篠田桃紅を詠む
冬銀河玄(げん)は天地を想像す
偽りなく生きて来ました冬の暮
霜柱まがいものではないつもり
その日まで成し遂げようと冬を咲く
春を待ち百七歳を閉じ行かん
■白洲次郎&正子
・旧白洲邸武相荘
無駄のある家
綿密な計画を立てて設計してみたところで、
住んでみれば何かと不自由なことが出てくる。
さりとてあまり便利にぬけめなく作りすぎても、
人間が建築に左右されることになり、
生まれつきだらしない私は、
そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
白洲正子
https://www.youtube.com/watch?v=7uYhx99pSF8 より
・自分の信念を貫くということ - 白洲次郎|名言|格言|哲学|人生の知恵|
https://www.youtube.com/watch?v=QSZN27KCr1I
あなたには、何があっても曲げられない信念がありますか❓
人から嫌われても、損をしても、それでも貫き通したいと思える「何か」が…
現代社会では、空気を読むことが美徳とされ、
波風を立てないことが賢明とされています
でも、それって本当に正しいのでしょうか
今から80年ほど前、戦後の混乱期の日本にまるで風のように現れて、
自分の信念を貫き通した一人の男性がいました。
その人の名前は、白洲次郎
彼はこんな言葉を残しています
「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」
占領下の日本で、アメリカ軍に対してこんなことを言える
日本人が、果たして他にいたでしょうか
今日は、白洲次郎の生き方を通して、信念とは何か、そして、
それを貫くということの美しさについて、
一緒に考えていきたいと思います
あなたも、自分だけの信念を見つけたくなっているはずです
1章:プリンシプルという生き方
白洲次郎が最も大切にしていた言葉 それは「プリンシプル」でした
彼はこう言っています
「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか」
この言葉に、彼の人となりが表れているように思います
西洋の概念でありながら、日本語では完全には表現しきれていない何か
それほど深い意味を持つ言葉だと、彼は感じていたのでしょう
プリンシプルとは、単なるルールや決まりごとではありません
それは、自分の心の奥底にある、譲れない価値観のこと
どんな状況になっても、それだけは曲げてはいけないと思える
魂の核となる部分なのです
彼にとって、それは何だったのでしょう
彼が生涯をかけて貫いたプリンシプルとは…
それは「人として正しいことをする」という、
とてもシンプルで、でもとても難しいことでした
彼はこのように語っています 「僕は人からアカデミックな、
プリミティブな正義感をふりまわされるのは困る、とよくいわれる。
しかし僕にはそれが尊いものだと思っている。
他人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない」
周りの人たちからは「幼稚」「理想論」と言われても、
彼は自分の正義感を手放しませんでした
現代を生きる私たちはどうでしょうか 「大人になる」ということを、
理想を諦めることだと勘違いしていませんか
2章:従順ならざる唯一の日本人
1945年、日本は戦争に敗れ、
アメリカを中心とした連合軍に占領されました。
多くの日本人が、占領軍に対して委縮し、言われるがままに従っていた時代
そんな中で、白洲次郎だけは違っていました 彼は占領軍のGHQから、
「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれていたそうです
これは、一種の恐れと敬意が込められた呼び方でした
なぜなら、どんな圧力をかけても、彼だけは決して屈服しなかったからです
ある時、アメリカ軍の高官が彼の英語を褒めて、
「君は日本人なのに英語が上手だね」と言いました
普通なら「ありがとうございます」と答えるところですが、彼は違いました
「あなたの英語も、もっと練習したら上達しますよ」
なんと、逆に相手の英語力を評価してみせたのです
これは、単なる皮肉ではありません 「私はあなたと対等だ」
というメッセージだったのです 戦争に負けた国の国民として
卑屈になること拒否した それが彼の信念でした
「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」
この言葉の重みを、私たちは理解できるでしょうか
3章:嫌われる勇気
白洲次郎は、こんなことも言っています
「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ、半分の人には
嫌われるように、積極的に努力しないと良い仕事は出来ない」
これは、現代の私たちにとって、とても耳の痛い言葉かもしれません
SNSの評価を気にして、みんなに好かれるような投稿ばかりしていませんか
職場でも、学校でも、誰からも嫌われないように、当たり障りのないことしか
言わなくなっていませんか でも、彼は真逆のことを言っています
「半分の人に嫌われるくらいでちょうどいい」なぜなら、
本当の価値のある仕事、本当に正しいことをしようとすれば、
必ず反対する人が出てくるからです 全員に好かれるということは、
誰の心も動かしていないということ 誰の現状も変えていないと
いうことなのです 彼はこうも言います
「リーダーたるべき人間は好かれたら終わり。
七割の人に煙たがられなければ本物ではない」
これほど明確に「嫌われる勇気」について語った人を、私は知りません
現代社会では、みんなで仲良く、みんなで同じ方向を向くことが
美しいとされています でも、それって本当に正しいのでしょうか
時には誰かが、みんなと違う意見を言わなければ、社会は前に
進まないのではないでしょうか
4章:正義感という名の武器
白洲次郎が持っていたもの それは、彼自身が「幼稚」と言った
正義感でした でも、この正義感こそが、彼の最大の武器だったのです
戦後の混乱期、多くの人が自分の利益ばかりを考えていました
どうすれば得をするか、どうすれば損をしないか
そんなことばかり考えていた時代 そんな中で、彼だけは違いました
「何が正しいか」を常に考えていたのです 貿易庁長官という要職に
就いた時も、彼は汚職の根絶に力を注ぎました 「白洲三百人力」と
呼ばれるほどの辣腕ぶりで、腐敗した組織を改革していきました
でも、これは決して楽な道ではありません 既得権益を持つ人たちからは、
激しい反発を受けました 陰口を叩かれ、足を引っ張られ、
時には命の危険すら感じることもあったでしょう それでも、
彼は自分の正義感を曲げませんでした 「自分の良心はきれいだと
思っているから、人が何言おうと平気なんだ」この言葉に、彼の強さの
秘密があります 他人の評価ではなく、自分の良心に従って生きる
それが、彼の信念だったのです 現代の私たちはどうでしょうか
自分の良心に、胸を張れるような生き方をしているでしょうか
5章:孤独という代償
信念を貫くということは時として孤独を意味します
白洲次郎も、その孤独を味わった一人でした。
彼は晩年、こんなことを語っています
「占領下の日本で、GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、
ただ二人。一人は吉田茂であり、もう一人はこのぼくだ。吉田さんは、
そのことが国民の人気を得るところとなりずっと表街道を歩いたが、
もう一人のぼくは別に国民から認められることもなく、こうして
安隠な生活を送っている」これは、彼の心の奥底にあった寂しさを
表した言葉かもしれません 正しいことをしているという確信はある
でも、それが周りの人たちに理解されない 評価されない、
感謝されない そんな孤独感を、彼は感じていたのかもしれません
でも、彼は続けてこう言います 「けれども一人くらいはこういう
人間がいてもいいと思い、別にそのことで不平不満を感じた事もないし、
いまさら感ずる年でもないと思っている」これが本当の強さなのでしょう
理解されなくても、評価されなくても、自分が正しいと信じる道を
歩き続ける 現代社会では、承認欲求という言葉がよく使われます
誰かに認められたい、評価されたい そんな気持ちは、人間として
自然なことです でも、それに振り回されてしまっては、本当に
大切なものを見失ってしまいます 白洲次郎のように、他人の評価に
左右されない強い心 それを育てることができれば、どんな困難にも
立ち向かえるのではないでしょうか
6章:死ぬまで捨てないもの
白洲次郎は、83歳でこの世を去りました
彼が残した遺言は、たった二行「葬式無用、戒名不要」
最後の最後まで、自分のスタイルを貫いたのです
形式や習慣に縛られることなく、自分らしく生き、自分らしく逝く
それが彼の美学でした そして彼が生涯をかけて追及したプリンシプル
それは、決して時代遅れのものではありません むしろ今の時代
だからこそ、私たちが学ぶべきものがあるのではないでしょうか
「これだけは死ぬまで捨てない」彼がそういった正義感 それは
どんなに小さなものでも構いません 困っている人がいたら
手を差し伸べる 嘘をつかない 約束は守る 弱い者いじめは許さない
そんな当たり前のことかもしれません でもその当たり前のことを、
どんな状況でも貫き通せるかどうか それが、その人の品格を決めるのです
彼はこんなことも言っています 「長く大事に持っているものは、
人に貰ったものより、自分自身の苦心の結晶に限る」他人から
与えられた価値観ではなく、自分で考え抜いて見つけた信念こそが、
本当に価値のあるものなのです それでは今日の話をまとめていきます
エンディング
白洲次郎の生き方を通して、信念を持つことの意味について考えてきました
彼の言葉をもう一度、心に刻んでみてください
「僕の幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう」
何て力強い言葉でしょうか 現代社会は複雑で、矛盾に満ちています
正解のない問題が山積みで、
どう生きればいいのか わからなくなることもあります
でも、そんな時だからこそ、自分だけの信念が必要なのです
それは人生の羅針盤となり、迷った時の道しるべとなってくれます
もしかしたらその信念のために、誰かに嫌われることもあるかもしれません
孤独を感じることもあるかもしれません でも、それでいいのです
いえ、それがいいのです なぜなら、そうやって貫いた信念こそが、
あなたという人間の価値を決めるからです
白洲次郎が愛した言葉、プリンシプル
プリンシプルを持って生きることは、決して簡単なことではありません
でも、その中にこそ、本当に意味での自由があるのです
あなたはどんなプリンシプルを持って生きていますか?
今日という日を、自分らしく、誇り高く歩んでいけますように…。
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