夏空よ低血圧の幼子よ
夏の雲余裕の時間があったなら
丁寧に生きていきたく夏座敷
年に二度友と会う日や風薫る
単物(ひとえもの)日ごと突き出す下っ腹
■新美の巨人たち 深大寺
浮岳山 昌楽院 深大寺(733年創建)
江戸時代 2度の大火により建物や記録を焼失
本堂 1918年 再建
深大寺 第八十九世住職 張堂興昭
宝冠阿弥陀如来像 鎌倉時代前期 木造/漆箔
孔雀
「男女の恋物語といいましょうか 恋愛譚の中で重視された神様なんです」
「深大寺縁起絵巻」1722年
深沙大王堂 1968年再建 深大寺の由来
秘仏
河鍋暁斎「釈迦三尊十六善神図」1866年 深沙大王
❝縁結び❞ 亀の絵馬
元三大師堂 1867年再建
元三大師 良源(912-985年)延暦寺の高僧
元三大師像の次のご開帳は2034年の予定 50年に一度の秘仏
奇跡を起こす巨大な像
元三大師像 鎌倉時代 木造(寄木造り)約2m
奈良にある美術院で3年に及ぶ大修理を実施
❝厄除け❞日本最大の肖像彫刻 実在した人物の彫刻
六波羅密寺「空也上人立像」117.6cm
唐招堤寺「鑑真和上坐像」80.1cm
等身を超えるものは一切ない
立ち上がると4mを想定して鎌倉時代に作られている
武蔵野美術大学教授 奥健夫
例えば元寇 文永・弘安の役 鎌倉時代中期モンゴル帝国による2度の日本侵攻
厄除大師として作られた
鎌倉幕府を開いた初代将軍源頼朝の兄弟がいまして源範頼
幕府なども祈祷した可能性は大いにある 肖像とは言いながら
仏様としての性格を付与しようということ 大きさによる力
人々に共有される存在として ああいう大きな像がつくられたのではないか
角大師 豆大師 鬼大師 元三大師は「おみくじの祖」としても知られている
名物は深大寺蕎麦 現在深大寺周辺には18件の蕎麦屋が軒を連ねている
そばごちそう門前 昭和30年創業 4代目主人 浅田修平
江戸時代 特に盛んになって江戸の人たちが参詣に来られて
お寺さんでそばを振る舞ったのが始まり 距離的に日帰りができた
武蔵野にもたらされた奇跡の仏
釈迦堂 1976年
「銅造釈迦如来倚像」飛鳥時代後期(白鳳期) 銅造・金色仕上げ
国宝仏 白鳳仏
倚像 椅子に腰をかけているのは珍しい
法隆寺「釈迦三尊像」623年
武蔵国司 高麗福信(709-789年)⇨満功上人
1909年 元三大師堂の須弥檀下から発見される
出来栄えの優れたお像でしかも大きい金銅仏
そこまで大きい像は近畿地方以外にはない
法隆寺「夢違観音像」御身代わり 香薬師像
そっくり 成分も似ている
1903年「銅造釈迦如来倚像」が旧国宝に指定
武州深大寺 文永四年丁卯(1267年)
善勝寺から里帰り
善勝寺 住職 川久保禪龍 ⇨ 深大寺 住職 張堂興昭
国指定の重要文化財にするようにと答申が出たので驚いている
深大寺で今秋公開予定
■「黒田家文書」より
其方(そなた)のき(儀)ハ
我らおとと(弟)の
小一郎めとうせん(同然)に
こころやすく存候
(あなたのことは、我が弟の小一郎と同然に心から信頼しているよ)
これは、天正6年(1578年)に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、
播磨の国侍で後に天下統一の軍師となる黒田官兵衛(孝高)に
宛てて送った書状に記された有名な言葉。
「小一郎」とは秀吉の異母弟であり、生涯にわたって
彼の天下取りを支え続けた名補佐役・豊臣秀長の若い頃の呼び名。
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