2026年2月12日木曜日

菜の花忌 司馬遼太郎の名言 

忘れえぬ思いを生きる菜の花忌

筍やわずかに土を盛り上げん

筍や鍬を持つ手に力込め

春の霜筍掘りの始まらん

陶石を継ぐ人おらず春の雪

 

■司馬遼太郎の名言

人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。

 

人間にとって、その人生は作品である。

 

勇気と決断と、行動力さえもちあわせておれば、

あとのことは天に任せればよい。

 

君たちはつねに晴れあがった空のように、

たかだかとした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、

大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 

人間は、自然によって生かされてきた。

古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。

このことは、少しも誤っていないのである。

 

人間は決して、孤立して生きられるようには、作られていない。

 

何でも思い切ってやってみることですよ。

どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、

骨となって一生を終えるのだから。

 

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、

負けたあと持つのは負けた恨みだけである。

 

ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、

じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。

短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない。

 

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。

 

人間はもっとも崇高なものに騙されないと

幸せになれないという厄介な生きものではないか。

 

人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。

芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。

なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、

そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

 

心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、

それはもう、話すにも値しない人間のヒモノですね。

 

人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい。

 

わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、

この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものに

うぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

 

人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。

 

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。

自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった。

 

心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。

その気になって背負えば、日本などは軽いものだ。

いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い。

 

人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。

天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ

 

人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならん。

 

基準を学問という。基準のない人間は、人から信用されない。

美でもない。美でもなければ人から敬愛されない。

 

参照:https://soul-brighten.com/shiba-ryotarou/

 

私感

今日は司馬遼太郎先生が亡くなって三十年。

生前、司馬遼太郎先生とお食事をともにした事が…。

司馬遼太郎先生とは存じ上げず、

人生最大の失態を冒してしまいました。

せっかく瀬戸内美八女史が昼食をご一緒する機会を

与えてくださったのに、一言も喋らず…。

遅まきながら、失礼致しました。謝…。

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