2025年2月8日土曜日

与謝野晶子の歌&竹久夢二&織田信雄・楽山園

いつのまに頬打つ風やのどやかに
ピアノ弾く背を暖めん春陽かな
縁側で爪を切る背へ風光る
義母の庭待ちくたびれたいぬふぐり
春の夜うなじ襲わる寒気せり

■与謝野晶子は佐渡を訪れた時に詠んだ歌
世に一つ黄金を欠くは苦しきか山掘る難に値ひすべきか

■ひそかに春をまつ心 竹久夢二の油絵
夢二の文章より (「夢二画作・夏の巻」1910・明治43年)
自分の繪は、人の世の旅路に、たとえば、胸に挿(はさ)むだ
心の花から花瓣(はなびら)を一つ一つ路に捨ててはゆく
その花瓣(はなびら)だ。繪は、僕の命だもの。

夢二の日記より
形と色の奥に秘められた何者かを掴みたい。
人の心のうちに自分の影を映したい
カミイルの花を煎じてのむ夕べひそかに春をまつ心かも
1934年(昭和9)年9月1日 竹久夢二結核のため逝去

■先人たちの底力 知恵泉 
悪評なんかぶっ飛ばせ❝自分流❞を見つけ出せ織田信雄
神田泊山 アンミカ 清水克行

「不覚人」といえば、旧織田家臣団の中での
信雄の異称のようなものであった。
司馬遼太郎著「覇王の家」(下)新潮文庫

臆病なくせに欲だけは人なみ以上にあるため、
見えすいた餌でも飛びつくところがある。
司馬遼太郎著「覇王の家」(下)新潮文庫

不肖の子とは、信雄のことだ。あれはお人よしを通り越して、
馬鹿じゃよ。稀代(きたい)の馬鹿者じゃよ。
吉川英治著「新書太閤記」

信長の子・御本所(信雄)はふつうより知恵が劣っていたので
なんらの理由もなく、彼に邸(やしき)と城を焼き払うよう命ずることを
嘉(よみ)し給うた。城の上部がすべて炎で包まれると、彼は
市(まち)にも放火したのでその大部分は焼失してしまった。
宣教師ルイス・フロイス著 松田穀一・川崎桃太訳
「完訳フロイス日本史③」

酷い言われようです。この信雄、持っていないんですよね…。
事実は城下町から燃え移ったのでした最後に安土城にいたのは信雄。

アンミカさんはSNSを見に行かない。自分のInstagramに
来るコメントは見ますけれど自分の評価を一切気にしない
見に行かない 面と向かって言ってくれる人を大事にしています
3割善玉 好きでいてくれる人 3割日和見どっちにも時代に動く人
3
割が悪玉菌で嫌いっていう人と思っている
その意見も尊重しなきゃいけない
アンミカさんの知恵 SNSでは批判は尊重しつつ気にし過ぎない

最後は自分らしく生きられた人 人生振り返った時に
いろいろな経験を学びにして最後自分の人生を自分らしく全うできた
逆に幸せな人だったのかな アンミカさんのまとめ

豊臣家はこのあと滅びましたが、
織田家は4男五男がしっかりと明治まで引き継ぎました。

楽山園(らくさんえん)は、群馬県甘楽郡甘楽町小幡にある大名庭園。
築庭は織田信長の次男である織田信雄。
名の由来は『論語』の「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の
一文から採ったものである。
国の名勝に指定されており、群馬県では初の名勝指定庭園である。

神田泊山さんの知恵
長生きこそ悪口を言われないコツ

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