2025年2月24日月曜日

あの人に会いたい 松岡正剛

享受した命受け取り春の潮
春望や記憶束ねて増す強度
静けさと抒情讃えん春月夜
春光や草間彌生の海の底
春サシバ奄美で翼伸び伸びと

■あの人に会いたい 松岡正剛(著述家)
1944-2024(令和6)年 80歳没

編集工学という考え方を提唱 稀代の読書家
「千夜千冊」20年以上連載

アスリートのようなものだと僕は読者を思っているんですね
だからその日のコンディションによって打てる球も打てなかったり
そういう日々のコンディションと書物というのが
いろんなドラマや格闘技を生むんだろうと
それからまた食事のようにですね 今日こそカレーだと思っていたら
いまいちそのカレーがうまくなかったりして書物ってそういう裏切りも
起こしてくれる そういうのを含めて読書というのが
あるんだろうと思います 

昭和19年 京都市生まれ
歌舞伎や落語に親しんだ

京都の呉服屋だったんですが東京にちょっと来て人形町の
末廣亭っていう まだこう 桟敷のね ところへ通わされて
おやじに もう大好きなんですよ タニマチ(後援者)
みたいなことをしていました 何人か 桂三木助さんのね
先代の タニマチっぽいことをやっていましたけれども
そうするとね 子どもながら「おい はっつぁん」とかって
こうやっていると子どもはこうやって聞いていて向こうを
こうやって見たりするのね そのぐらい空間を感じていました

1963年 早稲田大学へ進学

学生の頃ですけども電車に乗ると電車の中でワーっと車窓の中に
風景が映りますよね 見ていると全部みえるわけさ
あんな広告があるなとか ああいうビルあるなと
こんな所にジムがあるなとかってブワーって言ってみると
自分の有声言語と脳の意識がもっているスピードがこんなに
ずれている いくらやっても追いつかない それをエディット
(編集)しようというふうに思い始めたんです 

私が20代でね「遊」っていうこの1字の漢字だけで雑誌を
作ってみたいということで僕のそういう意味では出発点でもあるし

編集工学の方法論を確立

私が感じている編集というのは新しい組み合わせを作り出すと
いうようなことで それは歴史に対してもそれから音楽と
美術に対しても何か組み合わせを自分で作りだしたい
というようなことだろうと思いますね だから常に古いものも
新しいものもその所属の場所を離れて何かこう翼を持って
出逢えるようなものをね どこかに作っていきたいなと

1987(昭和62)年 編集工学研究所 設立
「情報の歴史」を発表

今風の言葉で言うと縦割りは嫌いだとやっぱり横につなげたい
例えば日本人は織田信長というのはよく大好きですが織田信長が
エリザベス女王と同じ時代だとかっていうことはあまりピンとこない
それからその織田信長 エリザベス女王の時代にスペインでは
イスパニアではフェリペ2世がやはりいたと みんな信長のような
人何ですが 例えばそういうことというのは歴史の教科書にも
書いていないし普通の年表を見てもどうしてもわからない
この「情報の歴史」ではそのリンキングですね 関係が
どのように出現してくるか ということを見せているわけです

日本というあるいは日本語とか日本人というのは最初からデュアル
(2つの)じゃないか 相反したものを受け入れていたんじゃないか
天皇と幕府が両方いる 公家と武家がいる そういうふうに
2つ2つというものをね 順守してきたんではないか 神仏は
本当はグジャグジャなのよ こういうと神様こっちは仏様
明治でね 神仏分離しちゃうとか 廃仏毀釈するとかね
日本人が作り上げるメソッド(方法)とか芸能とか哲学というのは
もっと ラディカル(革新的)に進んだ方が今の日本にはいい

「たけくらべ」を読んで
「葛藤」と「邪険」という二つの言葉だけを引き出した

いかにその人と共同編集するかというか共感を描くか
つまり読者というのは著者が書いているものをトレース(なぞる)も
しますけど頭の吹き出しの中にはもっといろんなものが
思い浮かんでいる読み終わっちゃうとですね 
ここがなくなっちゃうんですよ (本は)僕にとってはノートでも
あるんですね すでに書いてくれているノート そのノートに
またこう自分で書き加えていこうというかですね 
これは丸山眞男さんの本ですけれど 例えばこれは
チャプタータートルですね そういうものを自分の中に
区切っておこうとか その言葉がどういうふうに何回出てきたか
というのを読むスピードの中でそのスピードに合わせて
自分の吹き出しと著者との間のインターフェース(接点)に
傷をつけるというかひっかき傷をつけるというか そういうことを
やっておくわけです それを使って再生していくわけですね

近畿大学アカデミックシアター ビブリオシアター

(頭に)インプットする状態のいろんな情報とか知識だとか出来事と
それを語ったり再生したりするのは変わる 
それが編集だと僕は思っています クリエーションとか創造と
いうけれどもそういう言い方をしてもいいけれども
ほとんどそういうものはエディット編集ではないか

千夜千冊⇨https://1000ya.isis.ne.jp/

私感
私がパソコンを手にした時よりず~っと、毎日拝見していました。
私をここまで誘って下さりありがとうございました。

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