2025年2月11日火曜日

伊勢物語

春の雨降る❓降らないの❓じれったい
花曇生きる経験今日もまた
春の朝台所と共に生きる
春時雨心の傷を耕さん
春の風覆らせる過去もなく

■10min.ボックス古文・漢文 伊勢物語
むかし、男ありけり。
純愛 許されない愛 親子の愛 様々な愛が描かれている

男はこの女をこそ得(え)めと思ふ、
女はこの男をと思ひつつ、
親のあはすれども聞かでなむありける。
つひに本意(ほい)のごとくあひにけり。

夜もふけにければ、鬼ある所ともしらで、
神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
あばらなる倉に、女をば奥におし入れて、
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、
鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、
神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。

老いむればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため

愛に生きる「男」在原業平
月やあらぬはるやむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

むかし、東の五条に、
大后(おほきさい)の宮おはしましける
西の対にすむ人ありけり

それを本意(ほい)にはあらで、
心ざしふかかりける人、
ゆきとぶらひけるを、
正月(むつき)の十日ばかりのほどに、
ほかにかくれにけり。

かきつばたが咲き誇って咲いているのを見て…。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばた、といふ五(いつ)文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」
といひければ、よめる。
から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびぞしぞ思ふ

■10min.ボックス現代文 オツベルと象(宮沢賢治)
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや
鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようで
しかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
「注文の多い料理店」序より

オツベルときたらたいしたもんだ。稲こき機械の六台も据えつきて、
のんのんのんのんのんのんと、おおそろしない音をたててやってくる。
十六人の百姓どもが、顔をまるっきり真っ赤にして足で踏んで
機械を回し、小山のように積まれた稲をかたっぱしからこいていく。
そのうす暗い仕事場を、オツベルは、大きな琥珀のパイプをくわえ、
ふきがらをわらに落とさないよう、目を細くして気をつけながら、
両手を背中に組み合わせて、ぶらぶら行ったり来たりする。

「すまないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を
くんでくれ。」オツベルは両手を後ろでくんで、顔をしかめて
象に言う。
「ああ、ぼく水をくんでこよう。もう何杯でもくんでやるよ。」
象は目を細くして喜んで、その昼過ぎに五十だけ、
川から水をくんできた。そして菜っ葉の畑にかけた。

オノマトペの面白さ

なにせ新式稲こき機械が、六台もそろって回ってるから、
のんのんのんのんふるうのだ。

さあ、オツベルはうちだした。六連発のピストルさ。
ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、
ドーン、グララアガア。ところが弾は通らない。

賢治の心象風景

ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒れて地べたに座り、わらも
食べずに十一日の月を見て、「もう、さようなら、サンタマリア」
と、こう言った。「おや、なんだって?さよならだ?」
月がにわかに象にきく。「ええ、さよならです。サンタマリア。」
「なんだい、なりばかり大きくて、からっきし意気地のないやつだなあ。
仲間へ手紙を書いたらいいや。」月が笑ってこう言った。
「お筆も、紙もありませんよう。」象はほそういきれいな声で、
しくしくしくしく泣き出した。

まもなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃ暗くなり、
象はやしきを取り巻いた。グララアガア、グララアガア、
そのおそろしい騒ぎの中から「今助けるから安心しろよ。」
優しい声も聞こえてくる。
そのうち、象の片足が、へいからこっちへはみ出した。
それからも一つはみ出した。五ひきの象がいっぺんに、
へいからどっと落ちてきた。
オツベルはケースをにぎったまま、もうくしゃくしゃにつぶれていた。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」
白象はさびしく笑ってそう言った。

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