになり凄い自信を持った ところがやってみたら

そんな幸せな日本と思えない

 

帝国美術展覧会

「用途を指示せぬ美の創案」杉田禾堂

これを柳は近代人の錯覚と批判

湖西の現はした形態や模様と此の素材の性質とが、工藝美を織り出すのである。

と杉田は反論。

美の巨人と歌われた北大路魯山人も痛烈な批判を浴びせている。

徳川期の民芸さんに岡惚れして、もう一遍 元のお顔に縒()りを

戻してみたいなんてまったく寝言だ。なんたる妄想だ。

「柳宗悦氏の民藝論をひやかすの記」より

 

6年後 昭和11(1936)日本民藝館 開館

初代館長は柳宗悦

 

馬ノ目皿

この目の模様が凄くこなれて 何回も何回も繰り返し繰り返し描くことで

体や手が勝手に動くみたいな そこから体が自然に動いてくるので

作為なんてことが入り込む余地もないですし 無心から生まれる

美というものになります

 

意識よりも無心がさらに深いものを含むからです。

作為より必然が一層厚く美を保証するからです。

個性より伝統がより大きな根底と言えるからです。

「民藝とは何か」より

 

杉山享司

よく柳の思想を自我や個性の否定のように取り上げる方がいるが

そうではなくて 没個性と言いますか 個性をあえて超える

自分の力で自力を超えていく 例えば自然の恵みとか伝統の力とか

そういったものを味方にすることによって 初めて生まれ出るもの

ということを実感していく

 

染付秋草文面取壷 朝鮮18世紀

 

その冷ややかな土器に人間の温み、高貴、

壮厳を読み得ようとは昨日まで夢見だにしなかった。

「我孫子から通信一」より

 

朝鮮・鶏龍山 陶磁器調査中の柳宗悦 3年後

1919(大正8)三一独立運動

人は愛の前に従順であるが 抑圧に対しては頑強である

日本は何れの道によって隣人に近づこうとするのであろうか

平和がその希望であるなら何の痴愚を重ねて抑圧の道を選ぶのであろう

「朝鮮人を想う」より

 

皇民化政策

 

お持ちくださったお気に入りの民藝

朝井まかて 花器 河井寛次郎作

鞍田崇 からむし(イラクサ科)の繊維 すきんのう(麻繊)

 

無心は無心を狙うとなったら大変難しいことです 朝井

作るんじゃなくて「生まれる」と言う どこかで委ねるような感じ 鞍田

日本政府の植民地支配 同化政策は柳にとってとんでもなく野蛮なことで

受け入れがたいもの 一個の日本人としてのステートメントを

ペンで堂々と表明した 朝井

決して安穏な状態ではなかった 義憤みたいなものもあったんでしょう 鞍田

隣や周辺をローラーで塗りつぶすように平たく染めてゆくことへの

非常な抵抗感があり 小さくても弱くても キラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから そこが大事というのが柳の思想 磯田

 

沖縄 49歳で初めて訪れた そこは民藝の宝庫だった

紅型(びんがた) やちむん シーサー 

 

私たちはまるで宝の山に入ったような想いでありました

なぜなら日本のどの地方に行ったとてこの島に於いてほど

固有の文化が濃く残っている所を見出すことが出来なかったからであります。

「沖縄の思い出」より

 

昭和12(1937)日中戦争勃発

 

方言札 標準語励行(れいこう)運動

 

小熊英二

大きな理由は沖縄の人たちの忠誠心があてにならない

つまり戦争になったときにいったいどこにつくのかわからない

はっきり忠誠心の対象を示すものとして標準語

それから天皇に対する忠誠心を教えようとした

1940年当時は朝鮮や台湾でも日本語の励行運動をやっていたから

それと重なるように見られたということもある

 

琉球方言(しまくとぅば)

 

私の家では標準語の外は一口も語らせぬようにしている

 

選択一 沖縄県民に方言を守ろうと主張し続ける 朝井 磯田

選択二 全国に歌や踊りを通して沖縄の魅力を伝える 鞍田

 

柳が選んだのは選択一

県民よ、再び云う。標準語を勉強せよ。

されど同時に諸氏自身の所有である母語を振興せしめよ。

諸君は日本国民として 不必要な遠慮は堕してはならぬ。

県人よ、沖縄県民たることを誇りとせられよ。

「琉球新報」昭和15114

 

昭和16(1941)太平洋戦争開戦

昭和16(1941)アイヌ工藝文化展

「切伏(きりぶせ)」の模様がされている 木綿の布のアップリケ

その上に刺繍で文様が施されている

切伏衣装 19世紀 

「北海道旧土人保護法」明治32(1899)制定

 

私はここでかかる解決には二つの道があると思うのだ。

第一はお互いが相手の立場に立ってみることだ。

第二の方法は何なのか。互が互を尊敬せよと云うのである。

尊敬する何ものかを掴むまで、互を見守れと云うのである。

「アイヌ人に送る書」より

 

昭和36(1961)柳宗悦 死去(享年72)

 

江戸時代 両敬関係 お互いが敬う関係っていうのは存在する

 

多様な状態の面白さがやがて人類に価値を持ち始める 磯田

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