2023年8月30日水曜日

司馬遼太郎「覇王の家」1&2

スイッチインタビュー 坂本龍一&福岡伸一
止める日を考えながら秋を生く
身に染むやノイズの中を彷徨わん
あるがまま自然のままに秋の風
秋の夜ロゴスの強さ圧倒す
音楽と命の起源星月夜

□100分de名著
■司馬遼太郎 覇王の家1 「三河かたぎ」が生んだ能力
家康という人間は、どうにも一筋縄では解きあかしにくい。

人よりも猿の方が多い。
と尾張衆から悪口を言われるような後進地帯であった。
ただ国人が素朴で、困苦に耐え、
利害よりも情義を重んずるという点で、
利口者の多い尾張衆とくらべて
きわだって異質であった。
犬の中でもとくに、
三河犬が忠実なように、
人も主に対して忠実であり、
城を守らせれば無類につよく、
戦場では退くことを知らずに戦う。

中世的な情念 中世人という気性
近世は合理の世界 中世は情の世界

「敵がわが効野を踏みつけつつ
 通り過ぎていくのに、
 一矢も酬いずに
 城にかくれているなどは男子ではない」
かれは全軍に出戦の支度をさせた。
豹に睨みすえられた
うさぎのように、身うごきがとれない。
逃げれば豹はえたりと、
跳びかかってくれであろう。
進めば、豹の一撃が、
兔の頭蓋骨を粉砕するかもしれない。
津波に遭ったように
家康は敵のなかにいる自分を発見した。
ただ一撃で逃げた。(略)
背後から敵が迫ってくるし、
このさき浜松へ逃げようにも
その退路がふさがれているかもしれず、
雨のなかの家康の気持ちは絶望に近い。
背後で馬蹄のとどろきが湧きおこり、
ふりかえると、おびただしい松明が
家康のあとを追ってきた。(略)
おもわず、馬の首に顔を伏せながら
鞍壺で糞を洩らしたというのは、
このときであった。
「殿は、いま御寝(ぎょし)じゃ、
 お胆(きも)のふといことよ」
と、すぐ城内のすみずみまで伝わって、
城兵を感嘆させたり、勇気づけたりした。

書いているうちに書いている人物を理解する
広い世界が見えてくる

この自殺的な出戦は、結局は惨憺(さんたん)たる敗北におわるのだが、
しかしかれののちの生涯において
この敗北はむしろかれの重大な栄光になった。

討ち死にした徳川勢が全員前を向いている
逃げようとして仰向けに討たれた者は一人もいない
そういう兵を育てあげた家康はすごい
徳川家の家臣も全員そのことを誇りにしている
徳川家は再編成された

■司馬遼太郎 覇王の家2 「律義さ」が世を動かす
司馬遼太郎は織田信長を語っている。
尾張者であるのに信長は
すべて軽快をよろこぶ男であった。
ところで信長は
人の心に敏感過ぎる男であった。
信長は人間というものを
その機能性で評価する男で、
役に立たぬ連中を
これほど憎む男もめずらしい。

家康は信長の下請け会社の社長にあたる。
下請け会社を維持するためには、
徹底的に律儀であることを必要とする。
信長の生存中の家康は、律儀に徹した。

信長が家康を気に入ったというよりは
家康のほうがに信長に気に入られるように
一生懸命気遣いもし下働きもした

築山殿とは
「気位の高い女」
「かれに対してあれこれと指図をしたがる女」
「政治好き」
「そのことばは、常に甲高かった。
 その甲高さのなかに 訓戒、威圧、要求、厭味、怨嗟が、
 毒焔(どくえん)のようにこもっていた」

常に歴史に対して柔軟でなければ
本質を見誤る恐れがある

家康の遺訓
「己を責めて人を責むるな」

家康という男は、
人のあるじというのは自然人格ではなく
一個の機関であるとおもっていたのかもしれない。

役目や責任はあるが人格はない

家康が我慢強く忍耐強く 前に進んだのは
日本をこう変えていくんだという高い理想があったから

信長は律儀で真面目で頑張る人が好き
家康は信長につぐナンバー2

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