2022年7月29日金曜日

陶の山 辻村史朗

国宝を囲む回廊夏の空
2022年異常気象が襲う夏
画面越し熱波の被害どこかしこ
炎帝や異常気象の状態化
熱き日やあり得ない事あり得たり

■日曜美術館 陶の山 辻村史朗 より

その山には数十万の焼き物が眠る
男は器を作っては山に「置く」
山にきて五十年
二百トンの土を器に変えてきた

工程を大事にする人がいるみたいですけど
私の場合、結果が大事であって
電子レンジで焼いてそれが魅力的なものであれば
それはそれで良いと言う概念なんです
私は私のやり方でやっています
電気釜で志野茶碗を焼いても結果が良ければそれで良い
という考えでやっています

国宝卯の花墻(かき)を真似ようという気はないのですが
それに匹敵するような魅力のあるものができればよいなと
何千個も創っているのかもしれません

大井戸茶碗 山伏 
それはむしろ茶盌(わん)というより
人間と相対しているような状態(略)
人の手で作られたものが作った人の手をはなれ(略)
時代をとわず変わることのない
その内なる流れをそっくり一つの器に
含み込んで表現し得るということに
おのずと、私がいったい何をどうしようとしているのか
なぜこのように生きているのか(略)
質問の答えを見い出せるようにおもうのです
「器と心」より

時折、土ではなくキャンバスに向かう

普通、志野では一回しか焼かないんですが
もう一度同じ温度で焼いたら
こんな紅を射したような赤ができたんです
理屈じゃない執念のような
できてしもおたという感じなのでしょうか

作り手と使い手の呼吸が合った時に
ええなぁと思うんじゃないでしょうか

撫でまわしていたい
欠点があっても愛おしい
この感覚は誰にも表現できないと思う
数十万と作っているけどいまだに作りたいという気持ちがある
自分の寿命の終る時まで手が動く限りやっていると思う

■私感 
茶碗への愛をひしひし感じました。

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