2026年7月26日日曜日

100分de名著 親鸞「教行信証」②

親を待つ今か今かと燕の子

子燕や身を乗り出してもらう餌

夏燕一心不乱餌探し

水遣りのたび現れる夏蛙

夏蛙ぴょこぴょこ跳ねてまた明日

 

100de名著 親鸞「教行信証」②「自分の都合」と向き合う

釈徹宗 伊集院光 阿部みちこ

 

正信偈(しょうしんげ)

浄土の教えを広めてくださった祖師方(そしがた)は数限りない

五濁(ごしょく)の世の衆生(しゅじょう)をみなお導きになる

 

知恩報徳の思いで作った詩

 

「教行信証」の構成

総序(まえがき)

   教巻 ②行巻 ③信巻 ④証巻 ⑤真仏土巻 ⑥化身土巻

 

厄介な「自分の都合」仏教はそれを捨てていく教え

「教行信証」における「行(ぎょう)

「南無(なも)阿弥陀仏」と口に称えること(ねんぶつ)

「南無(なも)阿弥陀仏」という仏の名前そのもの

 

私が実践しているというよりは仏が私を導いている

観想念仏:仏の姿や浄土の様子を心の中に思い浮かべて浄土への往生を願う

称名念仏:仏の名号(仏や菩薩の名)を口に出して称える

 

実際に仏が現れたら自分の修業が正しい証拠

主役は完全に「観想念仏」で脇役に「称名念仏」があった

なぜならば誰もが実践できるから

 

つつしんで往相(おうそう)の回向(えこう)を案ずるに、

大行(だいぎょう)あり、大信あり。

(現代語訳)

大行とは無礙(むげ)光如来の名号(みょうごう)を称えることである。

この行は、あらゆる善をおさめ、あらゆる功徳をそなえ、

速やかに衆生(しゅじょう)に功徳を円満させる、

真如一実の功徳が満ちみつた 海のように広大な法である。

だから、大行というのである。

他力の仏の行 仏から私に届く信心

行も信も仏の働きである 親鸞は仏へ置き換えた

四十八願の第十七願 諸仏称名

(現代語訳)

わたしが仏になったとき、すべての世界の数限りない仏たちが、

ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、

わたしは決してさとりを開くまい。

 

親鸞の「第十七願」解釈

「大経」()にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、

十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、

わが名を称せずは、正覚(しょうがく)を取らじ」と。

現代語訳

「無量寿経」は次のように説かれている。

「わたしが仏になったとき、すべての世界の数限りない仏がたが、

 ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開くまい」

 

阿弥陀仏が「私の名を称えてください」という願いを立てた

諸仏が「それはすばらしい教えだ」と保証 だから私の口から念仏が出るという理屈

 

阿弥陀仏の意思でやっている

 

コンバージョン(回心・改宗)

信仰や世界観が変化し 新たな宗教的立場を受け入れること

「受け身」という親鸞の特徴

 

釈さんは2003年から認知症高齢者を支援するNPO法人を運営している

自分の力でやっている気分になっていると自分の不完全さ・都合が浮かび上がる

捨てきれない自分の都合・はからいを抱いたまま仏にお任せする

 

(現代語訳)

そこで、「南無(なも)という言葉は帰命(きみょう)ということである。(中略)

「帰命」とは、わたしを招き、喚()び続けておられる如来の本願の仰せである。

「発願回向(ほつがんえこう)」とは、阿弥陀仏が因位(いんに)のときに

誓願をおこされて、わたしたちに往生の行を与えてくださる

大いなる慈悲の心である。

「即是其行(そくぜごぎょう)」とは、衆生を救うために

選び取られた本願の行という意味である。

 

南無阿弥陀仏と「他力」

主語を仏において解釈 主語を仏として経典を読んでいく

「他力」は仏の本願の力・利他力

ここに徹底して立つというのが親鸞思想の特徴

「他力本願」という言葉は限定的な言葉で使われる仏教用語

 

行巻「三選の文」 法然の「選択集(せんじゃくしゅう)」からの唯一の引用

法然の正当性を証明するために法然の文献を引いたら論証にならない

でも一か所だけ行間の中に出てくる

 

(現代語訳)

そもそも、速やかに迷いの世界を離れようと思うなら、

二種のすぐれた法門のうちで、聖道門をさしおき、浄土門に入れ。

浄土門に入ろうと思うなら、正行と雑業の中で雑業を捨てて正行に帰せ。

正行を修めようと思うなら、正定業と助業の中で助業を傍らにおいておき

もっぱら正定業を修めよ。

正定業とは、すなわち仏の名号を称えることである。

称名するものは必ず往生を得る。阿弥陀仏の本願によりからである

 

「真実の行」に至るまでの三つの選択

第一の選択

   浄土門(浄土の道 他力) ②聖道門(聖道の道 自力)

悟りを目指す道はどっち?①

第二の選択

   正行(五つの正しい道 読誦(じゅ) 観察 礼拝 称名 讃歎供養

   雑業(①以外の善行)

 

第三の選択

   正行(五つの正しい道 読誦(じゅ) 観察 礼拝 称名 讃歎供養

 

称名念仏へと導く「三選の文」

何も持たざるものが困難な世を生きるためにたった一つを信じる

 

正信偈(しょうしんげ)(正信念仏偈)

行巻の終わりに纏められた親鸞が創作した百二十句(六十行)の漢詩

「正信偈」を理解すれば「教行信証」の殆どが理解できる

 

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無()したてまつる。

(現代語訳)

限りない命の如来に帰命し、思いはかることのできない

光の如来に帰依したてまつる。

法蔵菩薩の因位(いんに)のときに、世自在王仏のみもとで、

仏がたの浄土の成り立ちや、その国土や人間や神々の善し悪し

(よしあし)をご覧になって、この上なくすぎれた願をおたてになり、

世にもまれな大いなる誓いをおこされた。

 

正信偈は伝える仏の世界

帰命無量寿如来 南無不可思議光

 

弥陀仏の本願念仏は、邪険・憍慢の悪衆生、信楽受持すること、

はなはなもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし。

現代語訳

阿弥陀仏の本願念仏の法は、よこしまな考えを持ち、

おごり高ぶる自力のものが、信じることは実に難しい。

難の中の難であり、これ以上に難しいことはない。

 

何かを信じるというのは困難 念仏で救われると言われても

修行した方が偉いと思いがち 

 

印度西天の論家(ろんげ)、中夏(中国)・日城(じちいき)(にほん)の高僧、

大聖(だいしょう)(釈迦)興世(こうせ)の正意を顕し、如来の本誓(ほんぜい)

機に応ぜることを明かす。

(現代語訳)

インドの菩薩方や中国と日本の高僧方が、釈尊が世に出られた本意をあらわし、

阿弥陀仏の本願はわたしたちのために立てられたことを明らかにされた。

 

浄土仏教における七人の高僧たち

龍樹 天親 雲鸞 道綽 善導 源信 法然

 

現代語訳

浄土の教えを広めてくださった祖師方は、

数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる。

出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、

ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。

 

先人のパスを受け継ぐ

仏恩の深遠なるを信知して「正信念仏偈」をつくりていわく

知恩報徳

自分の都合を消滅させていくのが仏教の本道

一番厄介なのは自分の都合であり 執着心・固執が苦しみを生み出す

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