2025年12月28日日曜日

偉人の年収How much?オードリー・ヘプバーン

経験に優るAI冬日没る

北吹くや血しょう輸血始めねば

冬の靄金持ちだけの抗老化

冬銀河病気の増える検査かな

冬の月ジレンマという老化かな

 

■偉人の年収How much

女優 オードリー・ヘプバーン

1929年ベルギー ブリュッセルで誕生

父 ジョセフ 母 エラ 

オードリー6歳の時 突然 父親が失踪

音楽学校でClassicBalletを始める

1939年 第二次世界大戦勃発 

母の実家 オランダへ移り住む

1940年 ドイツがオランダを占領

1945年 第二次世界大戦終結

空腹を救ってくれたのは 連合国救済復興機関アンラ(ユニセフの前身)

19歳の時 ロンドンの名門バレエ学校へ入学

プリマバレリーナになる夢を断念 170㎝近くなった身長のため

モデルの仕事 ファッションセンスを磨く 運命の出会い

フランス人作家 シドニー=ガブリエル・コレット

自著「ジジ」のミュージカル化 主人公を探していた

ブロードウェイミュージカルの主役に抜擢

22歳でミュージカル俳優デビュー

この時の出演料は週給500ドル6か月(24)12,000ドル 3,100万円

子犬のように無邪気ではつらつとした魅力があり

しかも天真爛漫さと聡明さを感じさせる女優だったと評された

1952年ローマで映画の撮影がスタート

相手役のグレゴリー・ペックは無名の新人を相手役にすることに驚いた

しかし スクリーンテストの映像で納得

ウィリアム・ワイラー監督は「カット」と言った後も

カメラを回しっぱなしにしてほしいという注文を出していた

このスクリーンテストを見たグレゴリー・ペックは

この映画の本当のスターはオードリー・ヘプバーンだ

彼女は素晴らしい女優になりますよ と絶賛

映画にとって必要なもの

「単純さと真実だけが重要だ 

内面からにじみ出てくるものでなければならない

作り物であってはならないんだ」

単純さと真実 グレゴリーからの救いの手

「真実の口」心に偽りがある人が手を入れるとかみちぎられる

このシーンは一発OKを出したウィリアム・ワイラー監督

映画史の残る名シーンとなった

初主演映画でアカデミー賞主演女優賞受賞

「演技の時代」から「存在の時代」

時代を象徴する名作を生みだしスーパースターへと駆け上がる

 

オードリーの主な出演作品&推定出演料

1953年 ローマの休日      2,500万円

1954年 麗しのサブリナ     3,000万円

1961年 ティファニーで朝食を    15億円

1964年 マイ・フェア・レディ    20億円

 

衣装は“天才デザイナー”ユベール・ド・ジバンシー“

サブリナパンツ 黒 エレガントで洗練された印象の服装

ファッションアイコンとしての美意識のカリスマ

イタリア・ローマ1971年オードリー42

結婚して夫と2人の息子と暮らす

夫はローマ大学の助教授で精神科の医師だった 9歳年下

当時治安の悪かったローマを離れ息子2人とスイスの村で暮らすことに

46歳の時 9年ぶりに映画出演 離婚

7歳年下の俳優 ロバート・ウォルダースと再婚

1987年 オードリー58歳 転機が訪れる

世界中の子どもの命と健康を守る 国連機関ユニセフ から

思いがけないオファーが!ユニセフ親善大使の要請

ソマリア視察から2か月後 体調を崩し ロサンゼルスの病院に入院

末期の結腸癌 余命幾ばくもないと知った彼女は

「最期はスイスの自宅で過ごしたい」

19921224日 家族に囲まれたオードリー 

クリスマスプレゼントを手渡す 人生で最期のクリスマス

4週間後 オードリー・ヘプバーン 1993年 没 63

 

ユニセフ親善大使として各国を視察していた60歳の年収は

最後の映画「オールウェイズ」に出演 監督スティーブン・スピルバーグ

13,800138

ユニセフ親善大使の年間報酬 1ドル138(1989年為替レート)

映画「オールウェイズ」の推定出演料 100万ドル13,800万円

映画の出演料はユニセフに全額寄付

 

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