2025年12月14日日曜日

スイッチインタビュー 佐野史郎&桜木紫乃

景変われども流るる水は冬野

吾を持たず群れ成す人よ寒気

表向きなど知りたくもなく凍る

虚像など見たくもないわ寒夜かな

笑われる人生目指す冬の月

 

■スイッチインタビュー

佐野史郎 桜木紫乃(直木賞作家)

家じまいとは家族とは

廃品遺品の整理 処分したのは20トン余り

買う時より手放す時のほうが大変

実母は施設に入所していた 20242月艶子92歳で他界

160年の歴史 医家の歴史に幕を閉じることになりましたと

守ることができず申し訳ございませんが

5代目として告げなかったことを詫びて守れなかったことが

じくちたる思いがある 佐野

長男が継いでいた医業を継いだのは次男の和也さんだった ナレーション

ずっと長男でつながって 桜木

継げというふうに枕元で 曾祖父に言われたので 

どうしても継がなければいけないと思ったと

父は言っていました 代々佐野家は長男が継ぐものだと

父もそのバトンを自分の責務として子どもに渡すのが

自分の役割だと 佐野

呪縛ですね 桜木

悪く言えば不幸の手紙 佐野

プレッシャー 重たくはなかったですか 桜木

そこは僕は相当ずるいですよね 長男であることを 親の愛情とか

ずいぶん受けて育ったから 受けるだけ受けて 

裏切ったみたいなところが 佐野

家を継がなかったことを裏切ったって思う気持ち

嫁に出たあと今もそうなんですけど 

かすかな罪悪感と共に生きているんです 

親が思うように生きなかった自分 桜木

一緒ですかね 佐野

佐野さんの罪悪感と私の罪悪感は何となく似てるんじゃないかと

 

父が経営していたラブホテル HOTELローヤル

私が15歳のときにラブホテルを父がいきなり始めたんですけど

ある日突然1億の借金をしてくるわけです

父の手形というんですかね ハンコを押すのが私の役目で

2人で流れ作業 桜木

重い 加担していたわけですね 佐野

全部お前のものになるんだからと言われてそだつわけですよ 桜木

その時は本当に信じて 佐野

家を継ぐというのをずっと小さいときから言われ続けていたので 桜木

そこは一緒ですね 佐野

床屋って言われていたら継ぎます頑張りますみたいな

そういうと親は喜ぶんです 桜木

正反対のところもあるけど環境として 家というものを継ぐ

家業を継ぐとか 医者であろうが 佐野

床屋ラブホテルであろうが 桜木

重くかかっていたという意味では 男女問わず 佐野

周りに育てられたようなところも いつの他人が出入りしていて 

お弟子さんが何人もいたので 桜木

祖母と母が厳しく看護師さんたちに当たると そのはね返り

ツケが陰で「おまえの母親は」ってゴリゴリ 佐野

同じ同じ よくストーブの上で北海道ですから 火あぶりの刑ってされて 桜木

 

継ぐ家を出たい 俳優になりたいって思ったきっかけは 桜木

医者にはなれないっていうのもあるし 弟は医者の道を進んでいるし

当然弟が…継いで欲しい お兄ちゃんの勝手ですよね 

 

マザコンの話だったけど お父さんがいないっていう話で いきなり

過保護に育てられてきた冬彦君に 親の代祖父の代曾祖父の代のツケが

彼に突きつけられた というふうな解釈で 佐野

重たい荷物ですよね 桜木

男って何という 佐野

 

食べられるようになって知られるようになってから

父も家族も親族も初めて認めてくれた

そのときには子どもが生まれて 医者にしたいという物語では

なかったでしょうね 父はバイオリンをたしなんでいたり

趣味の写真があったり音楽好きで 母は文学少女だったので

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」とか好きだった

だから根っこではそういう僕の気持ちが 分からなくは

なかったと思います 父も でも父は長男としての物語を

生きたかったんだろうと思いますよ

この医者の物語の4代目ということを みずから望んで飛び込んだ 佐野

お父様を支えていたお母さまが医者を継ぐことは同で見良いじゃないか

と言えない立場から 医者を継ぐことはどうでもいいじゃないかと

言えない立場から お母さまの壮大にたくらみではと 

佐野さんをお医者さんにしなかったのは 桜木

だから子どもが生まれてきたときに 

そういう思いがなくはなかったようですよ 

写真が残っているけど 胎教で音楽を聞かせたり 佐野

1人で住みやすいようにしたら」と母に言っても

「私は家を守るために生きてきた」とその思いを佐野家の長男として

父は亡くなったけれども母の思いは そんなのはやめてくれとは

言えなかった 

 

母親は晩年 幻聴幻覚が激しく盗聴されているとか 1人になってから

そういうものを見るようになったことは事実 この家を

どうしたらいいんだろう 守り続けなきゃ 後ろめたく思っているのに

孤独にさせてしまったこと やっぱり大きいですよね

申し訳なさはあるけど 

 

20214月 多発整骨随腫に罹患 5年生存率は約40

過酷な入生活を経て復帰

 

ご病気されて大変なときとかぶっているんですよね 桜木

かぶってるけど母はよく分かってなかった それは責められないですけど 

特に敗血症のときは本当に危なかった時期があったので

そういう時期 母が亡くなっていく 死に対する感覚が近いですよね

だから家の物語を自分が生きている間に どう落とし前をつけるか 佐野

 

ここはすごく浄化された場所なんだと すごくいい家だったんだなって 

誰かが守って 傷つけないように傷つけないように 

大切にされた家だったんだなって そうじゃない所に行くと

体調が悪くなるんですよ 桜木

1番の家じまいのご褒美 しまう 供養のような気がします 

家じまいの廃品遺品の整理をした直後に 佐野家の歴史を振り返ると

それぞれの代のことも考えながら 供養 祖先に対して 

なかったことにするのではなく この人たちがこの家の物語を

続けようとしたから 自分もその家の物語の末端に 存在することが

できたんだという感謝 今までやったことのない 大きな供養の儀式 佐野

 

全員ビバ人生 みんなよく生きた よく生きたって好きな言葉なので 

だからよく自分も生きていこう 現在進行形だったり過去形だったり 

1人1人しまって よい形でしまっていけたら 

家じまいはよく生きること 桜木

そこに立ち会っている 生きている子孫が行うのが 家じまい

供養なんじゃないかと 祖先に対して失礼のないように感謝を込めて

ありがとうございました これからもお守りください 佐野

家 家族とか もう一度考えてみる必要があるんだなと

こんなに家をしまうご両親のこと 

家の歴史をこんなに考えている人がいるんだ

ここを舞台にして自由に使えるセットなので 桜木 

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