2026年6月14日日曜日

モディリアーニとその恋人の物語

(ジュウリョクピエロ)夏競馬騎手に恋して走り切る

(ライオン)群れ成さず戦い嫌い夏に逝く

(ライオン)夏野原気ままに生きて昇天す

青空へまっすぐ伸びん立葵

大輪の花誇らしげ立葵

 

■モディリアーニとその恋人の物語(2009)

 

「私が求めているものは現実でも非現実でもなく

 無意識すなわち人類に本能的に備わっている神秘である」

 

モディリアーニはどうして❝芸術村❞に行って絵を描いたのか?

恐らく孤独から逃れるためだった ❝芸術村❞の芸術家たちは

激しく議論しあったという 伝説にはある夕方モディリアーニは

酔って激高し仲間の作品を壊してしまい❝芸術村❞を去ったという

 

モディリアーニにとってロトンドはわが家同然でした 彼は貧乏で

ツケが何カ月もたまりました ツケを催促されると彼は絵を描き

店主に引き取ってもらいました 

 

ジャン・コクトー

 

モディリアーニの天才は麻薬によって目覚めたという伝説がある

例えば独特の細長い顔が生れたエピソードはこうだ

大麻パーティーで彼は突然❝本物の道を見つけた❞と叫び紙と

鉛筆をつかんで興奮して描き出した 描き終えた彼は白鳥のような

首の女の顔を誇らかに振りかざした 

 

フランシス・カルコ(作家)

 

巴里に出て来た時 モディリアーニは既に結核だった 思えば

小さい頃から繊細で病弱だった だから酒と麻薬は彼の心や体を

一層むしばみ 時々 自分自身への信頼を失わせるほどだった

良い絵を描こうとする焦りや画商たちから加えられた圧力…

これら全てが彼を酒におぼれさせる原因になったかもしれない

でも結局これはモディリアーニにしか分らない心の問題だ

 

「僕の興味を引くのは人間だけだ 人間の顔は自然の中でも

 最も優れた創造物である」

 

パブロ・ピカソ

ヴァルター・ハルヴォーゼン(ノルウエー人画家)

ベアトリス・ヘイスティングス(イギリス人ジャーナリスト)

 

ヘイスティングスは酒や麻薬をけしかけモディリアーニをだめにした

張本人だという人がいる 一方モディリアーニを節制させ仕事に

励ませた立役者だという人もいる 私は彼女は単なる恋人や

モデルではなく 真の伴侶だったと思う 彼女と出会って以来

モディリアーニの絵は一層力強く一層澄んできたからだ

 

ポール・アレクサンドル(コレクター・医師)

レオポルド・ズボロフスキー(画商)

ベルト・ヴェイユ(画廊主)

 

ジャンヌ・モディリアーニ()

ジャンヌ・エビュテリヌ(1898-1920)()

モディリアーニと出会ったのは18

 

ジャンヌは赤褐色の髪をしてとても青白い顔をしていたので❝椰子の実❞

とあだ名されていたという 伝説ではジャンヌ・エビュテリヌは

単なる優しい大人しい人間ということになっている しかしジャンヌが

描いた油絵が一つだけ私の手元にあるが 中庭の風景のこの絵は若い

少女としては驚くべき大胆な絵である ジャンヌは画家としてとても優れた

才能を持っていた 

 

マルク・レステリーニ(パリ ピナコテーク美術館 館長)

 

ジャンヌは後追い自殺以後 彼女の作品は封印されていた

家族には自殺のショックがあまりにも大きかったのだ 家族の中では

ジャンヌについて語ることすらタブーだった 

 

若い娘なのだが彼女には確かに本物の才能があった 驚くべきデッサン力を

持っていた 15歳の頃に描いたデッサンを見ても素晴らしく美しいもので

申し分ない完成度なのだ 長生きすれば偉大な芸術家になっていたはずだ

 

スタニスラス・フュメ(文学者)

 

ジャンヌはモディリアーニが一番多く描いたモデルだ

ラファエロのフォルナリーナやピカソのジャックリーヌと同じく

モディリアーニにとってジャンヌは美の女神だった

モディリアーニの芸術を一番触発した人物だ 

 

アンドレ・サルモン(詩人)

 

友人たちはこの頃モディリアーニの二つの姿を伝えている

一つは重病なのに体をいたわらずカフェを彷徨う姿である

モディリアーニは結核のことを人には隠していた

それで酒や哲学的苦悩のため死んだという伝説が作られた

もう一つは健康を回復して出直したいと思っている姿である

母親に宛てた手紙にこうある

「お母さん写真を送ります 赤ん坊の写真がないのが残念です

 春になったらイタリアに旅行しようと思います」

 

赤ん坊の私を世話したのはこのルニアだった モディリアーニは

娘に会おうといつも酔っ払ってドアのベルを鳴らす ルニアが

静かにとたしなめると大人しくなって長らくドアの所に腰を

下ろしてから立ち去った 

 

ルニア・チェホフスカ

 

ジャンヌは翌朝126日未明 飛び降り自殺しました

モディリアーニの死の二日後でした。

 

彼女は自らの感情を押し隠す内向的な性格で精神的苦痛を溜めこみ

外へ出さなかった 自分の人生に希望を抱いていなかったが

時々 浮き輪につかまった その浮き輪のような存在のモディリアーニが

亡くなった時 彼女はひとり自己と向き合った その時 

死はもう避けようがなかった 

 

ペール・ラシェーズ墓地

一つの墓に眠る2人 墓碑銘は

画家 アメディオ・モディリアーニ

「まさに栄光に包まれんとする時 死の手に奪われたり」

 

ジャンヌ・エビュテリヌ

「よき伴侶として生のきわみまで献身せり」

 

最期の言葉には多くの伝説がある

ズボロフスキーには❝親友を宜しく❞と頼んだ

ジャンヌには❝一緒に死ねば天国でも永遠に幸福だ❞と言った

また❝もう脳のほんの小さなかけらしか残っていない❞と言ったり

病院に運ばれる時は❝懐かしいイタリア❞とつぶやいた

あまりにも最期の言葉が多過ぎる…

 

1958年 ジャンヌが書き表した本「伝説抜きのモディリアーニ」では

次の言葉で終わっています。

「モディリアーニは星の子供でこの世の人ではなかった」

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