2024年1月17日水曜日

ベニート・ムッソリーニ ザ・プロファイラー

山桃の種転がりて冬の朝
(ピカソ)童心の鳥の水差し冬の夜
ムージャンの絵本の世界冬陽射し
(ピカソ)ムージャンを過ごす晩年梟(ふくろう)と
空海の必死一心虎落笛(もがりぶえ)

■ザ・プロファイラー 
ヒトラーが憧れた独裁者 ベニート・ムッソリーニ

ファシストに労働者も資本家も存在しない
唯一の目的である「国の利益」に従い
最大限の繁栄を得るための構成員である
(ファシスト党大会での発言)

ムッソリーニの成し遂げた成果なしでは
私が首相の座にまで昇りつめることはできなかった
(イタリア外交官との会話)

ムッソリーニはヒトラーを軽蔑していた

ヒトラーは現実の問題に触れることなく
彼が書いた「わが闘争」を暗唱し続けた
まるで壊れたレコードプレーヤーのようだった
(わが闘争:ナチ党の活動理念方針について書いたヒトラーの著作)

あいつは狂っている 道化師だ
(会談後の発言)

反ユダヤ主義政策を否定
イタリアに反ユダヤ主義は存在しない
ユダヤ人は常に立派に振る舞ってきた
(ジャーナリストとの対談)

エチオピア侵攻 エチオピアは40年前に失敗した国
ローマ帝国の復興を国民に鼓舞した
禁じられた毒ガスを使用し半年で勝利
しかしイタリアは国際社会から非難を浴びた
エチオピア併合を認められなかった
だが、国民の愛国心を刺激し ムッソリーニの人気は高まった
そしてイタリアを指示したのはヒトラーだった
2人を近づけたのはスペイン内戦
ムッソリーニとヒトラーはフランコ将軍を支持
結果、スペインにもファシスト政権が誕生
ナチスの圧倒的な軍事力と統制を目の当たりにし
態度を豹変させた

ヒトラーによりムッソリーニは国民に紹介された
ここにいる人物は歴史に創られたのではなく

歴史を創る天才である
これに対しムッソリーニは
我々ファシストは親愛なる友のために死ぬまで行進を共にする
ヒトラーの力を実感し脅威をムッソリーニは感じた

このことからユダヤ人を迫害し始めた
鋼鉄条約を結ぶ
一方が戦争に入るともう一方も参戦の義務を生じる
独裁者2人が運命共同体となる
イギリス・フランスには帝国を作り上げた冒険家の気質はもうない
ヒトラーを敵に回すより味方にしておいたほうが得策だ
(側近に語った言葉)
軍備の生産能力はイギリスやフランスの3分の1
とても戦争ができる状態ではなかった
イタリアには準備期間が必要でありそれは1942年中かかる…。
ヒトラーはイタリアを無視
宣戦布告を通達した
敵はイギリスとフランス 勝利を!
ドイツ軍がパリに迫ったタイミング

フランスの次にはいつか我々の番が回ってくる
ドイツに侵略される際には鋼鉄条約が我々の最後の頼みの綱となる
(外務大臣への言葉)
イタリアはドイツの指揮下に
立場が逆転した屈辱的な瞬間だった
ドイツがソビエトに侵攻した時は驚愕した
これは純粋な狂気 まったくの愚行だ
(知人への言葉)
ドイツの劣勢となった
アメリカも参戦 文字通り世界大戦へ

イタリア国民からは怒りの声 30万人が反戦運動を起こした
1943年連合軍がシチリア島に上陸すると
国王はムッソリーニを首相の座を解任し幽閉
イタリア降伏 その4日後 ドゥーチェ救出
歴史的一コマが記録される
ドイツが幽閉されていたムッソリーニを救出
ヒトラーの狙いはイタリアにドイツの傀儡(かいらい)政権をつくること
だがこの頃のムッソリーニは体調が悪化 心も疲弊
個人的に野心はもうない
私にはファシズムの再興が不可能に思えた
もう政治に戻る気はない
(救出後のインタビュー)
もしあなたが受け入れないのであれば
イタリアはポーランドと同じ運命をたどるだろう
(救出後のヒトラーの言葉)
我々はイタリア全土が再び一つになることを望んでいる
ミラノの親愛なる同士諸君よ
ミラノこそが再びファシズムの実現に向けて
立ち上がっていかねばならない
この選択がイタリアに悲劇を生むこととなる
イタリア人同士の内戦に発展
次第に傀儡政権が敗色が濃くなるとスイスへの逃亡を図る
だが二日後、蜂起した国民につかまる
1945年4月29日ムッソリーニと
傀儡政権の幹部の死体がミラノの広場に逆さづりにされる
民衆から熱狂的に愛された独裁者はその熱が冷めた瞬間
民衆の手によって処刑された
1945年4月28日ベニート・ムッソリーニ死去(61歳)
全ての独裁者は燃えるような野望と邪念の中でバランスを失っていく
だがその狂気のような情熱こそが独裁者を独裁者たらしめるのだ
(晩年のインタビュー)

0 件のコメント:

コメントを投稿