引き合わん孤独の力夏の月
夏の雨本読み漁る夫かな
雲の峰エイジウェルを謳歌せり
小顔に見えぬサイドバングや茂り
容赦なき現場検証夏の天
■知恵泉 澤田美喜 2000人の孤児を救った❝ママちゃま❞
副島淳 サヘル・ローズ 植松三十里
神奈川県大磯町 エリザベス・サンダース・ホーム
アメリカ兵と日本人女性の間に生まれた孤児たちを救った
「エリザベス・サンダース・ホーム」創設者、澤田美喜。
父は三菱の創始・岩崎彌太郎の長男・久彌。
何不自由なく育ったお嬢様は大スター、
ジョセフィン・ベーカーとの出会いで価値観が一変する。
財閥解体の逆境の中、私財を投じて設立したホーム。
だがそこにGHQから横やりが、司令部に乗り込み放った一言とは。
独立後の日本社会から向けられた差別や偏見。
不屈の信念で子どもたちに与えた“立ち上がる力”。
両方の親から良いものを継いでいる。他の子どもの持っていないものを
そこに私は見出すことが出来る。
明治34年(1901)美喜 誕生
あだ名は 女彌太郎
津田梅子と出会う 英語に興味を持ち後にクリスチャンとなる
華族との見合い
私が華族をきらったのは、祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない
子孫達がかさにきて、そっくり返っているのがたまらなくいらだった
澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より
外交官 澤田廉三 海外生活をスタート
1922年 ブエノスアイレス 1924年 北京 1931年 ロンドン
1933年 パリ 1935年 ニューヨーク
4人の子どもにも恵まれる
世界的Dancer ジョセフィン・ベーカー(1906-1975)と知り合う
黒いビーナスと称されていた
衝撃的な事件 当時のアメリカでは人種差別があった
「あなたたちのその白い皮膚の下には黒い心がある。
(中略)私の黒い皮膚の下には真っ白い心がある。」
彼女の意地はすばらしいものでした。(中略)
見返してやるという努力とその意地をそのまま私も教えられました。
澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より
昭和20年(1945)終戦 美喜44歳の時でした
アメリカ兵と日本人女性の間に子どもが生まれることは不思議ではありませんでした
黒い肌をした赤ん坊の遺体と遭遇 経済的理由で捨てられる子が多かった
❝神からの啓示❞
もしお前が、たとえいっときでも この子の母とされたのなら、
なぜ、日本国中の、こうした子供たちのために、その母になってやれないのか
澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より
両方の国から要らないといわれる子供、親からも邪魔もの扱いにされ、
闇から闇に葬られる子どもの現実を直視したとき、
私の運命は決まったのである。
施設を作ることを決意
澤田美喜の知恵
理不尽への怒りを力に変えろ!
岩崎家 大磯別邸 GHQによって財産を接収されていたので買い戻す
私物を売却 借金 5,000通の手紙を書き寄付を要請
昭和23年(1948)エリザベス・サンダース・ホーム設立
GHQが孤児を集めてはならないと言ってきた
美喜の抗議の前にGHQは沈黙 警告を無視しホームを継続
闘いは始まりに過ぎなかった
美喜は赤ちゃんを助けただけではなくお母さんも助けている
副島淳さんの知恵
❝壁❞を超えるには回り道も有効
サヘル・ローズさんの知恵
❝弱さ❞を受け入れられるのは❝強み❞である
予期せぬ事態が…。子どもたちが置き去りに
「捨てられているのを見つけるのが門から入ってすぐ門の外へ
この藪の所が一番多かった」
子どもたちの数は200人を超えていた
「ちゃんと顔上げて、まっすぐ前を見なさい」「顔を隠すんじゃない」
就学問題
昭和28年(1953)聖ステパノ学園小学校設立
「この仕事を信仰半分、意地半分で押し通してきました。」
澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より
昭和29年(1954)ジョセフィン・ベーカー来日
全国をチャリティーコンサートしその売上金を美喜に
手渡すだけではなく2人の子どもを養子とする
その後、モナコ公妃 グレース・ケリー
ノーベル文学賞作家 パール・バックらから支援の手を差し伸べられた
植松三十里の言葉
「始めるとお金がついてきた」
善意でやってることは善意を引き寄せる
楽天的なところがあって その楽天性が通っちゃう
あれだけの行動力を持っていると
昭和34年(1959)聖ステパノ学園中学校設立
澤田美喜の知恵 自ら立ち上がる力を授けよ
職能訓練
植松三十里の言葉
職を身につけてもその職を続けられない事象が出てきた
子どもも辛かっただろうし 美喜自身の心も痛めたと思う
そこで活路を見いだしたのは海外だった
地道な努力の甲斐があり500人以上の子どもが海を超えました
ブラジルへの移住
過酷の現実
七つの海を越えた子供たち あの子供たちは日本を出てから
私は本当に何にも物質的な援助をしてやることはできなかった
自分の将来の幸せを生み出す健康を与えてやることと
それを考える思想力を持たせてやること ダウンしたときに
立ち上がるだけの信仰を渡して 希望を持つことのできる
気持ちを持たせてやったこと その3つ以外は何にもしてやることは
できなかった 彼らは何度も転んでいつでも自分で立ち上がってくるから
私にその失敗を知らせてくる その最中に決して弱みを吐かなかった
ということだけは 私にとって非常にうれしいことだった
澤田美喜の言葉
人生は、自分の手で、どんな色にでも塗りかえられるもの
澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より
サヘル・ローズの言葉
母親ならではのバトン 命のバトン
自立させるには自ら失敗する姿を見せろ
ただ子供たちの命を守ってきたわけではなく
子どもたちの尊厳 「生きる権利」をひも解いていかなくてはならない
大事な「尊厳」という教えをいただいた
副島淳の言葉
厳しさを与えて自信を持たせる 優しいだけの愛じゃない
植松三十里の言葉
自分で道を選んで 自分で立ち上がっていく
現在も澤田美喜をしのんで母の日に卒業生がホームに集まる
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