2025年9月5日金曜日

詳説日本史&「病蛍」&髙島野十郎

浮き輪肉ゆっさゆっさと盆踊

ヤツガシラ秋の渡りの始まらん

戦終え働く人や扇置く

終える人始むる人の盆の月

数珠握り西瓜控える人のをり

 

■「詳説日本史」(山川出版社)より

「八月十五日、天皇のラジオ放送で戦闘は停止され、

九月二日、日本政府および軍代表が降伏文書に署名し、

約四年にわたった太平洋戦争は終了した。」

終戦記念日は八月十五日でよろしいのでしょうか

大きな疑問です…。

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「病蛍(やみほたる)

 

読んで字の如く病のようになった蛍ということなんですが

これは「秋の蛍」を意味します 

元々「蛍」は夏の季語になるんですけれども

秋になった頃にもまだ生きている状態の蛍のことが

「秋の蛍」になります さらにその「秋の蛍」の中に

傍題が「病蛍」これはもう飛ぶ力もなく草むらで

じっとしながら光っているかいないかも分からないぐらいの

弱った蛍という意味になります 蛍の研究者によりますと

過去10年位の記録の中で やはり段々地球温暖化で

気温が上がってきているということがあります

その結果 蛍たちが飛ぶのが早まっている 

という情報もあるそうです そうなると「病蛍」が

秋の季語である 見かけるのがさらに確率が

低くなっていくのかもしれませんね

 

■日曜美術館 寫実(しゃじつ)の極致 それとも慈悲といふ 

髙島野十郎(たかしまやじゅうろう)

 

表現は凡(すべ)て暴力、(中略)

藝術は自然に直接でなく

全く無関係の他物質に表現する暴力、

だから美

髙島野十郎「遺稿ノート」より

 

藝術とは時間空間を超越した実有の事だ

寫実の極致、やるせない人間の息づきーそれを慈悲といふ

 

寫実の極致 それを慈悲といふ

 

「遺稿ノート」

動物学や化学や数学をやつたり哲学したり、

そんな事がいかに我が身に害毒した事か、

そのモルヒネ中毒を洗ひ落すのに一生かゝる。

 

藝術は深さとか強さとかを取るべきではない。「諦」である。

 

花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事…

 

生れた時から散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落す程冩実は深くなる。

冩実の遂及とは何もかも洗ひ落して生れる前の裸になる事、その事である。

 

ダーウィンは進化と言ふ。

藝術は退化の一路をたどるのだ、行きつく先きは退化でもなく進化でもない。冥土への一路 藝術の眞諦。

 

月ではなく、闇を描きたかった。

闇を描くために、月を描いた。

月は、闇を覗くために空けた穴だ。

 

闇夜を鳥は清くて明るい色と見、人間は暗黒としてしか見ない。 

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