鶫(つぐみ)食むナワシログミやアキグミや
(アクロス)福岡の中心街を眠る山
オオタカ来えさ場とならんアクロスよ
キジバトの羽の飛び散るアクロスよ
那珂川とアクロス山の冬支度
満月の夜に泡吹くカブトガニ
■茶の湯の求道者・京都「千家十職」密着記録・世界に響く❝神髄❞
ベルギー ス・グラーヴェンヴェーゼル城(11世紀築)
アクセル・ヴェルヴォールト(美術商)
私が大好きな十五代樂吉座衛門の茶碗です
樂の茶碗は千利休の精神を体現したものです
つつましいものですが 心の豊かさを感じるのです
私は茶の湯が大好きです
そこには尊敬すべき何かがあります
古びた様子を見ると心が落ち着きます
ハイテク化が進む現代において
手作りの茶道具は整った美しさではありません
❝不完全な美❞を大切にします
それは今の西洋の人々にとても魅力的に映っています
千家十職[職家]
十六代 大西清右衛門(せいうえもん) 釜師
十三代 土田半四郎 袋師
十八代 永樂善五郎 土風炉・焼物師
十三代 中村宗哲 塗師(ぬし)
表千家 十五代家元 千宗左
千宗左
根幹にあるのは職家さんのお道具 利休さんのお茶を受け継いできた
周囲の人々の尽力があって 今の表千家のお茶の姿がある
樂家 十六代 樂吉左衛門 茶碗師
樂直入(じきにゅう) 十五代 樂吉左衛門
手始め式
長男 燈馬(1) 長女 ましろ(6)
❝手びねり❞で僕らは作っている 茶碗って人が出やすい
自分自身の向き合い方が弱いと茶碗にもそれが出てくるので
すぎばれてしまう 釜場に入った時の写真が残っていて
釜場の雰囲気を小さいながらに感じたのか
おしっこをたらしてしまって
万代屋黒 初代長次郎作
樂直入(十五代 樂吉左衛門)
長次郎の茶碗はね利休さんの茶碗だね 真っ黒 どうして真っ黒なんだ
色ばっかりじゃないですよ ❝装飾❞も捨てましょう
❝表現❞も捨てましょう 価値観そうしたものを全部捨てていく
じゃあ捨てて捨てて捨てて捨てて 極限まで捨てていったい
何が残るんですか? というのが長次郎茶碗が
我々に問いかけていること 根本ですよ
青山 三代 道入作
亀毛 五代 宗入作
古稀七十之内 九代 了入作
焼貫茶碗 十五代 直入作
形じゃない 中のもの 中に入っている精神 考え方というのか
そうしたものが重要 自分がどのように制作していくか
どう自分が生きようとしているのか ということが問題だね
今焼 十六代 樂吉座衛門作
竹細工・柄杓師 十四代 黒田正玄
自然の光の影が大事なので曇っていても明かりはつけない
竹をあえて利休は選んだ 竹入
竹一重切花入 十四代 黒田正玄作
朽ちていくものに美を見出す 黒田家はその技を研ぎ澄ましていた
一瞬だけ使われるものではないのでこういう形で油を抜いて
材料にすると昔から伝わっている
帰雁 初代 黒田正玄作
千利休の月命日 大徳寺 聚光院(じゅこういん)
表千家 十五代家元 千宗左
表千家、裏千家、武者小路千家は今も祈りをささげる
塗師 十三代 中村宗哲
玉ノ絵平棗 十三代 中村宗哲作
これは家が一番大事にしているもの 切り型
甲の角度はここでぴったり ここが胴のカーブ この刻みで盆月の幅
幅と高さがわかるようになっている これが立ち上がりの高さと角度
利休形中棗 初代 中村宗哲作
ポルトガル アジュダ図書館
これは「日本教会史」の写本で
ジョアン・ロドリゲス神父が書くいたものです
日本の❝茶の湯❞について初めて細かく記された本です
取るに足らない陶土でできているにもかかわらず
1万2万3万クルザード さらにそれ以上の価格の達するものもある
*1万クルザード=金36kg
ほかの民族がこのことを聞けば狂気で野蛮なことと思うであろう
日本人はあらゆる人工的なもの華麗なもの見せかけ偽善装飾を
大いに嫌う 彼らの言葉で「軽薄」という
万事にわたって節度を保ち 自己の技量や力量を誇示することなく
有り余るよりもむしろ足りないほうを望む
フランス パリ
茶の道具は400年の時を経て今、響き始めている
ネシム・コーエン(34) マーストリヒト大学客員講師
ソフィー・ユバッツ パン職人
人々はきれいなものを求め 年老いて汚れることから目を背けています
時代を超えて残った道具は落ち着きを与えてくれます
「大丈夫だ そのままでいい」と死をも受け入れさせる美学です
アメリカ シカゴ
シアスター・ゲイツ 現代アーティスト
私は日本の茶道具から本当に多くの影響を受けています
茶杓を見ると思うのです この一本を一つの家が
300年かけて磨き上げてきたのだと 私にとって茶道具は
そこに宿る知恵の深さ 職人技の深さ 哲学の深さ そして
ひとつの道を貫く覚悟の象徴だと思うのです その姿勢は
私が常に心の中で大切にしている信念でもあります
ベルギー
アクセル・ヴェルヴォールト(78) 美術商
侘び つまり❝不完全な美しさ❞です 素材や自然など
非常に簡素なものへの愛です それらに神聖ともいえる
新たな価値を与えることです
あの木々の向こうにあるのが私の小屋です
利休の茶室に大きな影響を受けました この土地の土や
木材を使っています 瞑想や考え事をするのにとても良い場所です
目で見えるものより心で感じるもののほうがずっと多い
それはとても大切で美しいものだと思います
私たちは自然から離れ過剰に整った世界に到達してしまった
全てをコントロールしたいという人たちがいますよね
しかし 侘びの精神は正反対です それが私にとって
本当に豊かさかも知れません
祇園
変化する時代との戦い
土風炉・焼物師 十八代 永樂善五郎
金襴手葵御紋茶碗 十一代善五郎 保全作
乾山写松ニ雪ノ絵茶碗 十六代善五郎 即全作
標釉松画茶碗 十八代善五郎作
うちの家は華やかな世界なのでまったく子どもの時から
見たことがない世界だった 真っ黒な世界というのが
土風炉 三代 善五郎 宗善作
土風炉では生活が難しくなっていた その当時の幕末に京焼で
華やかな焼き物がはやりだして 次代の後押しで華やかなものを
作りだす
土風炉の技法を再興するために テストを繰り返している
窯の技法であったり どういう焼き方をしたら
どういう色になったとか 温度によってどれくらいの変化が
出たなど まだ分かったていないことのほうが多いので
燻し(いぶし)
なぜ そこまで土風炉と向き合う?
復興したからといって 何かいいことがあるわけじゃない
理由なんて必要ない「なんで生きてるんですか?」
「生きたいから」と答えるのと一緒で理由なんていらない
そもそも 理屈を考えるとかじゃない もしかしたら
できたら理由がわかるかもしれない
一閑張(いっかんばり)
こちらが十一代一閑作の張抜きの茶箱になります
十一代飛来一閑作 張抜き
貧乏だったので漆もたくさん買えないし 和紙を貼って漆を
1回だけ塗るというやり方で 生活の道具を作っていたと
伝わっている
大徳寺 高桐院
初代 飛来一閑の墓
夫 聡 長男 一誠(30)
松葉張込張抜四方銘々盆 十六代 飛来一閑作
試行錯誤を重ねた15年が実った
ひとつの部屋にきれいなキンキラ光ったものばかりあっても
目がキラキラするだけですし 貧乏だったところから生まれた
さびれた ぼやっとした感じが一番いい
土風炉・焼物師 十八代 永樂善五郎
茶色から黒に変化するような色を狙って作っている
土風炉を再興しようとした時にいろんな技法を
トライアンドエラーをしながら新しい技法を身につけながら
やっているので そういう意味では明らかに自分のものづくりの
幅が広がっている それはすごく大きい変化 ものづくりをする
人間の大事なところでもある 踏み出したことは大きい事では
あるけれど 完成できてないからね
「完成はどのくらいを目指している?」
生きている間
仕覆(しふく) 十三代 土田半四郎作
袋師 十三代 土田半四郎作
長男 瑛大(あきひろ 29)
常に新しい使えそうなものは探さないといけない
滝もソフト上の定規ですっと線を引いてしまったので
きれいすぎる デジタルの均一化された整理され過ぎたというか
手癖を排除しすぎないことが土田家の仕事として
アイデンティティーがあるのかな
表具師 十三代 奥村吉兵衛
掛け軸も100年とか200年単位の消耗品
いずれはやり替えないといけない
次の人がやりやすいように ずっと受け継いでいく仕事
甥 吉良貞哉(さだちか 16)
表千家 十五代家元 千宗左
大量生産 大量消費の中で お茶はそれとは対極的な世界
お茶の道具は一世代だけではなく代々受け継がれていく
物質的な豊かさの対極にある❝心の豊かさ❞を追い求める時代
サミュエル・モース アマースト大学教授
利休はあらゆるものの中に価値を見つけられると示しています
この教えは道具の中にとどまりません
一人ひとりがおかれる環境の中で自分なりの価値を
見出すことにつながるのです
シアスター・ゲイツ 現代アーティスト
私たちが作るものは完璧にはなりえません
しかしその❝不完全さ❞の中にこそより自然な美しさが宿っています
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