2025年10月15日水曜日

知恵泉 菊池寛

秋の空二層うだつのつるぎ町

秋の街半生(半田)素麺奪い合い

滝俯瞰秋風漂う土釜かな

秋の道冷気を受けて鳴滝へ

轟々と鳴滝を落つ音強し

 

■知恵泉 菊池寛 芥川賞・直木賞を作った文豪社長

菊池寛(18881948)

2つの顔 

   作家 「父帰る」「真珠夫人」

近代文学を娯楽ジャンルへ広げたパイオニア

芥川龍之介との知られざる関係

   社長「文藝春秋」を創刊 社長に就任 人気雑誌へと成長させる

 

犬山紙子

門井慶喜(2017年下半期「銀河鉄道の父」で直木賞受賞)

「文豪、社長になる」門井慶喜著 文芸文庫

 

菊池寛は理想というのが嫌い 現実でいきるほうが楽しい 門井

 

人々の心をつかんだ作品はなぜ生まれた?

明治21(1888)年 香川県高松市生まれ 幼い時から勉強好きの神童

あらゆる本を読破 文学への憧れを強めていく

明治43(1910)年 第一高等学校へ入学

退学処分に 

大正2(1913)年 京都帝国大学へ入学

「坂田藤十郎の恋」

歌舞伎役者の坂田藤十郎が芸を磨くため人妻をだます戯曲

芥川龍之介(18921927)がこの作品の掲載に猛反対

 

テマエが面白いのにも関らず 無暗に友染縮緬のやうな

台辞(せりふ)が多くつても どうも 永井荷風氏や谷崎潤一郎氏の

糟粕(そうはく)を嘗()めてゐるやうな観があつた

芥川龍之介「あの頃の自分の事」より

糟粕=酒かす

 

大正5(1916)年「新思潮」創刊号

芥川龍之介は「鼻」を発表

夏目漱石に評価され一躍注目されるようななった

 

心の奥からこみ上げて来る嫉妬を何()うする事も出来なかつた

彼奴(あいつ)に蹂()み躙(にじ)られたと思つた

菊池寛「無名作家の日記」より

 

大正5(1916)年 新聞記者になる

社会部に配属 

 

片山宏行

菊地の置かれた環境は文学創作の世界からかけ離れた世界で

自分が生きている世界 一般社会の世界がそのまま自分の

フィールドになっている 庶民目線とか大衆目線とか

理解というものを自分の中に構築していった

そんな時、中央公論から執筆依頼がきた

その機会を作ったのは芥川龍之介だった

千載一遇のチャンス 菊地は衝撃の作品を発表

 

知恵その一

大衆を理解しあつと言わせろ!

「中央公論」大勝(1918)7月号「無名作家の日記」

この作品で売れない作家の嫉妬と葛藤を描いた短編

菊地と芥川の関係をそのまま作品にした

 

彼奴(あいつ)は自分の優れた素質を自分より劣つたものに比較して

其処(そこ)から生ずる優越感で以(もつ)て自分の自信を培つて

居ると云ふ性質(たち)の悪い男であつた

菊池寛「無名作家の日記」より

 

片山宏行

あっと言わせようと思った 教訓が書いてあるとか

哲学が書いてあるとかではなく ひとまずえっと思わせる

 

「忠直卿行伏記」家臣への猜疑心に苦しむ大名を描く

「恩讐の彼方に」罪を犯した人間の業と救済を描く

 

大正9(1920)年 新聞小説の連載開始

「真珠夫人」

運命に翻弄された主人公 荘田瑠璃子が男性を破滅に追いやる大衆小説

 

婦人運動に参加する女性たち

 

男性は女性を弄んでよいもの 女性は男性を弄んでは悪いもの

そんな間違つた男性本意の道徳に妾(わたくし)は一身を賭(おと)しても

反抗したいと思つて居ますの

菊池寛「真珠夫人」より

 

片山宏行

全く新しい日本の女性像が登場する 私の代わりを瑠璃子がやってくれる

 

女性ばかりに貞淑であれ!節操を守れ!男性を弄ぶな!

そんなことを幾何(いくら)口を酸()くして説いても妾(わたくし)

それを男性の得手(えて)勝手だと思ひますの 男性の我儘だと思ひます

菊池寛「真珠夫人」より

 

糟粕を嘗めるって下手くそなパクリ 門井

芥川は材料にすぎない メインテーマは人間の嫉妬心 門井

ゴシップに終わらず文学になっている 紙山

 

婦人運動

明治時代以降 女性の権利と社会的地位の向上を目指した運動

 

日本伝統の良妻賢母 門井

個人的には「クソバイス」あっと言わせられました 女将

クソバイス 

犬山さんが考案した言葉で「「クソみたいなアドバイス」のこと

自分のモヤモヤに名前をつけてもらった快感 門井

 

雑誌をヒットさせた驚きのアイデアとは!?

 

東京紀尾井町 文藝春秋

この会社を立ち上げたのが菊池寛 大正12(1923)年「文藝春秋」を創刊

当初3000部しか印刷されなかった創刊号の冒頭

私が知つてゐる若い人達には、物が云いたくて、ウヅ〱してゐる人が多い。

一には、自分のため、一には他のため、この小雑誌を出すことにした。

 

菊池寛 川端康成 横光利一 等に作品の発表場所を与えた

同人誌で終わってはいけない 

 

知恵その二 硬派と軟派のはざまを泳げ!

大正13(1924)11月号 ゴシップを混ぜ込んだ

文壇諸家価値調査票 

因みに芥川龍之介は

學殖九六 天文九六 修養九八 度胸六二 風采九○ 人氣八〇

資産骨とう 腕力○ 性慾二〇 好きな女なんでも 未来九七

谷崎潤一郎 性慾九六

菊池寛 人氣一〇〇

作家はインフルエンサー

彼らのゴシップに民衆は飛びついた

 

大正15(1926)年総合誌へリニューアル

六分の慰樂四分の學藝 政界嘲笑碌

誌上座談会 

 

片山

融通無碍(ゆうずうむげ)な面白さ

 

地方講演部 小林秀雄 

3000部から18万部にまで発行部数を伸ばしていた

昭和2(1927)年 芥川龍之介 死去 35歳の若さでした

その7年後 昭和9(1934)年 直木三十五 死去

その時菊地がくだした決断

芥川賞・直木賞の創設 宣言

 

「芥川」「直木」賞をいよいよ実行することにした

亡友を紀念する旁々(かたがた)無名若しくは無名に近き

新進作家を世に出したい為である

「文藝春秋」昭和101月号より

 

賞金は500(小学校教諭の初任給 約1年分)

 

片山

純文学と台頭してきた大衆文学があって この2つを発展させるためには

2人の代表的な男たちの名前を付ければ分かりやすい 文芸のイベント化

 

犬山

犬山さんは2018年児童虐待の問題に取り組むボランティアチーム

「こどものいのちはこどものもの」を発足

犬山さんの知恵 軟派ものだからこそ大衆に聞いてもらえる

 

門井さんの知恵 硬派なことはやわらかく 軟派なことはかたい言葉で

硬派と軟派の違いはアプローチの違いだけなのではないか

「伝える」ためのアプローチの違い

一回でいいから菊池寛に原稿を通してやり取りをしてみたかった

 

昭和14年頃に録音したとされている唯一残っている肉声の音源

「英樹もナナ子ちゃんもよく勉強しなきゃだめだよ

 おかあちゃんの言うことをよく聞いて勉強するんだよ

 贅沢を言ったり 無理を言ったらいけないよ

 朝は早く起きて 起きたらサッサッとごはんを食べて

学校へ行くんだよ 学校から早く帰ってきて すぐ

勉強しなきゃいけないよ」

 

文豪も人の親 by一同

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