2025年2月16日日曜日

枕草子(清少納言)&山月記(中島敦)

春の朝飛び立つ前のプリエかな
春あした深き眠りに誘われて
独り寝の朝寝夢見るお年頃
春怨や空から涙あふれ出ん
この我慢後々役に?冴返る

■10min.ボックス古文・漢文 枕草子(清少納言)
春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく
山ぎは、すこしあかりて、
紫だちたる雲の
ほそくたなびきたる。

天皇の妻 女房=高貴な人に使える女性

夏は夜 秋は夕暮 冬はつとめて(早朝)

冬はつとめて。
雪の降りたるは
言ふべきにもあらず、
霜のいと白きも
またさらでもいと寒きに、
火などいそぎおこして、
炭持てわたるも、
いとつきづきし。

貴族社会で花開いた才能
天皇の妻 中宮定子の宮遣いをしたことが始まりでした

雪のいと高う降りたるを、
例ならず御格子まゐりて、
炭櫃(びつ)に火おこして、
物語などして
あつまりさぶらふに、
「少納言よ。香炉峰の雪 いかならむ」
と仰せらるれば、御格子上げさせて、
御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。

香炉峰の雪はすだれをかかげてみる

するどい観察眼 ものづくし 
「うつくしきもの」⇨かわいらしいもの
うつくしきもの瓜にかきたるちごの顔。
雀の子のねず鳴きするにをどり来る。
二つ三つばかりなるちごの、いそぎて這ひ来る道に、
いち小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、
いとおかしげなる指にとらへて、
大人ごとに見せたる、いとうつくし。

「ありがたきもの」⇨めったにないもの
ありがたきもの。舅にほめらるる婿。
また、姑に思はるる嫁の君。
男女をばいはじ、契り深くて語らふ人の、
末までなかよき人かたし。

■10min.ボックス現代文 山月記(中島敦)(一九〇九-一九四二)
隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、
若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に
補せられたが、性、狷介(けんかい)、自みずから恃たのむところ
頗(すこぶる)厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。

このころからその容貌も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、
眼光のみいたずらに炯々(けいけい)として、曾(かつて)進士に
登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の
俤(おもかげ)は、何処(いずこ)に求めようもない。

中島敦32歳の時に発表したデビュー作です

虎は、あわや袁 (えんさん)に躍りかかるかと見えたが、
たちまち身を翻して、もとの草むらに隠れた。
草むらの中から人間の声で「危ないところだった。」
と繰り返しつぶやくのが聞こえた。
その声に袁 は聞き覚えがあった。驚懼(きょうく)のうちにも、
彼はとっさに思い当って、叫んだ。
「その声は、我が友、李微子(りちょうし)ではないか?」

名声への執着

なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。
全く何事も我々にはわからぬ。
理由もわからずに押しつけられたものを
おとなしく受け取って、理由もわからずに
生きてゆくのが我々生き物のさだめだ。

産(さん)を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに
執着したところのものを、一部なりとも後代に
伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
こんなあさましい身となり果てた今でも、
おれは、おれの詩集が長安風流人士の机の上に
置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。

李徴が虎になったわけ
山月記は「人虎傳」が元となっています。

かつて郷党の鬼才と言われた自分に、自尊心がなかったとは言わない。
しかし、それは臆病な自尊心とでも言うべきものであった。
おれは死によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、
求めて詩友と交わって切磋琢磨に勤めたりすることをしなかった。
ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。
これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの
外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。

一行が丘の上に着いたとき、彼らは、言われたとおりに振返って、
先ほどの林間の草地を眺めた。たちまち、一匹の虎が草の茂みから
道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、すでに白く光を
失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの
草むらに躍り入って、再びその姿を見なかった。

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