2025年2月2日日曜日

100分de名著 安克昌③

見能林ブロンズ鴇が飛来せり
田に一羽ブロンズ鴇がゆうゆうと
軒下を烏のデゴイと干し柿と
陽射し浴ぶ仲睦まじく吊るし柿
腹の虫所かまわず春を鳴く

■100分de 名著 安克昌
❝心の傷を癒すということ❞(3)心のケアが目指すもの
宮地尚子 伊集院光 阿部みちこ

トラウマ・心の傷・心のケアという言葉が新聞に載るようになったのが
阪神・淡路大震災がきっかけ 
1995年3月 地下鉄サリン事件
1995年8月 終戦から50年

診察室でも病棟でもないところで、突然、人々に話しかけるのは
とても勇気がいることだった。
カウンセリングの“訪問販売“を、私は初めて経験した。
いきなり「悩みはありませんか」などと聞いても、
だれも答えてくれないだろう。
私たちは健康状態から話をはじめた。「眠れてますか?食欲はありますか?」
と問いかけ、話してくれそうな人としばらく会話をした。(中略)
ある年老いた女性は、私が精神科の医者であるとわかると
「いらいらするけど、医者にかかるほどではないんですわ」と言った。
表情は相当にこわばっていた。(中略)
安易に”押し売り”しても、被災者の救護にならないと私は思った。

被災者に対するケアと同じくらい、救援者に対するケアも重要である。
「傷ついた被災者と疲れたボランティア」(ロモ)では、十分なケアはできない。

安先生は本当に静かに座っていて一人ひとり自分の思いを話していくんですけれども
その話を静かに頷いて聞いてくれるそういう感じでした
でも安先生は誰かが話したあとに何か話すことはなかったと思います
ただ安先生がそこにいるだけで安心できるような「この場で本当に何をいいんだよ」
という表情をしていたような ただただ私たちの心の中の叫びのようなものを
聞いてくれる (その会の)象徴だったような感じがします

あくまでその人の自発性というものを損なわないようにするのです。
これはどういう意味があるかというと、外傷体験を受けること自体が
非常に受け身的な体験ですよね。
自分の運命をコントロールできない、できなかったという体験です。
ですから、自分のコントロール感を取り戻してもらう、
自分にできることがまだたくさんあると気づいてもらうことがとても大事です。
そのように力づけることがエンパワメント(empowerment)ということです。
(中略)外傷体験を乗り越えるのではなく、
抱える強さを取り戻してもらうということであります。
結局、治療でできることは、その人が「癒される方向に自分を持っていく」か、
あるいは「癒されなくてもいい」と気持ちを固めるのかを、
自分で考えるようになれるまでの部分です。(中略)
そんなことから、わたしは心的外傷の治療を「癒し」とまで
言ってしまうのは何か非常におこがましい気がしています。
癒しを必要としている人にとって、大切なことは、
本人に前向きの意思を持ってもらうためのケアなんです。

もう二度と、心的外傷を受ける前のもとの自分に戻ることはできない。
心的外傷から回復するために、自分は変わらざるを得ない。
社会に復帰する前に、そういう新しい自分との折り合いを
つけはじめて、社会への復帰が可能になるのである。
心的外傷から回復した人に、私は一種崇高な何かを感じる。
外傷体験によって失ったものはあまりに大きく、
それを取り戻すことはできない。
だが、それを乗り越えてさらに多くのものを成長させていく姿に
接した時、私は人間に対する感動と敬意の念を新たにする。
そして、回復に向けて懸命に生きる人を、敬意を持って受け入れる
社会を作ることも〈心のケア〉の重大な意義ではないかと私は思う。

その人の回復力がついていく中でふっと言葉が入っていくという
そういうタイミングを待つ
傷ついたり挫折したり喪失することでその人が成長していく
ポスト・トラウマティック・グロウス(心的外傷後成長)
挫折したり傷ついたからこそ人間の優しさに気付いたり
深みに気付いたりして成長していける

回復に向かってもがく人たちを敬意を持って見守るのが心のケア

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