2026年6月16日火曜日

こころの時代 蜘蛛の糸 若松英輔

醍醐寺を詠む

水の音よ鳥の鳴き声醍醐寺よ

藤戸石夏の静けさ従えて

見ゆる風音たのしまん夏の庭

夏の風賀茂の三石それぞれに

横向いて眠る秀吉夏木陰

 

■こころの時代 ファンタジーに秘められた宗教②「蜘蛛の糸」

中村圭志(宗教研究家・翻訳家) 若松英輔(批評家)

 

芥川龍之介「蜘蛛の糸」

或日のことでございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、

独りでぶら〱お歩きになつていらつしやいました。

やがてお釈迦様は その池の縁にお佇みになって、

水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を

御覧になりました。

お釈迦様はこの犍陀多(かんだた)には 蜘蛛を助けたことがあるのを、

お思い出しになりました。

そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら この男を

地獄から救い出してやろうとお考えになりました。

何気なく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、

遠い遠い天の上から、銀色の雲の糸が、まるで人目にかかるのを

恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると、

自分の上へ垂れて参るではございませんか。

犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を、両手でしっかりと掴みながら、

一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。

元より大泥棒のことでございますからこういう事には、

昔から慣れ切っているのでございます。

ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、

数限りもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、

まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へと一心に

よじのぼって来るではございませんか。

自分一人でさえ断()れそうな、この細い蜘蛛の糸が

どうしてあれだけの人数の重みに堪える事ができましょう。

今の中にどうかしなければ、糸は真ん中から二つに断れて、

落ちてしまうのに違いありません。

そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら罪人ども。

この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、

のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。

その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、

急に犍陀多のぶら下がっているところから、

ぷつりと音を立てて断れました。

ですから、犍陀多もたまりません。あっという間もなく、

風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に

暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

 

ポール・ケーラス「カルマ」

私は多くの悪事を働き、善いことは何も行いませんでした。

私の「業」は、私を地獄へ導くでしょう。

救いの道を歩むことなど私には到底かないません。

善因善果、悪因悪果は天の道ですから、あなたが行った罪業は、

めぐりめぐって来世に報いがもたらされます。

しかし、絶望することはありません。

真の教えに帰依して、「我執」の妄念を絶った者は、

一切の情念罪欲を離れて、自らのみならず、他者をも照らす

祝福の源になることでしょう。

その一例として、大泥棒カンダタの話をしてあげましょう…

カンダタは、蜘蛛の糸を掴み真実の道を歩もうとする願いが

実は奇跡の力を持つことを知らなかったのです。

それは蜘蛛の糸のように細いものですが、

何百万という人々を支えることができるのです。

しかし、人の心に「これは自分のものだ。正しい道へ至る喜びは

自分だけのものであり、他の誰にも分け与えたくない」

という考えが生じた途端、その糸は切れ、あなたは

「我執」に捉われた自分に戻ってしまいます。なぜなら

「我執(がしゅう)」の念こそ破滅であり、真理こそが至福だからです。

地獄とは何でしょうか?それは「我執」にほかなりません。

そして、涅槃(ねはん)とは、正しい道を歩む生涯に他ならないのです。

私にも蜘蛛の糸を掴ませてください。私は地獄の底から逃れ出てみせます。

 

「歎異抄」

第十三条

わがこころのよくて

ころさぬにはあらず

また害せじとおもふとも

百人千人をころすこともあるべし

 

第三条

善人なをもて往生をとぐ

いはんや悪人をや

 

第十三条

さるべき業縁のもよほさば

いかなるふるまひもすべし

 

芥川龍之介「蜘蛛の糸」

犍陀多は大きな声を出して、「こら罪人ども。

この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、

のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。

お釈迦様は悲しそうなお顔をなさりながら、

又ぶらぶらお歩きになり始めました。

自分ばかり地獄から抜け出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、

そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、

お釈迦様のお目から見ると、浅間しく思しめされたのでございましょう。

しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。

その玉のような白い花は、お釈迦様のお足のまわりに、ゆらゆら

(うてな)を動かしております。

そのたんびに、まん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない

好い匂が、絶え間なくあたりに溢れ出ます。

極楽ももうお午(ひる)に近くなりました。

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