2023年8月25日金曜日

俵万智女史の短歌&無有好醜&「秋の村雨」

村山槐多へ
唐辛子器用が仇となりにけり
幸か不幸か恵まれすぎて流れ星
月渡る器用が過ぎて見失ひ
秋の水一途がもとで怖がられ
秋の風槐多BL見抜かれん

■俵万智女史の短歌
言の葉をついと咥(くわ)えて飛んでゆく小さき青き鳥を忘れず

このままでいいのに異論は届かないマスクの下に唇をかむ

はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり

10センチ背丈伸びたる息子いてTシャツみんな新品の夏

ひとことで私を夏に変えるひと白のブラウスほめられている

生ビール買い求めいる君の手をふと見るそしてつくづくと見る

RとL聞き分けられぬ耳でよし日本語をまずおまえに贈る

■無有好醜(むうこうじゅ)
「たとい私が仏と成り得ても、浄土においてもろもろの人たちの形が
同じでなく好(よ)き者と醜き者とに別れるなら、私は仏に成らぬ。」
柳宗悦はわれわれの世にある、力のある者・ない者、
才能のある者・ない者、美しい者・醜い者という
二元論的な世界をうち破り、皆が同じでなく、
違っていながら全てが美しいという境地での仕事ぶりをここから説いた。

■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク 秋の村雨

「村雨」とはヴィレッジ(むら)に雨だけではなく
「群雨」等とも書いたりします
にわかに群がって降る雨ということで
「群雨」な訳です
この「村雨」を夏の季語として
扱っている歳時記もあります
しかしそれとは別に秋の季語として
「秋の村雨」が歳時記には収録されています
私たちはよくこの講談社版
「カラー版新日本大歳時記」を
使うことが多いのですが
なんとこの大判の歳時記を持ってしても
「秋の村雨」の例句が収録されていないのです
季語の解説をする中で与謝野蕪村の
「みじか夜や村雨わたる板庇」
という句が紹介されていたりしますが
この句の場合「みじか夜」が
主たる季語としてたっています
「秋の村雨」の例句は一体何処にあるのでしょうか
それは現代を生きる我々が作って
この季語を残していく
そういう存在なのかもしれませんね

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