2022年4月13日水曜日

レクイエム

最後まで嫁の名連呼春陽かな
「あと七日」宣告された春の家
子のために生きた人生終える春
春に逝く願った老後とはいかず
寂しがることさえ忘れ春眠る
花の冷え独りぼっちの他界かな
飛花落花義父のもとへと旅立たん
肺炎と壊疽併発し春に幕
トミヱさん別れの朝の春の風
春の遺影や涙も枯れて虚ろな目

4月10日義母が旅立ちました。
百一歳の人生を生き切られました。
延命治療拒否後には肺炎を自力で快復していました。
生への執着は誰よりもお強かったのでは…。
百歳の時は徳島新聞にも掲載されました。

でも、トミヱさんの人生はずっと泣いておられました。
嬉しいと言っては泣き、
寂しいと言っては泣き、
悔しいと言っては泣き、
哀しいと言っては泣いておられたような…。

亡くなられた4月10日は義父久経さんの忌日でした。
3月下旬に医師から「あと1週間です。」と言われた時、
ひょっとしたら義父が4月10日に迎えに来るのでは?
と、頭によぎったのですが…。
その通りになりました。

トミヱさんは義父のことを「嫌いだった!」と義兄に漏らしたようですが、
久経さんは心から愛しておられたのでは…?
だって、私から見たら何時も仲良しのご夫婦でしたもの…。

施設ではずっとトミヱさんと会わせて貰えなかったのですが
10日、やっとトミヱさんと霊安室で会うことができました。
それはそれは美しい寝顔でした。
今にも起きだして「貞子さん、来てくれたんでぇ~。」
と目を開けてくれそうでした。

子供や孫の名前はすっかり忘れてしまっていたのに、
私の名前だけは最後まで覚えてくれていました。
これは私にとっての勲章となりました。
今頃、天国で久経さんとまいちゃんとお話ししているかしら…?

4月13日 告別式の朝
合掌…。

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