2025年10月17日金曜日

ジェネレーションギャップを感じた瞬間で一句&和泉唯信医師

けん玉が共通言語秋麗(あきうらら)

予測頭脳が化学反応天高し

野分立()つ踊り生まれる瞬間よ

(レ・シルフィード)星月夜ショパンの予想軽く超ゆ 

実直な取り組みあらん月渡る

 

■プレバトまとめ 20251016

ジェネレーションギャップを感じた瞬間で一句

 

特別永世名人 締めの一句 梅沢富美男

秋の宵デンモク英字ばかりなり

(エピソードを俳句にする難しさ お手本がこの句の中七下五

 事実のみを絞って書く 「カラオケ」ということも分かる)

 

名人10段を目指す試験 特待生昇格試験 森口瑤子

辞書になき「じぇねぎゃ」をぐぐる秋の夜

添削(ジェネレーションギャップの短縮「じぇねぎゃ」

   散文 詩的なリズムや形がない普通の文章

   途中に切れを入れて細工する

と季語が主役になる 「を」が「秋の夜」にくっつく

「秋の夜」長い時間を 助詞「を」動作が継続する時間を表す)

辞書になき「じぇねぎゃ」秋の夜をググ

 

1位 矢柴俊博

携帯に縦型ドラマ父に古酒

(古酒:秋の季語 対句の表現「に」 2つのものを提示

 ジェネレーションギャップを対比で見せた お見事!)

 

2位 石野真子

居待月門限ずらすまたライン

添削(居待月:秋の季語 十五夜の名月の後陰暦の918日に出る月)

秋の夜のライン門限またずらす

 

3位 山崎怜奈

古き名を知らず笑えず月見かな

添削(妥協した句 笑えずはよくない) 

古き名を知らず月見の座の端に

 

4位 マユリカ阪本

秋の暮れ知らぬ流行りは老いたとも

添削(自分の伝えたいことを日本語として伝える練習からやれ

   個人的には夏井先生が彼らを理解していないのではないかと)

流行の理由は知ら秋の暮

ミーム:フレーズや動きを面白いと感じた人がアレンジして投稿

 

5位 吉田仁人

片耳を貸せど寄らない冬隣

添削(冬隣:晩秋の季語 秋も終わりが近く冬が迫っている

   Bluetoothを詠んだ 肝心の一言を書き忘れた「イヤホン」と

書くだけで意味は通じる 俳句のメカニズムがわかると上手になる)

イヤホンの片耳を貸冬隣

 

■こころの時代 医師にして僧侶 和泉唯信

徳島大学病院 脳神経内科医 ALS(筋萎縮性側索硬化症)専門医

医療においては死をもって終わり名実ともに

終わるわけですけれども ただ本当に活動ができないのかと

考えると 仏教は亡くなった人から教えて貰うことが大切

身体はなくても働き続けてくれている 私たちのために

してくれているという受け止め方もできる

 

僧侶と医師といういささか 反するようなもの 

私は反するものと思っていませんし共存できるもの 

高めあうものになるんじゃないか 

 

安楽浄土にいたりひと 五濁悪世にかへりては

釈迦年尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし

「浄土和讃」

 

亡くなられた時には これからも あなたたちの所へ帰ってくる

それが私たちの導きになる そこが大切なところ

 

父である慧雲さんへの気持ち

いまの私に導いてくれるものをたくさん遺してくれてるな

 

ビハーラ(サンスクリット語:安息 安住の場所)

 

死を眼前にして人間は単純なものじゃありませんから

様々な苦労をさらけ出して生きていらっしゃる方々を

どのように看取っていくか 心の手当てをできる病院を

つくらにゃならん 慧雲さんの言葉

 

「一切恐懼為作大安」という大無量寿経というお経からとって

「病ミテ惱メルヒトビトノ安ラグ家トナラムカナ」

ビハーラのこころ 慧雲さんの拘り

 

進むんじゃ 後ろを振りかえりながら 進みんさい 繁ぐんじゃ

思いはのう 生き物なんで 思いがある限り 繋がっていくんじゃ

今日からは わしらの代にとって あんたらが分身になった

わしらは あんたらで あんたらは そのまま わしらじゃ

増田俊也「七帝柔道記」

北大の歓声が大歓声に変わった 「一本」主審が宣すると

和泉さんが私の手を握った 手のひらから 和泉さんの鼓動が

はやくなっているのがわかった あれから何百日 何千日が

経つのだろう 万年最下位の北海道大学がついに優勝した

増田俊也「七帝柔道記Ⅲ」

 

今振り返っても この喪失感を埋めるものはない

そこが吉田の死の重さなんですよ なにをやっても解決できない

 

41歳の時 脳梗塞で倒れます 

2024年9月24日 ALS治療薬 

ロゼバラミン注射薬の承認が了承されました

生存期間の延長 中央値は600日以上と強い効果が示唆されました

 

吉田の部分が強く感じさせていると思いますよ

どうしようもない死というもの (吉田は)私にとっての分身ですよ

患者さんも多くの誰かにとっての分身なんです

だから 命というものは尊くて大切にしなきゃいけない

その人が死んだら 悲しむ人が確実にいるので

つらい出来事を通して(吉田が)教えてくれたんですね

 

(吉田寛裕が)亡くなる一週間くらい前 休日の夕刻だったでしょうか

帰ってきて座敷で仰向けになっていたら 父 抑え込み!といって

かぶさってきた それが彼と最後のハグでした 彼はそれを遺言に

していったのかな 私と妻の心の中にずしっと 笑顔と言動が

繰り返される存在です

 

私自身の30年 彼は折に触れて導いてくれたんです

いろいろ考えさせてもらった 本当に感謝しております

 

仲間たちの心の片隅にふっと浮かんで こられるような

存在だっていうことは よかったねと彼にそういうふうに言いたい

君は生きてきたね 

 

この日初めて吉田さんの墓前に立ちました 

表面をなぞるような手応えない仕事を続けるくらいなら

一つでもいいから自分の納得のいく仕事をしたい

最終の治験に迷いなく取り組み 大学にも戻った

治験の結果は有効性あり 薬は世の中に出た

 

人の命は1回限りで尊い それは言うまでもないこと

それは“長ければいい”ということとは 

同居しない話だと思いますよ

その人がその人らしくそこで終わりを迎える

というのは同居できる考え方だと思う

私が関わったのは 本のごく一部の その中で家族の負担は

多大な時間があって ちょっとした喜びが本当にうれしい

ということもある 生きてこそなので その一瞬は

何物にも代えがたい 人生はそれの積み重ねだと思う

人生の終わりに対して恐怖があってもいいじゃないですか

生きている人も死んだ人もともに縁のなかであって 

生きている人に影響を及ぼし続けてくれる そこを感じたい

生身の人間同士の会話も大切 先に逝かれた人との会話も大切

体力も弱ってくるし 能力も弱ってくるけれども 最後まで

歩みを死ぬ日まで歩みを続けたい というのがいまの私の願望ですね 

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