茹でこぼし舞茸炒め酢橘添え
秋食べるリンとカリウム塩控え
でがらしを強制される秋の食
ベーコンを茹でて焼き色つける秋
ブイヨンは廃棄処分へ宵の秋
■新美の巨人たち【シリーズ❝まほろばの美❞①「女人高野・室生寺」】
奈良市から約40キロ、室生の急峻な山中に佇む、室生寺。
「女人高野」と呼ばれ、女性たちを救ってきた古刹。
国宝7点、重要文化財12点を所有。自然と調和しながら佇む伽藍。
慈愛に満ちた仏像たち。日本人に受け継がれてきた美の形に魅了されます!
そして、「鬼」と呼ばれた写真家・土門拳も室生寺に魅せられた一人。
40年、この寺を撮り続けた彼が、どうしても撮りたかったものがありました。
命を削って撮影した「執念の雪の室生寺」も…。
https://www.murouji.or.jp/guide/
優れた土地をまほろばと呼ばれています
大和は国のまほろば
仏教美術と仏教建築の宝庫
「なぜ室生寺はいつ行ってもいいのか 何度行ってもいいのか」
「またまた室生寺を」より 鬼と呼ばれた写真家 土門拳
「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶと★
「宀一(べんいち)山図」(鎌倉時代)宝亀年間に桓武天皇の勅命を受け
興福寺の僧 賢憬が国家鎮護の寺として創建したと云われる
鎧坂(よろいざか) 国宝金堂(平安時代初期)
懸造り:高低差がある地に長い柱や貫で床下を固定し
その上に建物を建てる建築様式
礼堂(らいどう):一般の方々が礼拝する空間 特徴的 建物も
大きくなくて山中に建つ伽藍の建物は自然と調和させる
美に繋がっている シンプルな仕組み 機能重視
金堂内陣
中尊:左右に脇侍を従え中央に安置される仏像
国宝釈迦如来立像(薬師如来立像) 榧(かや) 室生寺様
截金(きりがね)が施され彫りの線が強調されている
文殊菩薩立像 薬師如来立像 重要文化財 平安時代初期
国宝帝釈天曼陀羅 十二神将立像 戌神(じゅっしん) 子神(ししん)
丑神(ちゅうしん) 国宝十一面観音菩薩立像 国宝釈迦如来坐像
翻波式(ばんぱしき) 十二神将立像 重要文化財巳神(ししん)
卯神(ぼうしん) 未神(びしん)
廃仏毀釈:明治時代初期に起った仏教排斥運動
山に囲まれた室生寺は廃仏毀釈の時に影響を受けなかった
鬼と呼ばれた写真家 土門拳 目指したのは絶対非演出
鬼が愛した寺 1939年初めて訪れたときの言葉
堂内の仏像に対峙した時僕はハッと眼を開かれた
思いがしたのを今もって覚えている
ぼくのそして日本人の遠い祖先に
巡り会ったような気がしたものである
弥勒堂の釈迦如来坐像はやったりとしており
軟らかく微笑んでいるさまはさながら遠い先祖の母親である
そして金堂の強くぼくを見おろしてくる
薬師如来立像(釈迦如来立像)は父親である
そして一体一体がユーモラスな十二神将は
遠い先祖の無邪気な弟たちなのである
「二本の仏像 仏像巡排」より
十二神将にニックネームをつけました
しっぺ ありゃ雨が降ってきた はてな
国宝本堂(灌頂堂かんじょうどう) 重要文化財如意輪観音菩薩像
日本最小の国宝五重塔
窄まりが室生寺五重塔の場合は大きくないので小さく見えない
立地を考えながら造られた 丹塗り(にぬり) 檜皮(ひわだ)葺き
鬼が見たまほろばの絶景
室生寺参道太鼓橋 たもとに建つ「橋本屋」
昭和21年 室生寺の住職に「室生寺の一番美しいのはいつ?」
「全山 白皚々たる 雪の室生寺が 第一等である」
1968(昭和43)年 土門は脳出血により右半身を麻痺
1978(昭和53)年3月12日
女将の初代さんが寝間着姿のまま 部屋に飛び込んできた
「先生、雪が…、早く起きて下さい」と ぼくの手を引っぱった
「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶと
すぐ助手に廊下のカーテンとガラス戸を開けさせた
するとまだ薄暗い空間に横なぐりに雪が降っていた
ぼくと初代さんは「とうとう雪が降りましたね」と
互いに手をとりあってうれし泣きした
「『女人高野室生寺』あとがき」より
現橋本屋主人 奥本裕さん
この玄関から弟子の方に背負われて室生寺に行かれるのを
緒も送りさせていただきました
土門拳「室生寺雪の鎧坂金堂見上げ」
1978年 土門拳写真美術館 所蔵
白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺を見た
そしてついに撮った
ぼくは雪を 室生寺の雪を撮ったのだ
「『女人高野室生寺』あとがき」より
土門拳「室生寺雪の鎧坂金堂前景
1978年 土門拳写真美術館 所蔵
室生寺 奥之院
重要文化財 御影堂
常燈堂(位牌堂) 1935年
緑深き山々の中に優しくたおやかな美が
今までも変わらず きっとこれからも変わらず
千年の時を超えた超えたまほろばの美
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