2023年8月16日水曜日

こころの時代 野見山暁治

甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)へ
盆の月女のにほいぷんぷんと
揺らぎある風情哀れ寒蝉(かんせん)鳴く
秋暑し生々しさと醜さと
長き夜溶けゆくにほいこぼれをり
にほい立つ牡丹の花の怪しさよ

■こころの時代 
100年のアトリエ 画家 野見山暁治
僕の中に「これ」というものがあって
それをみんなに引っ張り出して見せたくて
引っ張り出そうとしている
やっぱり美しいものなんだろうけど そういう世界は
「私の中にあるのはこういうものなんだよ」と
それをいろいろ色を塗って試してる
「ああこれなんだ」と言うまでみんなに見せたいな
それが絵を描いていることなんじゃないか

上手くいってるって何でしょうね
上手くいってるっていうのは何のことだろう?という気がする

今は手もあまり動かないし気持ちも画面の中に入って行かない
早く早くという気持ちがあり過ぎる
早くしないといつまでも終わらないよと
内側から急かされている

今にして思えば何かやっぱり
ひとつ大事なものが欠けていたなという気がする

絵描きが絵だけというのはむなしいんだよ

僕は今までこの歳になるまでだいたい人の一生だから
このくらい人間は一生のうちに人と会い人と別れるのか
人間というのはこの世という舞台で
「はいあなたの出番ですよ」と出されて役割が終わるまで
というのは今みんな亡くなってるもんだから
きちんと一個の人が舞台に現れて踊って消えていくまでが
それが非常に面白い
この人は僕を憎んでいたけれどあの人が僕の望みを
(叶えたとして)それは果たして良かったかどうか
だから不幸だと思ってもその時の不幸の役をやって
一幕終わって次の幕の時はもう違うんだから
そうなってみるとあの時困ったことも
嬉しかったことも幸不幸なんて別に作りものだなと

「若い時は世の中を自分は寂しいと思った
ああ人生というのはこんなに寂しいのか」
つまり「若い時は世の中を自分は寂しいと思った
ああ人生というのはこんなに寂しいのか」
「俺は寂しいと若かった歳とってきたら寂しさが変わってきた」と
椎名其二(フランス文化研究者)
どう変わってきたんですか❓
「この宇宙は寂しいものだと思うようになった」
違いますか❓って言ったら
「自分が寂しいのと、宇宙が寂しいのとは違う」
と言う
そこまで来たんだからもっと人が長生きするだけ生きて
どのように寂しさが移り変わっていくのかそれを見てみたい
例えば苦しいなら苦しいとか歳をとって体が辛いとか
辛いというのはどういうことかそのものを見極めてみたい
なにもかもそういうふうに
「せっかくうまれてきたんだから
みんな知ってからしにたいと思うんだよね」と
それを聞いてから私もそうなってすぐ真似するから
だからこれからはどんなに辛くても
つまりだけどどんどんどんどん辛くなくなってきた
楽天的になってきたああみんな芝居の脚本通りじゃないかと

絵というのは一番いけないのはうまそうに描こうとすること
絵というのは誰でも描けますよってっを軽蔑するおかしな世界
だから絵というのは特殊なもんだけど

いいですよ こうやってね
絵を描いてて日が暮れて
暮れなずんだところでひとりでこうやって居たら
なんとなく
これから東京へ戻ろうかなとはあんまり思わなくなるね
これぐらいならこのままでいいよと
だって栄光やお金はこの世の物だからね
もうこの世から去る人はそういう物はなにも
ああここはこの世の事だったんだなと思う
例えば僕がこの椅子がとても好きでも
僕の方から消えるから
何ひとつ自分の物はない

僕はケチだから戴いた命容易には離さない

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