従順へ反抗込めて秋思かな
覚えなき青あざ数多(あまた)夜長かな
信長の魅せることとは威銃(おどしづつ)
成長を止めることなし天高し
平等に訪れる老い秋の声
■知恵泉 めざせ!中年の星 遅咲き男 蜂須賀正勝
蜂須賀正勝(1526~1586)
実直で誠実 遅咲きの知恵が隠されている
太閤記 秀吉の一代記を語る連続物の講談 に出てくる
講談では「講釈」とも呼ばれる
尾ひれはひれつけまくって事実をねじ曲げた
おもしろくしちゃう
遅咲きで表舞台に現れたのが40歳ぐらい
当時は人生後半
齋藤道三に仕える 弘治2年(1556)道三 息子と戦い討死
織田信賢 永禄2年(1559)信賢 織田信長に降伏
織田信清 榮録7年(1564)信清 信長にやぶれ逃亡
遅咲きの知恵その一 失敗の繰り返しの中に宝あり
永禄3年(1560)桶狭間の闘い 今川義元
いつも信長はワシの邪魔をする あいつだけはど-も好かんのじゃ
秀吉は天文6年(1537)生まれ
正勝は大永6年(1526)年生れ 11歳差
信長は美濃侵攻の為 国境近くに砦を築こうとした
秀吉は砦の築造をやり遂げ 守り手を近隣の土豪から募った
その一人が正勝
正勝という人は枯れていたのではないか❓
この時、正勝は40歳前
「そもそもワソに主君の器量を見抜く目がなかった
とどのつまりそういうことじゃろう いつまでも信長への恨みを
抱え続けるのも子供じみているかもしれぬナァ」
蜂須賀がエラかったのは枯れきっていない
自分はこれから考え直してやり直そうという気持ちを持っている
そのぐらいの覚悟という気がする
蜂須賀が何よりも得意なのは人間をたくさん知っていること
美濃から尾張にかけてたくさんの人間を見てきている
それが秀吉のところでいきた 美濃を攻めるためには
東美濃の豪族を仲間に入れなければいけない
その説得はほとんど蜂須賀の顔
永禄10年(1567)信長 美濃を平定
「太閤記」で秀吉と蜂須賀正勝は橋の上で出会う
大久保の知恵
「失敗してもいいや」多少の諦めが気持ちを楽にする
神田泊山の知恵
誰も僕の失敗興味ない
「失敗」を周りの人はそれほど気にして見ていない
師匠選びが良かった
他にもいる!遅咲きの武将
毛利元就(安芸国の一武将から中国地方を広く支配する大大名になった)
明智光秀(織田家の重臣 本能寺で信長に謀反を起こす)
北条早雲(もともとは室町幕府に仕えていた後北条氏の礎を築いた)
活躍の舞台は中国・四国へ
羽柴秀長 竹中半兵衛 福島正則 加藤清正 黒田官兵衛(孝高)
中国攻め』天正5年(1577)
信長が秀吉に命じて行った毛利氏の勢力圏である中国地方へ侵攻作戦
天正9年(1581)鳥取城攻め
軍師官兵衛のここがスゴイ①
米を買い占め補給を不可能にしてから鳥取城に兵糧攻めを行った
軍師官兵衛のここがスゴイ②
川をせき止める堤防を築き低湿地にある高松城を水没させた
軍師官兵衛のここがスゴイ③
高尚がけっこうウマい*まれに失敗する
遅咲きの知恵その二
派手さを捨てて地味に徹しろ
天正9年(1581)鳥取城攻め
秀吉が正勝を残しておけば播磨は安泰だと考えていた
蜂須賀正勝 地味スゴい①
留守をまかされるほど信長や秀吉から信頼されていた
天正10年(1582)備中高松城の闘い
黒田官兵衛は「水」との戦いを経験していない
木曽川べりの蜂須賀に住んでいた正勝の方が
水のすごさ 水とのつきあい方に関しては優れていたと思う
高松城水攻めのアイデアは正勝ではないか
正勝は木曽川の流域で生まれ育った
蜂須賀正勝 地味スゴい②
高松城の水攻めを考案した(かも)
天正10年(1582)6月2日 京都本能寺
毛利輝元
中国国分
秀吉政権によって行われた毛利氏や中国地方の大名などとの領土配分交渉
この時のネゴシエーターが黒田官兵衛と蜂須賀正勝
蜂須賀正勝 地味スゴい③
中国国分において現場交渉の責任者を担った
留守居 作戦立案 交渉の責任者
武士は決して武名に誇ってはならない
徒(いたず)らに武名に誇って權(けん)高いものは
その末が決して榮(さか)えた例がない
渡辺世祐著「蜂須賀小六正勝」より
天正13年(1585)秀吉から阿波(現在の徳島県)を与えられる
蜂須賀家政
息子には阿波統治の段取りを伝えておりますが息子はまだ若輩者です
何事においても皆様のご意見を頼みにしております
困ったことがあればいつでも拙者にご連絡ください
天正13年(1585)秀吉 関白に就任
天正14年(1586)蜂須賀正勝 死去 享年61
蜂須賀正勝宛の手紙 長宗我部元親より
殿下様(秀吉)にお許し頂けたのは蜂須賀様の取りなしのおかげです
今後も御指南のほどよろしくお願いします
長宗我部はほぼ四国全土を制圧するぐらいの大名
秀吉に負けた後蜂須賀小六に対して平身低頭
「あなた様のおかげです」
取次
豊臣政権において秀吉とそれぞれの大名のあいだを仲介する者
それのルーツは蜂須賀 蜂須賀は「取次」長宗我部の窓口係
敵をつくらないというのは大事 生き方としてその方が賢い 神田伯山
善人に見られるよりは悪人に見られる方が良い
キャラってひとり歩きする 塩梅が難しい
伯山の知恵
悪人キャラならささいな善行で好感度アップ?
「淡路島をお返しします」「そこまでしなくていい」
たびたび淡路島を武器につかって やばい風が吹きそうになると
「淡路島 返します」知恵で幕末まで生き残った
蜂須賀正勝はいかに遅咲きに果たしたのか❓
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