徒(いたずら)な小さき才能霜満つる
冬北斗死を人生の偉勲とす
生きることそれは創造冬銀河
人生は道草にあり冬ぬくし
憧れる前に挑戦冬の月
■100分de名著 中江兆民「三粋人経綸問答」(4)その後の兆民
一年有半・続一年有半 一年有半
講師 平田オリザ
中江兆民 余命一年半と宣告される
生前の遺稿記された「一年有半」はベストセラーに
一年半などあっというまだと諸君はいうだろう。
わたしはきわめて悠久だといおう。
なすべきことがありそこに楽しみを見いだせるなら
一年半はどれほど大切に過ごすことのできる時間になるだろう。
いわゆる一年半が無に等しいなら五十年も百年も無である。
いってみれば、われわれはだれも
虚無の大海に浮かぶ一そうのから舟なのだ。
「一年有半」
政治家兆民の挫折
仲間に裏切られた(板垣退助)感があった
政治力学には馴染めなかった
有=そして 一年有半とは一年とそして半年
もし恐外病を根本から治そうとするなら
人々に物質的な美と普遍の理念である
善との区別を明らかにするほかはない。
学問がどれほど高遠であっても
権勢がどれほど盛んであっても
名声・人望がどれほど高かろうと
子として父を虐待し夫として妻を苦しめ、友人をあざむき
その他さまざまの道に外れた行いをするようでは話になるまい。
わが国家がいかに強く隣国がいかに弱くても
理由もなしに隣国を攻撃するようではどうにもならない。
富や名声などが普遍の真理にうち勝つことはないのだ。
普遍の真理というものはみな陳腐なのだ。
言えば陳腐だが、行なえば新奇だぞ。
物質的な美と普遍の理念である善との
区別を明らかにするほかない。
(道徳的にはヨーロッパが優れているわけではない)
道徳(普遍の真理)を守らなければだめなんだ
浜寺の風景
たまたま雨模様となって黒雲が西空をおおい、波は岸を打って
そのドウドウという波音は時には人を勇気づけ
ときにはわびしく哀れを催させた。
わたしはすでに不治に病のかかって
いわゆる一年半の宣告を受けており
妻は日夜わたしに寄り添って看病に尽くしてくれるのだが
全快ではなく、ひたすら死期を待っているのである。
わたしはもとより蓄財につたなく家に負債はあるが財産はなく
しかもこの重病にかかっている。悲惨といえば悲惨であろう。
今夕、わたしは妻に笑って言った。(略)
「どうだ、わたしとともに水に飛び込んで、
いっそ、何事も起こらない国へ行くとするか」
ふたりで大笑いして途中、かぼちゃ一個とあんず一籠を買って、
仮住まいに帰るとちょうど夜の九時であった。
生まれて五十五年、やや書を読み理義を解して居ながら
神があるの霊魂が不滅といふやうな寝言を吐くの勇気は
余は不幸にして所有せぬ。
余は理学において極めて冷々然として、極めて剝出しで
極めて殺風景にあるのが、理学者の義務
否な根本的資格であると思ふのである。
余は断じて無仏、無神、無精魂
即ち単純なる物質的学説を主張する
ナカエニスムという独自の哲学を構築しようとした
いろんなものを加えていって自分の思想をつくる
その最後のかたちは「無」
「自分の目で見て自分の頭で考えて自分の言葉でしゃべりなさい」
という事を兆民は一生をかけて日本人に伝えてきた
これからの日本人は一人一人が「自分の哲学を持ちなさい」
自分の哲学があるから相手の哲学も認められる
借り物同士だと戦争になる
兆民からのメッセージ 「対話の精神」
異なる価値観、異なる文化的背景の人と
同意はしないが理解に努めて結論を出して先に進む
大事なことは席を立たない
一番読んで欲しい人は政治家!
南海先生の言葉
「思想は種子であり、頭脳は畑です。
きみが真に民主思想を喜ぶならば
これを口に論じ、書物に著わし
その趣旨を人々の頭脳にひろく植え付けるのです。
数百年後、それが豊かに国中に生い茂っているかもしれません」
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