2026年2月15日日曜日

福田恆在の名言

ウクライナ人を詠む

冴返る牢目をくり抜かれ殺されて

心情を貫き命堕とす春

揺らぎなき信念持ちて春に逝く

花の蕊(しべ)祖国の人は殺せない

春の夕焼けロシア人になろうとも

 

■福田恆存(つねあり)の名言

福田恆存(作家)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。

1969年から1983年まで京都産業大学教授を務めた。

1981年より日本芸術院会員。

 

自分が相手とともにいて孤独だと思うときは、相手も孤独なのだと、

なぜそう考える余裕をもたないか。

それこそ、真の意味の「理解」ということでありましょう。

『私の幸福論』

 

私たちは認識のためにも、行動しなければならぬ。

そして失敗するだろう。それが悲劇の型である。

喜劇は、このいきちがいからの脱出を描く、それだけのちがいだ。

『人間・この劇的なるもの』

 

死は生を癒すものであるばかりでなく、それを推進させるものなのだ。

終止符がうたれなければ、全体は存在しないし、

全体を眼のまえに、はっきりと見ることができない。

『人間・この劇的なるもの』

 

こういうふうに自分の位置を測定する能力、しかも、たえず、

流動変化する諸関係のなかで適切に行動する能力、

そのみごとさが教養というものであります。

『私の幸福論』

 

結合のあとの分離こそ、その次の段階の結合を深めるものだと、

なぜ考えないのか。そう考えるべきです。

『私の幸福論』

 

教育と教養とは別物です。教養を身につけた人間は、

知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出される。

『伝統に対する心構』

 

私の幸福論をなぜ容貌の問題からはじめたかというと、

私は、世のなかにはどうにもならないことがあるということを

いいたかったからであります。

『私の幸福論』

 

必然性というものは個人の側にはなく、つねに全体の側にある。

『人間・この劇的なるもの』

 

私はつつましさ、羞恥心というものは最も日本的な美徳だと思っております。

『私の幸福論』

 

生はかならず死によってのみ正当化される。

個人は、全体を、それが自己を滅ぼすものであるがゆえに認めなければならない。

それが劇というものだ。そして、それが人間の生きかたなのである。

『人間・この劇的なるもの』

 

生きる喜びとは主役を演じることを意味しない。

 

私という演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。

自我に行きつくための運動の振幅が演戯を形成する。

『人間・この劇的なるもの』

 

真の意味における自由とは、全体のなかにあって、

適切な位置を占める能力のことである。

『人間・この劇的なるもの』

 

まずなによりも信ずるという美徳を回復することが急務です。

親子、兄弟、友人、そしてさらにそれらを超えるなにものかとの間に。

『私の幸福論』

 

肉体主義というのは、かならず自慰に堕するものなのです。

『私の幸福論』

 

参照:https://todays-list.com/i/?q=/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%86%E5%AD%98/1/1/

 

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